1. 今日はなんだか愛は幻
1975年4月25日にナイアガラ・レーベル第一弾として、SUGAR BABE のシングル「DOWN TOWN」とアルバム「SONGS」が発売された。
何度もしつこく云うけれど、当時は此の素敵なメロディーがまったく無視された。はっぴいえんども大滝さんも細野さんも全然売れてないんだから、其の弟子みたいな連中が受け入れられる土壌なんてなかったんだ。彼等の不運は発売元のエレックがすぐに倒産したことも在るけど、兎に角、本当に、全く売れなかった。達郎の話だと「500枚くらい」しか売れなかったらしい。あたくしも当時ラジオなんかで聴いた記憶がなく、レコードを買ったのは飢餓感ゆえだったのかもしれない。
11年前に発売から20周年記念でオリジナル・マスターでCD化された時に、オリコン3位まで上がるヒットを記録したのは有名な話だけど、ついに発売から30年も経ってしまった。なのに、此の瑞々しい音楽は一体何なんだろう。彼等に影響を受けた音楽が現在では主流になり、今でもなお新しいリスナーを増やしているよーで、まぁ売れればええわけではないけれど、「ざまーみろっ!!」って気にはなる。
14才の自分に「お前が選んだ音楽は、間違ってなんかないんだぞ。」と教えてあげたいね。
2. BAND WAGON
あれから30年、日本語ロックの方向性を決定付けた1975年の傑作群のひとつが、また世に問われました。一寸紹介するのが遅れたけど、2005年5月25日に、きっちりと30周年記念盤として茂の唯一無比の大傑作が発売された事が、とても嬉しいです。
現在では説明不要な作品になってしまいましたし、此れまでも何度もリイシューされて来ました。今回は、茂本人が新たにリマスタリングしていますが、オリジナル通りの9曲入りの侭です。36分くらいで終わってしまうんですけど、やはり余計なボーナス・トラックなんていらないんですね。(無いわけじゃ無いんですよ。実際「ハックルバック」なんてCDも出てますからね。)其れじゃ、今までのとあまり変わらないかって云うと、そうでもないんですよ。DVDが付属されて居ます。でも、あくまでも「おまけ」ですね。オリジナル・フォーマットが素晴らしいので、一切余計なモノは(本人の意志であれ)不要です。
リマスターではインスト曲が特に鮮明な印象を受けましたが、「砂の女」「100ワットの恋人」などの歌モノは、いつ聴いても素晴らしいです。処女作ってのには、多くの傑作が在ります。あたくしにとって、ビートルズとはっぴいえんどは特別な存在ですけど、其の中で何れも最年少であった(云わんとする意味は察して下さい)ジョージと茂がソロ・デビューで永遠の傑作を作ってくれたってーのが、永遠に彼等のファンでいられる理由のひとつですね。DVDのインタビューで「砂の女」を作ったくだりにジョージの名前が出た時には、思わず「にやり」としちゃいました。
此の作品を聴いたことが無い方がもし居るなら、此の機会に是非聴いてみて下さい。CD本篇に関する内容は、イコも未亜も、絶対保証致します。つまり、DVDはマニア向けだってことね。
3. TIN PAN ALLEY の時代
茂の「BAND WAGON」は1975年3月25日発売で、大滝さんの「NIAGARA MOON」が5月30日でして、30周年盤がそれぞれ5月25日と3月21日に出たのは、ナイアガラ記念日の321に対する茂の配慮なのかな?なんて考えるのも一興です。
1975年には大滝さんと茂&ハックルバックが共演したライヴと云うのが何度か在って、特に興味を惹くのが11月21日の荻窪ロフトです。記録によると開演が3時間も遅れたらしいのですが、其れでも此れを聴けたならええなって思いますね。此の時、ハックルバックをバックに大滝さんがヴォーカルでの「BAND WAGON」が披露されたのですから。
「BAND WAGON」での茂のうたは、誰がなんと云おうとも「大滝の模倣」です。茂以外はすべて外人ミュージシャンの演奏なのに、はっぴいえんどの4枚目とも云われてしまうのは「松本隆の歌詞を大滝がうたう」からなんです。当時の大滝さんは、もう兎に角「脱・松本隆」路線で行ってましたので、テストとしての「デビュー」(1978年)や、再会の「ロンバケ」(1981年)までは有り得ない世界だったのだけど、お茶目な師匠はしっかりと予告篇をやっていたわけですな。余談ですが、当時大滝さんのバック・バンドも勤めて居たのが「SUGAR BABE」でして、1994年にタツローが行った「Sings SUGAR BABE」を客席で観ていた大滝さんは号泣し、慌てて楽屋にお隠れになったそーです。其の時、タツローはかつての様に美しく「砂の女」を歌ったのです。
12月16日には「TROPICAL MOON」なんてコンサートもやってます。6月25日に発売された細野さんの「トロピカル・ダンディ」と「NIAGARA MOON」はしっかりと繋がっていました。大滝さんはいみじくも「細野さんと僕は似てる」と語っておりましたけど、其の後もオムニバス盤や楽団などコンセプトが酷似した展開を聴かせてくれるのです。まぁ、其れはまた、後の話。
4. まぬけなキューピッド
