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2026年01月25日
カリブ/CBSに移籍して、第1弾で通算27作目のアルバム「L.A.(LIGHT ALBUM)」を、1979年3月19日にリリースしたビーチ・ボーイズですが、全米100位・全英32位といきなり落ち込みました。絶不調まっしぐらだったブライアン・ウィルソンは、ブルース・ジョンストンを呼び戻してプロデュースを任せたのですけれど、アルバム「L.A.(LIGHT ALBUM)」はソロの寄せ集めの様な出来栄えで、もっとも注目されたのが、1967年リリースのアルバム「WILD HONEY」に収録していた「HERE COMES THE NIGHT」の10分以上もあるディスコ・ヴァージョンでした。当時はディスコ・ブームだったとは云え、アルバムの目玉が12年前の曲の長尺ディスコ・ヴァージョンでは困ったちゃんなのです。カリブ/CBSとの契約では「ブライアン・ウィルソンが全体の75%以上関与する事」となっていたので、苦肉の策で過去の楽曲のロング・ヴァージョンを収録したのでしょう。「HERE COMES THE NIGHT」が10分以上あるので、他にブライアン・ウィルソンが関わった「GOOD TIMIN'」と「SHORTENIN' BREAD」の合わせて3曲しか関与していないけれど、全体で41分半のアルバムの内16分位はブライアン・ウィルソンですよ、と云うわけなのでしょうけれど、それにしたって全体の50%にも満たないのです。マイク・ラヴが未発表となったソロ・アルバム「FIRST LOVE」(何と安直なタイトル!)用の「SUMAHAMA」を流用したり、アル・ジャーディンが当時の妻に捧げた「LADY LYNDA」を収録したり、デニス・ウィルソンは未発表となった2作目のソロ・アルバム「BAMBU」から2曲も転用していたり、全くまとまりがないアルバムとなってしまったので、全米100位も仕方ないのですが、逆に英国では全英32位まで上がったのが不思議です。英国ではシングル・カットした「LADY LYNDA」が全英7位とヒットしてもいるので、それに引っ張られたのでしょうか。
しかしながら、移籍したカリブ/CBSとしては、全米100位では困ったちゃんでは済まされないわけで、兎に角、契約通りにブライアン・ウィルソンが75%以上関わったアルバムを出せ!と命じたのです。それで、1980年3月24日に、ビーチ・ボーイズの移籍第2弾で通算28作目のアルバム「KEEPIN' THE SUMMER ALIVE」を、ブラザー/カリブ/CBSからリリースしたのです。内容は、A面が、1「KEEPIN' THE SUMMER ALIVE」、2「OH DARLIN'」、3「SOME OF YOUR LOVE」、4「LIVIN' WITH A HEATACHE」、5「SCHOOL DAY(RING! RING! GOES THE BELL)」で、B面が、1「GOIN' ON」、2「SUNSHINE」、3「WHEN GIRLS GET TOGETHER」、4「SANTA ANA WINDS」、5「ENDLESS HARMONY」の、全10曲入りです。作者は、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴの共作が5曲(「OH DARLIN'」、「SOME OF YOUR LOVE」、「GOIN' ON」、「SUNSHINE」、「WHEN GIRLS GET TOGETHER」)、ブライアン・ウィルソンとアル・ジャーディンの共作が1曲(「SANTA ANA WIND」)、カール・ウィルソンとランディ・バックマンの共作が2曲(「KEEPIN' THE SUMMER ALIVE」、「LIVIN' WITH A HEATACHE」)、ブルース・ジョンストン作が1曲(「ENDLESS HARMONY」)、カバーが1曲(「SCHOOL DAY(RING! RING! GOES THE BELL)」)です。リード・ヴォーカルは、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴが1曲(「WHEN GIRLS GET TOGETHER」)、ブライアン・ウィルソンとカール・ウィルソンとマイク・ラヴが2曲(「GOIN' ON」、「SUNSHINE」)、カール・ウィルソンとマイク・ラヴが2曲(「OH DARLIN'」、「SOME OF YOUR LOVE」)、カール・ウィルソンが2曲(「KEEPIN' THE SUMMER ALIVE」、「LIVIN' WITH A HEATACHE」)、カール・ウィルソンとブルース・ジョンストンが1曲(「ENDLESS HARMONY」)、アル・ジャーディンが1曲(「SCHOOL DAY(RING! RING! GOES THE BELL)」)、カール・ウィルソンとマイク・ラヴとアル・ジャーディンが1曲(「SANTA ANA WIND」)です。
プロデュースは前作アルバム「L.A.(LIGHT ALBUM)」に続いて、復帰したブルース・ジョンストンです。ブライアン・ウィルソンは依然として絶不調で、過去の素材からも加えて何とか6曲に作者として名を連ねていて、全体の「60%」ではあるものの、前作よりは契約に近づいてはいます。とは云え「WHEN GIRLS GET TOGETHER」は1970年リリースのアルバム「SUNFLOWER」の時にレコーディングした曲で、デニス・ウィルソンはその曲でしかマトモにはレコーディングに参加していません。つまり、1983年12月28日にデニス・ウィルソンは亡くなってしまうので、最後に参加したビーチ・ボーイズのアルバムとなり、すなわちオリジナルのビーチ・ボーイズによるアルバムはこれが最後となってしまいます。このアルバム「KEEPIN' THE SUMMER ALIVE」は、何とかブライアン・ウィルソンが関与した楽曲を全体の半数以上にしているだけではなく、全体のイメージはかつての「夏だ!海だ!ビーチ・ボーイズだ!」路線への回帰が伺えます。しかしながら、1980年にもなって今更1960年代前半の路線に戻されても、だったら昔の若かりし頃のビーチ・ボーイズを聴けば良い、で終わってしまいます。アルバム「KEEPIN' THE SUMMER ALIVE」は、新旧のが楽曲を集めたものの、一貫したテーマがあるトータル・アルバムであって、それは1966年リリースのアルバム「PET SOUNDS」にも通じています。つまり、サーフィンとホット・ロッド時代の1960年代前半の路線を、1960年代後半のトータル・アルバムの様に並べたアルバムなのです。チャック・ベリーの「SCHOOL DAY(RING! RING! GOES THE BELL)」をカバーしているのも、デビュー当時に立ち返っています。ジャケットが示す通り、ビーチ・ボーイズは南極でも夏なんだぜ、と云う趣向なのですが、無情にもアルバムの成績は全米75位・全英54位と沈没してしまいました。シングル・カットした「GOIN' ON / ENDLESS HARMONY」は全米83位で、「LIVIN' WITH A HEATACHE / SANTA ANA WIND」はチャート入りせず、評論家からもそれ以上なく酷評されました。アルバム「KEEPIN' THE SUMMER ALIVE」は、単体と、次作アルバム「THE BEACH BOYS」との「2 in 1」でCD化されています。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
