nana.812.png

1998年10月05日

'99 旭化成キャンペーンガール発表会




在る意味、伝説のお披露目イベント。片瀬那奈ちゃんは若干16歳でのデビュー・イベントとは思えない堂々としたモデルぶりでしたが、うっかり水着のひもがほどける大ハプニング!も経験。翌日(10/6)のワイドショーで取り上げられ、天下の東京スポーツ芸能面にもカラー三弾抜きでデカク掲載されました。ちなみに、あたくしが片瀬クンを知ったのは、当然ですが其の「東スポ」です。

以下サンスポより引用。(ソース記事、消失)

「旭化成水着 キャンペーンガール 片瀬那奈さん 」

 女優・松嶋奈々子らを輩出した「旭化成」の水着キャンペーンガール。99年度、24代目のギャルに、東京在住の高校2年生、片瀬那奈=かたせ・なな(16)に決まり5日、都内でお披露目された。

 1メートル72の長身に、スラリと伸びた脚。おまけに上から86・59・87と高校生とは思えない完成されたプロポーションの片瀬は、舞台では約20回も水着を着替え、堂々と笑顔をふりまいていた。だが、終盤でうっかりブラジャーのひもが外れるハプニングも。胸を必死にガードして退場したあと、「緊張したぁ」とまだあどけない素顔を見せていた。「モデル、タレント、女優と幅広く挑戦したい」という。



(小島藺子)



posted by 栗 at 19:07| EVENT | 更新情報をチェックする

1998年10月09日

「FRIDAY」1998年10月23日号

片瀬0745.jpg


発行/講談社


巻末「This Week」に、モノクロ1/4頁(P83)で、「16歳キャンギャルのビキニがほどけた!!」が掲載されています。10月5日の「ハプニング」を報じた記事で、片瀬那奈ちゃんは後々まで因縁がつづく「写真週刊誌」初登場を果たしました。デビューが「東スポ」で、次が「FRIDAY」ってスゲェな。

『デビューした途端、「あのヒモパラの」の肩書を獲得した那奈クン、さて次は「胸チラ」?それとも・・・・・・。』と、16歳の小娘(ちっちゃくないけど)相手に早くも好戦的な「FRIDAY」ちゃんでございます。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| MAGAZINE | 更新情報をチェックする

1998年10月29日

「ヤングサンデー」INDEX

ys-1998.jpg


発行/小学館


1998年 No.48(11月12日号)で、表紙とグラビア(ビキニ)10頁で初登場。2002年 No.23(5月23日号:グラビア卒業宣言)まで「ヤンサン生まれのヤンサン育ち」としてグラビア時代最多登場を果たした那奈ヲタ御用達雑誌だった。以下、不完全リスト。各詳細はいずれ。

 1998年 No.48(11月12日号)表紙+10頁/ビキニ
 1999年 No.16(4月1日号 )表紙+ピンナップ +7頁/ビキニ
 1999年 No.31(7月15日号 )表紙+9頁 /ビキニ
 1999年 No.51(12月2日号 )表紙+9頁 /キャミソール
 2000年 No.19(4月20日号 )表紙+11頁/ビキニ、セクシーショット
 2000年 No.39(9月7日号 )表紙+ピンナップ +7頁/キャミソール
 2000年 No.52(12月7日号 )ピンナップ/キャミソール
 2000年 No.53(12月14日号)表紙+7頁/キャミソール
 2001年 No.27(6月21日号)表紙+8頁/ホットパンツ
 2002年 No.09(2月14日号)表紙+7頁/短パン
 2002年 No.23(5月23日号)表紙+7頁/セクシー集大成

 [番外] 2003年 No.12(3月6日号)ピンナップ(歌手デビュー後のパブでグラビアでは無い)


1998年11月の掲載雑誌:11/05 「週刊文春」、11/10 「メンズウォーカー」、11/17 「週刊プレイボーイ」、11/末 「ターザン」、他。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 00:07| MAGAZINE | 更新情報をチェックする