大滝さんと細野さんのそれぞれのソロ一作目は、はっぴいえんどの世界を色濃く感じさせる作品でした。「大瀧詠一」はバンド活動中の作品で、半分は丸っきり「はっぴいえんど」だし、「HOSONO HOUSE」も解散→再結成→また解散みたいな混沌とした時期に出たことは以前も詳しく書いた通りです。其れ故、お互いのソロ処女作は共通の匂いを感じさせるわけですが、茂がソロ・デビューで更に「はっぴいえんど」の未来を提示した時期に御大ふたりは完全に「脱・はっぴいえんど」を成し遂げてしまいました。其れが「NIAGARA MOON」と「トロピカル・ダンディ」です。此のふたつの作品は、根本的な部分で同じ試みをしているので聴き比べると大変面白いと思います。それぞれ二作目の前には「布谷文夫」「SUGAR BABE」「小坂忠」などのプロデュースをしているのも、似ていますね。つまり、ふたりはライバルなんですな。
現在でもまだ衝撃的な第二作(近年、はっぴいえんどの箱から新たにファンになった方でも、此れが実質的には解散後初のアルバムだと認識して聴いたら吃驚すると思いますからね)を発表した後に、ライバルが向かったのはオムニバス盤でした。
TIN PAN ALLEY の「キャラメル・ママ」は1975年11月25日発売。キャラメル・ママと云うのはティン・パン・アレイの前身となったバンド名です。細野さん、茂、林立夫、マンタのメムバーがそれぞれ2曲ずつとティン・パン・アレイとして2曲をプロデュースした計10曲に、ティン・パン・ファミリー総出演で臨んだバラエティー豊かな作品集になっています。茂の作品「ソバカスのある少女」では松本隆が作詞し、南佳孝が茂とデュエットと「はっぴいえんど」好きにも好まれる展開を見せますが、後藤次利のチョッパー・ベースが炸裂する林の「チョッパーズ・ブギ」などには「はっぴいえんど」の欠片も在りません。そして細野さんは早くも「イエロー・マジック・カーニバル」で未来を暗示しています。
対して大滝さんの「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」は、タツロー、銀次とのオムニバス盤で、1976年3月25日発売。タツローの「ドリーミング・デイ」「パレード」「フライング・キッド」は名曲だけど、やはり大滝さんが居ると「SUGAR BABE」を感じさせます。本来ならこれらの曲は「幻の SUGAR BABE セカンド」に入るべきだったのでしょう。銀次も後の「ウルフルズのプロデューサー」を予感させる痛快な「日射病」「新無頼横町」などで活躍して、シングルでは三人で歌った名曲「幸せにさよなら」(加山雄三さん用に作ってボツにされたらしいけど)も残しています。現在では有り難いことに、ボーナス・トラックとしてシングル版は追加収録されてます。しかし、やはり目玉は大滝さん。なんせ、ホントは「ホンダラ行進曲」を三人でカヴァーする気だったってんだからね。そもそも此れはナイアガラはもうダメってことで、タツローも銀ちゃんも去って行くからってんで「さよなら企画」として世に出たんですからね。そんな時に師匠ったら、全く何を考えてるんでしょうなぁ。まぁ、其の代わりに収録されたのが、もっと恐るべき怪作「ナイアガラ音頭」だったんですけどね。
そして注目すべきなのは「Fussa Strut Part-1」です。「NIAGARA MOON」で先にPart-2が発表された作品ですが、此処でのベースは細野さんで、ピアノは教授です。大滝さん曰く「彼等の初共演は、此れだよ。」
ほらね、上手くYMOに繋がったでしょ?お茶目で悪戯なキューピッドだね。
5. 溶けろ!リアリティー♪
そんでもって、すぐにYMOに行かないのが細野さんだったりします。「ティン・パン・アレー2」や「パシフィック」「エーゲ海」などのインスト盤も在りますけど「トロピカル・ダンディ」「キャラメル・ママ」の1975年から「イエロー・マジック・オーケストラ」(1978年11月25日発売、そうですよ彼女の御誕生日ね)まで特に注目すべきなのは、ソロ名儀三作品でしょう。
此の時代の最高傑作は「泰安洋行」(1976年7月25日発売)だとは思いますし、大滝さんが同時期(1976年10月25日)に発売した「Go! Go! NIAGARA」と比較しても「勝負在った!」と思わせます。しかし、冒頭の「蝶々-San」では、しっかりと大滝師匠とタツローがコーラスで参加して居るのがミソ。次にはカレンダーも待ってますから、ナイアガラーは心配御無用です。
で、個人的に一番聴き込んだのは「はらいそ」(1978年4月25日発売)です。アナログのB面では、YMO三人での初共演や偶然のシンクロも在って、横尾忠則との「コチンの月」(1978年9月20日発売)を経て、わずかな期間でYMOへと進んでしまいます。でも、あたくしが愛するのはタイトル曲などの細野さんの「うた」であり、衝撃のエンディングです。特に、今回のタイトルに引用した「はらいそ」の歌詞は、あたくしにとって永遠の「必殺の一行」なんです。此れこそが「虚構絶対主義宣言」でしょう。「現実」なんか、溶けてしまえば好いんだ。
怒濤の展開を魅せた1978年に、ライバル「大滝詠一」は一体何をしていたのかな?其れは「音頭」です。此の「ONDO」カテゴリの起点となるのは、「YMO」と「椎名林檎」が誕生した「1978年11月25日」に同じく産声をあげた「大滝さんの大傑作」に在るのですが、、、其れは、別項で。
(小島藺子)
初出「COPY CONTROL」2005-4-25、6-4〜6-7 全5回連作
初出「COPY CONTROL」2005-4-25、6-4〜6-7 全5回連作