FAB4
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テレ朝チャンネル2 22:00〜0:00
内山理名 AS 布川麻奈美
「十万分の一の偶然」の、今年2回目の再放送です。今は亡き田村正和さんが主人公のルポライターを演じて、冒頭で中谷美紀さんが演じた娘が交通事故で死んでしまいます。その事故現場を偶然に撮影し賞を取った高嶋政伸さんが演じたカメラマンに主人公は疑念を抱き、身分を偽って接近して追い詰めてゆきます。理名ちゃんが演じた麻奈美は、事故の唯一の生存者で目撃者でもある人物が入院した病院の看護師ですが、実はカメラマンの愛人で共犯者でもあり、目撃者も殺されてしまいます。理名ちゃんは、こうした悪女役も上手いんですけれど、刑事役が内藤剛志さんで、理名ちゃんとは共演が多く、理名ちゃんは刑事の相棒だったり、犯人だったり、重要参考人だったり、娘だったりして、内藤さんは大抵は刑事役なので、一寸混乱します。果たして、主人公は娘の死の謎を解明できるのか、と云った内容です。主人公の娘の少女時代を、当時12歳だった久保田紗友ちゃんが演じています。成長した娘役の中谷美紀さんは、那奈ちゃんの3代目につづく、4代目「きれいなおねえさん」です。3代目の那奈ちゃんは、初代、2代目、5代目との共演はありますが、4代目とはありません。
(姫川未亜/小島イコ)
posted by 栗 at 22:00|
RINA
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ファミリー劇場 11:30〜21:05
第6話「運命大作戦!W不倫夫婦に奇想天外の家爆売りGO!」
内山理名 AS 八十多つぐみ(第6話ゲスト)
「家売るオンナの逆襲」第6話の、今年初めての再放送です。理名ちゃんが演じたつぐみさんは、W不倫カップルの奥さん役です。ソレで、夫役は「24 JAPAN」のアレクシスなんですけれど、理名ちゃんは、アンドレとも、ビクターとも、民三とも、氷川七々美とも、テロリストのほとんどと共演しています。全話一挙再放送ですけれど、第6話だけ観たい場合は、16時位をめどに観ればよろしいでしょう。
(姫川未亜)
posted by 栗 at 11:30|
RINA
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2026年01月24日
1978年10月2日にリリースした通算26作目のアルバム「M.I.U. ALBUM」を最後に、ビーチ・ボーイズはワーナー/リプリーズと契約を満了して、カリブ/CBSと新たに契約しました。ワーナー/リプリーズへの置き土産だったアルバム「M.I.U. ALBUM」は、全米151位と沈没して、シングル・カットした「PEGGY SUE / HEY, LITTLE TOMBOY」も全米59位・全英46位と低迷してしまいました。それでも新たにカリブと契約したので、心機一転と行きたかったものの、移籍後に発表しようと考えていた曲もアルバム「M.I.U. ALBUM」を何とか完成させる為に収録してしまったので、新作アルバムへのネタは不足していました。アルバム「M.I.U. ALBUM」では、デニス・ウィルソンとカール・ウィルソンはほとんどレコーディングに参加していなかったので、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴとアル・ジャーディンの3人で完成させていて、おまけにブライアン・ウィルソンは再び精神疾患が悪化していました。カリブとの契約では、新作アルバムの「75%はブライアン・ウィルソンが手掛ける」となっていたのですけれど、パッパラパー状態で、ドラッグ、アルコール、煙草、過食、の自堕落な生活に逆戻りした上に、14年連れ添った妻であったマリリン・ウィルソンとも離婚してしまい、お先真っ暗なブライアン・ウィルソンが新作アルバムをプロデュースする事は不可能でした。ところが、幾らパッパラパー状態になっていても、ブライアン・ウィルソンには他の人間では考え付かない突破口を見つける事は可能だったのです。ブライアン・ウィルソンは、自分が新作アルバムをプロデュース出来ないと云う自覚はあったので、なんと、元・ビーチ・ボーイズのメンバーだったブルース・ジョンストンを呼び戻して、新作アルバムのプロデュースと、ビーチ・ボーイズへの再加入を打診したのです。そうして、ブルース・ジョンストンが中心となり、ビーチ・ボーイズとジェームズ・ガルシオも共同プロデュースするカタチで、移籍第1弾で通算27作目のアルバム「L.A.(LIGHT ALBUM)」を、1979年3月19日にブラザー/カリブ/CBSからリリースしたのです。
結果から云えば、このアルバム「L.A.(LIGHT ALBUM)」は、全米100位・全英32位と惨敗しました。それにしても、前作が「M.I.U. ALBUM」で、今作は「L.A.(LIGHT ALBUM)」って、タイトルが安直過ぎます。アルバム「L.A.(LIGHT ALBUM)」の内容は、A面が、1「GOOD TIMIN'」、2「LADY LYNDA」、3「FULL SAIL」、4「ANGEL COME HOME」、5「LOVE SURROUND ME」、6「SUMAHAMA」で、B面が、1「HERE COMES THE NIGHT」、2「BABY BLUE」、3「GOIN' SOUTH」、4「SHORTENIN' BREAD」の、全10曲入りです。作者は、ブライアン・ウィルソンとカール・ウィルソンの共作が1曲(「GOOD TIMIN'」)、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴの共作が1曲(「HERE COMES THE NIGHT」)、カール・ウィルソンとジェフリー・カッシング・マレーの共作が3曲(「FULL SAIL」、「ANGEL COME HOME」、「GOIN' SOUTH」)、デニス・ウィルソンとジェフリー・カッシング・マレーの共作が1曲(「LOVE SURROUND ME」)、デニス・ウィルソンとグレッグ・ジェイコブソンとカレン・ラムの共作が1曲(「BABY BLUE」)、アル・ジャーディンとロン・アルトバッハの共作が1曲(「LADY LYNDA」)、マイク・ラヴが1曲(「SUMAHAMA」)、カバーが1曲(「SHORTENIN' BREAD」)です。リード・ヴォーカルは、カール・ウィルソンが4曲(「GOOD TIMIN'」、「FULL SAIL」、「HERE COMES THE NIGHT」、「GOIN' SOUTH」)、カール・ウィルソンとデニス・ウィルソンが2曲(「BABY BLUE」、「SHORTENIN' BREAD」)、デニス・ウィルソンが2曲(「ANGEL COME HOME」、「LOVE SURROUND ME」)、アル・ジャーディンが1曲(「LADY LYNDA」)、マイク・ラヴが1曲(「SUMAHAMA」)、です。ブライアン・ウィルソンが関わっているのは、「GOOD TIMIN'」と「HERE COMES THE NIGHT」と「SHORTENIN' BREAD」の3曲だけで、ズバリ云って全体の「75%」どころか「25%」以下しかありませんので、よく契約違反だと云われなかったものです。
しかも、その3曲共に新たに書き下ろした楽曲ではなく、「GOOD TIMIN'」は1974年作で、「SHORTENIN' BREAD」は1977年の未発表アルバム「ADULT/CHILD」用で、「HERE COMES THE NIGHT」は1967年のアルバム「WILD HONEY」に収録した曲をディスコ・アレンジにしたリメイクです。その「HERE COMES THE NIGHT」のディスコ・ヴァージョンは、10分を超える長尺版となっていて、ブルース・ジョンストンとカート・ベッチャーがプロデュースしています。この二人は1977年のブルース・ジョンストンのソロ・アルバム「GOING PUBLIC」でも「PIPELINE」をディスコ・アレンジにしていたし、当時はディスコ・ブームだったのでやらかしたわけですが、ビーチ・ボーイズのイメージには全く合っていません。ビージーズみたいに、ディスコに路線変更して大成功するとでも思ったのでしょうか。他の曲もソロの寄せ集めの様なもので、マイク・ラヴがチャンキー・ミュージックで日本語も交えて歌う「SUMAHAMA」は、元々はソロ・アルバム「FIRST LOVE」用だったし、アル・ジャーディンがバッハを引用して当時の妻に捧げた「LADY LYNDA」は佳曲ではあるものの、やはりソロに近いし、デニス・ウィルソンが書いた「LOVE SURROUND ME」と「BABY BLUE」の2曲は、デニス・ウィルソンの未発表ソロ・アルバム「BAMBU」からそのまんま転用しています。故に、カール・ウィルソンが書いた3曲(「FULL SAIL」、「ANGEL COME HOME」、「GOIN' SOUTH」)が、このアルバム用に書かれた曲だと云っても宜しいでしょう。シングル・カットは、「HERE COMES THE NIGHT / BABY BLUE」が全米44位・全英37位で、「GOOD TIMIN' / LOVE SURROUND ME」が全米40位で、「LADY LYNDA / FULL SAIL」が全英7位となっていて、英国では「LADY LYNDA」が大ヒットしたのですが、個人名を出したので、アル・ジャーディンはその後に離婚して「LYNDA」とは歌えなくなってしまいます。個々の楽曲単位ならば聴きどころはあるものの、やはり、まとまりがない散漫なアルバムとなっています。それにしても、それぞれの楽曲のイメージを、別々のイラストレーターが描いて並べたジャケットでの「SUMAHAMA」のトンデモ日本イメージ画は、トホホですなあ。アルバム「L.A.(LIGHT ALBUM)」は、単体と、前作アルバム「M.I.U. ALBUM」との「2 in 1」でCD化されています。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
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2026年01月23日

1977年4月にリリースした25作目のアルバム「LOVE YOU」が、全米53位・全英28位と内容の素晴らしさに反して良い成績を残せなかったビーチ・ボーイズですが、ブライアン・ウィルソン、デニス・ウィルソン、カール・ウィルソン、マイク・ラヴ、アル・ジャーディン、の結成当時のメンバーに戻ってはいました。アルバム「LOVE YOU」は、元々はブライアン・ウィルソンのソロ・アルバム「BRIAN LOVE YOU」から発展してもので、共作を含めた全曲をブライアン・ウィルソンが書いていて、アレンジも演奏も全てブライアン・ウィルソンが行い、プロデュースもブライアン・ウィルソンが手掛けていたのですが、アルバムは低迷して、シングル・カットした「HONKIN' DOWN THE HIGHWAY / SOLAR SYSTEM」はチャート入りすらしていません。それでは、ワーナー/リプリーズは最早ビーチ・ボーイズと契約している意味がなくなってしまいました。レコード会社が期待したのはブライアン・ウィルソンの復活でしたが、いざ復活したのにアルバムが売れないのではお先真っ暗なのです。同1977年5月には元メンバーであったブルース・ジョンストンがソロ・アルバム「GOING PUBLIC」をリリースして高評価を得ていて、同年8月にはデニス・ウィルソンがソロ・アルバム「PACIFIC OCEAN BLUE」をリリースして一部では絶賛されてもいて、バンド内の人間関係は最悪だったそうです。そんな中で、ビーチ・ボーイズはレコーディングを続けていて、アルバム「ADULT/CHILD」と、アルバム「MERRY CHRISTMAS FROM THE BEACH BOYS」を制作しますが、どちらも未発表となっています。1978年8月28日には、新たなアルバムからの先行シングルとして「PEGGY SUE / HEY, LITTLE TOMBOY」をリリースしますが、全米59位・全英46位と振るわず、先行きが危ぶまれました。当時のビーチ・ボーイズは、デニス・ウィルソンとカール・ウィルソンが、マイク・ラヴとアル・ジャーディンと対立していて、バンドの解散危機となった事で、ブライアン・ウィルソンは再びドラッグ、アルコール、煙草、過食に溺れて、新作アルバムはアル・ジャーディンとマイク・ラヴとブライアン・ウィルソンの3人がほとんどを制作する事となりました。ビーチ・ボーイズとしても移籍を考えていたので、ワーナー/リプリーズとのもう1作の契約を守る為に捻り出したわけです。
そして、1978年9月25日にビーチ・ボーイズの通算26作目のアルバム「M.I.U. ALBUM」が、ブラザー/リプリーズからリリースされたのです。結果から云えば、このアルバム「M.I.U. ALBUM」は、全米151位と商業的には大失敗作となり、内容もビーチ・ボーイズ史上最低最悪とされてしまいました。プロデュースはアル・ジャーディンと、ツアー・メンバーだったロン・アルトバックで、前述の通りブライアン・ウィルソンとアル・ジャーディンとマイク・ラヴの3人しか参加していない楽曲がほとんどで、ブライアン・ウィルソンも再びパッパラパー状態の混乱の中で制作されています。ブライアン・ウィルソンは、一応「エグゼクティブ・プロデューサー」となっています。タイトルの「M.I.U. ALBUM」とは、マイク・ラヴの提案で「マハリシ国際大学(M.I.U.)」でレコーディングされた音源が多いから付けられたものですが、中には未発表アルバム「ADULT/CHILD」や、同じく未発表アルバム「MERRY CHRISTMAS FROM THE BEACH BOYS」用にレコーディングしたバッキング・トラックを流用した楽曲も含まれています。内容は、A面が、1「SHE'S GOT RHYTHM」、2「COME GO WITH ME」、3「HEY, LITTLE TOMBOY」、4「KONA COAST」、5「PEGGY SUE」、6「WONTCHA COME OUT TONIGHT?」で、B面が、1「SWEET SUNDAY」、2「BELLES OF PARIS」、3「PITTER PATTER」、4「MY DIANE」、5「MATCH POINT OF OUR LOVE」、6「WIND OF CHANGE」の、全12曲入りです。作者は、ブライアン・ウィルソンが2曲(「HEY, LITTLE TOMBOY」、「MY DIANE」)、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴの共作が3曲(「WONTCHA COME OUT TONIGHT?」、「SWEET SUNDAY」、「MATCH POINT OF OUR LOVE」)、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴとロン・アルトバックの共作が2曲(「SHE'S GOT RHYTHM」、「BELLES OF PARIS」)、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴとアル・ジャーディンの共作が1曲(「PITTER PATTER」)、マイク・ラヴとアル・ジャーディンの共作が1曲(「KONA COAST」)、ロン・アルトバックとエド・トゥレジャの共作が1曲(「WIND OF CHANGE」)、カバーが2曲(「COME GO WITH ME」、「PEGGY SUE」)です。
リード・ヴォーカルは、ブライアン・ウィルソンが1曲(「MATCH POINT OF OUR LOVE」)、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴが2曲(「SHE'S GOT RHYTHM」、「WONTCHA COME OUT TONIGHT?」)、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴとカール・ウィルソンが1曲(「HEY, LITTLE TOMBOY」)、カール・ウィルソンが1曲(「SWEET SUNDAY」)、デニス・ウィルソンが1曲(「MY DIANE」)、アル・ジャーディンとマイク・ラヴが4曲(「COME GO WITH ME」、「KONA COAST」、「PITTER PATTER」、「WIND OF CHANGE」)、アル・ジャーディンが1曲(「PEGGY SUE」)、マイク・ラヴが1曲(「BELLES OF PARIS」)、となっております。作者やリード・ヴォーカルでも分かる通り、このアルバム「M.I.U. ALBUM」には、デニス・ウィルソンとカール・ウィルソンがほとんど参加しておらず、ブライアン・ウィルソンも絶不調状態に逆戻りしてしまったので、アル・ジャーディンとマイク・ラヴが前面に出ています。だからダメダメ盤なのかと云えばそうとも云えず、デル・ヴァイキングスのカバー曲である「COME GO WITH ME」は、1981年11月2日にベスト・アルバム「TEN YEARS OF HARMONY」からのシングル・カット(B面は「DON'T GO NEAR THE WATER」)としてリリースされて、全米18位・全英11位とヒットしています。とは云え、肝心なウィルソン3兄弟の内で、デニス・ウィルソンとカール・ウィルソンはほとんど参加しておらず、ブライアン・ウィルソンも半病人状態では、バンドとしてのビーチ・ボーイズは成り立ちません。挙句に、ブライアン・ウィルソン作でデニス・ウィルソンが歌っている「MY DIANE」は、元・ハニーズで元・アメリカン・スプリングでブライアン・ウィルソンの妻だったマリリン・ウィルソンと姉妹であるダイアン・ローヴェルとブライアン・ウィルソンの不倫関係を曲にしているのです。このアルバム「M.I.U. ALBUM」がリリースされた時に、ブライアン・ウィルソンとマリリン・ウィルソンは離婚していますが、そりゃあ、そうなりますわなあ。アルバム「M.I.U. ALBUM」は、単体と、次作アルバム「L.A.(LIGHT ALBUM)」との「2 in 1」でCD化されています。
(小島イコ)
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2026年01月22日

1977年のビーチ・ボーイズは、4月11日にブラザー/リプリーズから25作目のアルバム「LOVE YOU」をリリースしました。しかしながら、それはビーチ・ボーイズのアルバムと云うよりも、復調していたブライアン・ウィルソンのソロ・アルバム「BRIAN LOVE YOU」を元にした内容だったので、ブライアン・ウィルソンが共作も含めた全ての楽曲を書いて、シンセサイザーを中心にして全ての演奏も行っていて、ブライアン・ウィルソンのソロ・アルバムに限りなく近い内容となっていました。アルバム「LOVE YOU」は、内容は素晴らしいものの、全米53位・全英28位と振るわず、シングル・カットした「HONKIN' DOWN THE HIGHWAY / SOLAR SYSTEM」はチャート入りしていません。一方、ビーチ・ボーイズを脱退していたブルース・ジョンストンは、同年5月にソロ・アルバム「GOING PUBLIC」をコロムビアからリリースしていて、ビーチ・ボーイズ時代にブライアン・ウィルソンと共作した「DEIRDRE」と、単独作「DISNEY GIRLS」のセルフ・カバーや、元々はキャプテン&テニールに提供して、バニー・マニロウが歌って全米首位!となりグラミー賞を受賞した「I WRITE THE SONGS」もセルフ・カバーして、高評価を得ていました。そして、同1977年8月22日にデニス・ウィルソンは初のソロ・アルバム「PACIFIC OCEAN BLUE」を、カリブ/CBSからリリースしたのです。ビーチ・ボーイズのメンバーでは唯一の本物のサーファーだったデニス・ウィルソンは、リーダーで兄であるブライアン・ウィルソンがアルバム「SMiLE」の頓挫から精神疾患となってしまった1960年代後半から徐々に曲作りが上手くなっていて、1968年のアルバム「FRIENDS」での「LITTLE BIRD」と「BE STILL」辺りから頭角を現して、1969年のアルバム「20/20」では「BE WITH ME」と「ALL I WANT TO DO」と「NEVER LEARN NOT TO LOVE」の3曲を書いて、1970年のアルバム「SUNFLOWER」では名曲「FOREVER」を書いて、1972年のアルバム「CARL AND THE PASSIONS “SO TOUGH”」では「CUDDLE UP」を書くなど、兄であるブライアン・ウィルソンも認めた才能を開花させたのでした。
そんなデニス・ウィルソンが満を持して発表したソロ・アルバム「PACIFIC OCEAN BLUE」の内容は、A面が、1「RIVER SONG」、2「WHAT'S WRONG」、3「MOONSHINE」、4「FRIDAY NIGHT」、5「DREAMER」、6「THOUGHTS OF YOU」で、B面が、1「TIME」、2「YOU AND I」、3「PACIFIC OCEAN BLUE」、4「FAREWELL MY FRIEND」、5「RAINBOWS」、6「END OF THE SHOW」の、全12曲入りです。このアルバム「PACIFIC OCEAN BLUE」はリリース当時は賛否両論で、全米96位までしか上がっていませんが、後に傑作アルバムであると再評価されています。ブライアン・ウィルソンは、デニス・ウィルソンがアルバムをレコーディングして最初にラフミックス音源を聴かされたらしく、その完成度の高さに驚き、感動して泣いたとも云われています。アルバム「PACIFIC OCEAN BLUE」は、全ての曲を共作も含めてデニス・ウィルソンが書いて、アレンジも担当して、演奏も、リード&バッキング・ヴォーカル、ピアノ、ハモンドオルガン、ARPシンセサイザー、ムーグベース、ミニムーグ、クラビネット、フェンダーローズ、ドラムス、パーカッション、ベースハーモニカ、チューバ、ヴァイオリン、ラップスティールギター、ビオラ、チェロ、とほとんどの楽器を演奏して、カール・ウィルソンやブルース・ジョンストンやリッキー・ファターと云ったビーチ・ボーイズに在籍したメンバーもバックアップしています。プロデュースはデニス・ウィルソンとグレッグ・ジェイコブソンで、グレッグ・ジェイコブソンはアルバムの半数でデニス・ウィルソンと共作もしています。アルバムからは「RIVER SONG / FAREWELL MY FRIEND」と「YOU AND I / FRIDAY NIGHT」がシングル・カットされましたが、どちらもチャート入りはしていません。当時のデニス・ウィルソンは創作意欲が旺盛で、アルバム「PACIFIC OCEAN BLUE」のリリース前に早くも次作アルバム「BAMBU」をレコーディングするのですが、そちらは未発表となっています。
アルバム「PACIFIC OCEAN BLUE」は、2008年6月17日に30周年記念盤がリリースされていて、そちらはCD2枚組となっています。CD1の、1「RIVER SONG」〜12「END OF THE SHOW」の12曲は、アルバム「PACIFIC OCEAN BLUE」の本編全12曲で、ボーナス・トラックとして、13「TUG OF LOVE」、14「ONLY WITH YOU」、15「HOLY MAN」、16「MEXICO」と、4曲の未発表音源を加えた、全16曲入りです。問題はCD2で、こちらは未発表アルバム「BAMBU」でのセッション音源が公式盤で聴ける様になっています。内容は、1「UNDER THE MOONLIGHT」、2「IT'S NOT TOO LATE」、3「SCHOOL GIRL」、4「LOVE REMEMBER」、5「LOVE SURROUND ME」、6「WIND SITUATION」、7「COMMON」、8「ARE YOU REAL」、9「HE'S A BUM」、10「COCKTAILS」、11「I LOVE YOU」、12「CONSTANT COMPANION」、13「TIME FOR BED」、14「ALBUM TAG SONG」、15「ALL ALONE」、16「PIANO VARIATIONS ON THROUGHTS OF YOU」に、ボーナス・トラックで、17「HOLY MAN」を加えた全17曲入りで、合計33曲入りです。CD2の「BAMBU」セッション音源は、「ALL ALONE」以外の16曲は公式未発表音源でした。公式リリースをデニス・ウィルソンが望んでいた2作目のアルバム「BAMBU」も未完成ではあるものの完成度は高いので、これは公式盤2CDで購入する事をオススメします。CD2の最後に収録されている「HOLY MAN」は、CD1のボーナス・トラックでの未完成インストゥルメンタル曲に、フー・ファイターズのテイラー・ホーキンスがデニス・ウィルソン風のリード・ヴォーカルを、更にクイーンのブライアン・メイとロジャー・テイラーがバッキング・ヴォーカルを、それぞれオーバーダビングして完成させたヴァージョンです。この2CDのリイシュー盤は、全英16位になり、全米ビルボード・トップ・ポップ・カタログ・アルバム・チャートでは8位まで上がっています。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
FAB4
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那奈ちゃんが、VitaFeliceとコラボしたバッグを発売開始しました。リーズナブルなお値段なので、お手軽です。
(小島イコ/姫川未亜)
posted by 栗 at 22:00|
PRODUCE
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2014−9〜10、2024−12〜2026ー1
(小島イコ/姫川未亜)
posted by 栗 at 22:00|
CHIAKI
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2026年01月21日
1965年にリーダーであるブライアン・ウィルソンがライヴ活動を止めてしまったビーチ・ボーイズに、その代役として参加したのはグレン・キャンベルでした。しかし、グレン・キャンベルはビーチ・ボーイズの正式メンバーになる道を選ばず、その代役の代役としてブルース・ジョンストンが参加して、そのままビーチ・ボーイズの正式メンバーとなっています。そして、1965年7月5日にリリースされたビーチ・ボーイズのアルバム「SUMMER DAYS(AND SUMMER NIGHTS!!)」からレコーディングに参加していて、1966年5月16日リリースのアルバム「PET SOUNDS」に収録された「GOD ONLY KNOWS」などでは、ハッキリとブルース・ジョンストンの声が聴こえます。契約上の問題でアルバムのジャケットには掲載されていなかったものの、1968年6月24日にリリースされたアルバム「FRIENDS」ではイラストながらジャケットに載って、1968年8月19日リリースのカラオケ・アルバム「STACK-O-TRACKS」では写真が載って、1969年2月10日リリースのアルバム「20/20」ではブライアン・ウィルソンはいないのに、ブルース・ジョンストンはジャケットに載っています。そのアルバム「20/20」では、印象的なインストゥルメンタル曲「THE NEAREST FARAWAY PLACE」を書いて、1970年8月31日リリースのアルバム「SUNFLOWER」ではブライアン・ウィルソンとの共作曲「DEIRDRE」や単独作「TEARS IN THE MORNING」を書いて、1971年8月30日にリリースしたアルバム「SURF'S UP」では一撃必殺の名曲「DISNEY GIRLS(1957)」を書いて、充分以上にビーチ・ボーイズに貢献していました。ブルース・ジョンストンは1942年6月27日生まれなので、1942年6月20日生まれのブライアン・ウィルソンと同い年ですが、十代からプロのミュージシャンとして活躍していて、つまりプロとしてのキャリアはビーチ・ボーイズよりも前からあったのです。
しかし、ブルース・ジョンストンは当時のビーチ・ボーイズのマネジャーだったジャック・ライリーと確執があり、アルバム「SURF'S UP」を最後に、1972年にビーチ・ボーイズから脱退してしまいました。その後にビーチ・ボーイズは、迷走したり、リバイバルながら復活したり、再び迷走したりしたわけですが、ブライアン・ウィルソンの要望で1979年3月19日にリリースされるアルバム「L.A.(LIGHT ALBUM)」から復帰して、そのまま分裂後もマイク・ラヴと共に「ビーチ・ボーイズ」の看板を背負って活動しています。ビーチ・ボーイズ以前には、1962年6月に初のソロ・アルバム「SURFERS' PAJAMA PARTY」を、1963年7月には2作目のソロ・アルバム「SURFIN' ’ROUND THE WORLD」をリリースしていて、ドリス・デイの息子であるテリー・メルチャーと組んだ「ブルース&テリー」としても活躍していました。アルバム「SURFIN' ’ROUND THE WORLD」とベスト・アルバム「THE BEST OF BRUCE & TERRY」は持っていますが、思いっ切りサーフィン&ホット・ロッド路線で、テリー・メルチャーとはリップ・コーズ(1963年の「HEY LITTLE COBRA」は丸っきりビーチ・ボーイズ)を実質的にはブルース・ジョンストンとのプロジェクトでやっていたので、ビーチ・ボーイズに加入するのに違和感はありませんでした。ビーチ・ボーイズ脱退後の1975年にはカリフォルニア・ミュージックを結成していて、ブライアン・ウィルソンの復活にも手を貸しています。そんなブルース・ジョンストンが、1977年5月にコロムビアからリリースしたのが、3作目のソロ・アルバム「GOING PUBLIC」です。ビーチ・ボーイズでのメロウな路線に振り切った感じで、プロデュースはゲイリー・アッシャー、コーラス・アレンジはカート・ベッチャー、ホーンとストリングスのアレンジはボブ・アルシヴァー、と、鉄壁な布陣でレコーディングされています。
アルバム「GOING PUBLIC」の内容は、A面が、1「I WRITE THE SONGS」、2「DEIRDRE」、3「THANK YOU BABY」、4「RENDEZVOUS」、5「WON'T SOMEBODY DANCE WITH ME」で、B面が、1「DISNEY GIRLS」、2「ROCK AND ROLL SURVIVOR」、3「DON'T BE SCARED」、4「PIPELINE」の、全9曲入りです。作詞作曲は、ビーチ・ボーイズのセルフ・カバー曲である「DEIRDRE」がブライアン・ウィルソンとブルース・ジョンストンの共作で、「RENDEZVOUS」がブルース・ジョンストンとビル・ハドソンとブレット・ハドソンとマーク・ハドソンの4人による共作で、「WON'T SOMEBODY DANCE WITH ME」がリンジー・ディ・ポール作で、インストゥルメンタル曲「PIPELINE」はシャンティーズのカバーで、他の5曲(「I WRITE THE SONGS」、「THANK YOU BABY」、「DISNEY GIRLS」、「ROCK AND ROLL SURVIVOR」、「DON'T BE SCARED」)はブルース・ジョンストンの単独作です。「THANK YOU BABY」はブルース&テリー時代の曲のセルフ・カバーで、「DEIRDRE」と「DISNEY GIRLS」の2曲はビーチ・ボーイズ時代のセルフ・カバーです。そして「I WRITE THE SONGS」は、元々は1975年にキャプテン&テニールに提供した曲で、同年にブルース・ジョンストンのプロデュースでデヴィッド・キャシディがカバーして全英11位となり、更に同年にバニー・マニロウがカバーして全米首位!になり、グラミー賞を受賞した名曲のセルフ・カバーです。この曲は、フランク・シナトラが「I SING THE SONGS」と改題してカバーもしていて、ブルース・ジョンストンの代表作となりました。ビーチ・ボーイズ時代のセルフ・カバー「DEIRDRE」や、最後の「PIPELINE」などはディスコ風にアレンジされていて、特にしっとりした楽曲が多いアルバムの最後が「PIPELINE」のディスコ版となっている意味不明なところもあるのですが、ビーチ・ボーイズに復帰した後に「HERE COMES THE NIGHT」のディスコ・ヴァージョンをやらかしたりしているので、ブルース・ジョンストンはディスコもお好きなのでしょう。
(小島イコ)
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「第壱回・片瀬那奈・怪優グランプリ」のつづきの「千秋万歳」序章のつづきの西暦 2025年 西豪寺エレナと小島イコの会話
エレナ:ところで、大会のシナリオはどうなっているの?ウチの7戦全勝かしら?
イコ:いえ、勝負は時の運と云うか、一応シナリオは書いたものの、MZGはブック破りアリなので、上手く進むかどうかは分かりませんね。
エレナ:私と大久保千秋さんのメインはどうなの?
イコ:ブックなしです。
エレナ:あら、じゃあ本気で潰しちゃっていいのかしらん。
イコ:大久保千秋くんも同じ様な事を云っていますよ。
エレナ:生意気な小娘ね。マジでやって私に勝てるとでも思っているのかしらん。カンラカンラ。
イコ:いや、大久保千秋くんも強いんですよ。
エレナ:そんな事は分かっているけれど、私よりも強いとでも云うの?ちゃんちゃらおかしいわ。
イコ:過去のデータでは、エレナ様が2敗していますから、一般論としては大久保千秋くんの方が強いと思っているんじゃないですかね。
エレナ:過去の試合は、あくまでもプロレス内プロレスでしょう。ガチンコのセメントでやられたわけではないし、どちらも負けた私の方が目立っていたじゃないの。
イコ:ええ、確かにコアなファンは西豪寺エレナ様の底知れぬパワーを感じていて、最強なのは西豪寺エレナ様だと云う意見も多いですね。
エレナ:それを実戦で証明する時が来たわけね。
イコ:KNKGP3とMZGでの対・平山まどか先生との試合で、マジ・モードの西豪寺エレナ様の実力も充分に伝わったとは思いますよ。
エレナ:ブックなしで勝敗を決めずにやるのだったなら、私がアッサリと勝っちゃうわね。後は大久保千秋さんにも花を持たせる演出をどれ位入れるかでしょう。先日の平山まどかさんみたいに、ジェットコースターサドンデス一発で秒殺してもいいわよ。
イコ:いやいや、大久保千秋くん相手では、そんな油断は大敵ですよ。潰すなら潰すで、全力でガチンコでやってもらわないとね。
エレナ:さっき号外が出るとか云っていたけれど、私が勝つのなんて当たり前田のあっちょんぶりけなんだから、そんな事で号外なんか出ないでしょう。
イコ:う〜ん、一応、大久保千秋くんは不敗神話があるんですよ。実戦ではこれまでシングルでは一度も負けた事がないわけで、初代・タイガーマスクみたいに神格化されています。西豪寺エレナ様の恐ろしさを知るのは、一部のコアなファンだけなんですよ。
エレナ:ふ〜ん、じゃあ、今度の試合で一般人にも私の強さが広まるわけね。
西暦 2025年 西豪寺エレナと美月うららの会話
美月:本日は何の御用でしょうか?
エレナ:次回のウチの大会でのブックの打ち合わせです。
美月:MZGはブック破りアリですよ。
エレナ:そんな我がままは許しません。MZGでの試合では好き勝手にやってもらっても結構ですけれど、ウチのリングではプロレスリング・エレナのやり方を守ってもらいます。
美月:まあ、一応、選手たちには忠告しておきますけれど、メインエベントはブックなしって本当なんですか?
エレナ:ええ、大久保千秋さんと私の試合でしょ?セメントでやらせて頂きます。
美月:どちらが勝つにせよ、負けた方のダメージやイメージ・ダウンは避けれませんわね。
エレナ:私が勝ったなら、大久保千秋さんどころか、MZGがぶっ潰れてしまうかもしれないでしょうね。
美月:お手柔らかにお願い致します。まだ旗揚げしたばかりなんですからね。
エレナ:手抜きなしで、キッチリと潰してあげましょう。
西暦 2025年 美月うららと大久保千秋の会話
美月:次回のメインはブックなしのセメントだって西豪寺エレナ様が云ってましたけれど、自信はあるの?
千秋:そのまんま西豪寺エレナ様にお返ししたいですね。私とブックなしのセメントでやるなんて、無謀過ぎます。キッチリと潰しちゃっていいんですか?
美月:西豪寺エレナ様はMZGの大スポンサーでもあるから、潰されちゃっても困りますね。
千秋:それと勝負は別です。私だって西豪寺エレナ様の怖さは過去の対戦で知っています。いい加減な気持ちで戦ったなら、私が潰されてしまいますよ。
美月:そうね。思いっ切り向かってもらうしかないわね。
西暦 2025年 美月うららと小島イコの会話
美月:リハーサルなんてやらなくてもいいですわよ。
イコ:いえいえ、メインエベント以外はキッチリとリハーサルをやってもらってですね、ブック通りに進行してもらわないと困ります。それをVTRに録画して、実戦と比べてブック破りを検証して、ギャラに反映します。
美月:演劇じゃないんだから。私たちがやっているのはプロレスですわよ。
イコ:だから、ブック破りをしてもらってもいいんですよ。経過も結果も面白くなるのなら、アドリブやアレンジは大いに結構です。全7試合ですから、アンダーの6試合で3勝3敗になる様に上手く調整してもらうとですね、メインエベントが盛り上がりますしね。
美月:結局は、メインエベントの「大久保千秋 VS 西豪寺エレナ様」に全てがかかっているのね。
イコ:そうなりますね。ブックなしですし、新しいプロレスが誕生する予感がビッシビシしますね。
以 下、「COMING UP」につづく
DEMO 2014−10−25
MIX 2026−1−21
(小島イコ/姫川未亜)
空想格闘メタフィクション
「千秋万歳」第2部第2章
COMING UP其の一 恋のダイアモンド・リング(上)THIS DIAMOND !
HEY EVERYBODY
GOT BACK !
ON 2026・2・X
SINCE 2013・11・7
DE IMAGEN NO INC. A CADA*** CON AMOR
posted by 栗 at 22:00|
CHIAKI
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2026年01月20日

1974年6月24日にキャピトルからリリースしたベスト・アルバム「ENDLESS SUMMER」が全米首位!となり、翌1975年4月14日にキャピトルからリリースした第2弾ベスト・アルバム「SPIRIT OF AMERICA」も全米7位となったビーチ・ボーイズは、その勢いに乗って、1976年7月5日に通算24作目の新作アルバム「15 BIG ONES」をリリースして、全米8位・全英31位となり、先行シングルで初心に帰ったチャック・ベリーのカバー曲「ROCK AND ROLL MUSIC」は全米5位となり、現役バンドとしても復活しました。アルバム「15 BIG ONES」は、1966年のアルバム「PET SOUNDS」以来、11年ぶりにブライアン・ウィルソンが単独名義でプロデュースした作品で、メンバーも、ブライアン・ウィルソン、デニス・ウィルソン、カール・ウィルソン、マイク・ラヴ、アル・ジャーディン、とオリジナル5人によってレコーディングされました。しかしながら、アルバム「15 BIG ONES」は精神疾患から徐々に回復しつつあったブライアン・ウィルソンを前面に出してはいたものの、新曲が足りないと云う理由からカバー8曲にオリジナル7曲と云う構成になっていて、些かまとまりに欠けていました。ブライアン・ウィルソンの主治医だった精神科医のユージン・ランディは、音楽を制作する事がリハビリになると唱えていて、ブライアン・ウィルソンはソロ・アルバム「BRIAN LOVE YOU」を、ポリフォニック・シンセサイザーを用いてほとんどを自分だけでレコーディングしつつ、ビーチ・ボーイズ用に「THE NEW ALBUM」と云う仮題のアルバムも制作していました。更にブライアン・ウィルソンのソロ・アルバムとして、アルバム「ADULT/CHILD」の制作も始めていました。結果的に、アルバム「BRIAN LOVE YOU」からほとんどの曲を流用して、アルバム「THE NEW ALBUM」からは「HONKIN' DOWN THE HIGHWAY」だけを流用して、1977年4月11日にブラザー/リプリーズから、ビーチ・ボーイズの通算25作目のアルバム「LOVE YOU」としてリリースしたのです。結果は、全米53位・全英28位と伸び悩んだのですが、元々がブライアン・ウィルソンのソロ・アルバムだったので、全ての曲をブライアン・ウィルソンが単独もしくは共作していていて、プロデュースもブライアン・ウィルソン単独名義です。
演奏もシンセサイザーを駆使して全ての楽器をブライアン・ウィルソンが演奏していて、他のビーチ・ボーイズのメンバーは歌とコーラスでしか参加していません。つまり、1966年のアルバム「PET SOUNDS」と同じ手法なのです。但し、アルバム「PET SOUNDS」の時にはブライアン・ウィルソンが指示してセッション・ミュージシャンに演奏させていたのですが、シンセサイザーを使う事で演奏もブライアン・ウィルソンが自分ひとりで出来る様になったのです。当時のビーチ・ボーイズは、デニス・ウィルソンはソロ・アルバム「PACIFIC OCEAN BLUE」をレコーディングしていて、カール・ウィルソンはリッチ・マーティンのアルバム「BEACHED」をプロデュースしていて、マイク・ラヴは「TRANSCENDENTAL MEDITATION」に没頭していて、アル・ジャーディンは家族と穏やかに暮らしていて、つまりは、ブライアン・ウィルソンがスタジオでひとりでレコーディングする事を止めるメンバーはいなかったのです。アルバム「LOVE YOU」の内容は、A面が、1「LET US GO ON THIS WAY」、2「ROLLER SKATING CHILD」、3「MONA」、4「JOHNNY CARSON」、5「GOOD TIME」、6「HONKIN' DOWN THE HIGHWAY」、7「DING DANG」で、B面が、1「SOLAR SYSTEM」、2「THE NIGHT WAS SO YOUNG」、3「I'LL BET HE'S NICE」、4「LET'S PUT OUR HEARTS TOGETHER」、5「I WANNA PICK YOU UP」、6「AIRPLANE」、7「LOVE IS A WOMAN」の、全14曲入りです。この内、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴの共作が1曲(「LET US GO ON THIS WAY」)、ブライアン・ウィルソンとアル・ジャーディンの共作が1曲(「GOOD TIME」)、ブライアン・ウィルソンとロジャー・マッギンとの共作が1曲(「DING DANG」)で、他の11曲(「ROLLER SKATING CHILD」、「MONA」、「JOHNNY CARSON」、「HONKIN' DOWN THE HIGHWAY」、「SOLAR SYSTEM」、「THE NIGHT WAS SO YOUNG」、「I'LL BET HE'S NICE」、「LET'S PUT OUR HEARTS TOGETHER」、「I WANNA PICK YOU UP」、「AIRPLANE」、「LOVE IS A WOMAN」)は、ブライアン・ウィルソンの単独作です。この内アメリカン・スプリング(ハニーズのメンバーから派生した、当時のブライアン・ウィルソンの妻だったマリリン・ウィルソンとダイアン・ローヴェルの姉妹デュオ)に提供した「GOOD TIME」は、1970年のアルバム「SUNFLOWER」の頃にレコーディングしたので、ブライアン・ウィルソンの声が全く違っています。
ブライアン・ウィルソンがアルバムで全ての楽曲を書いているのは、1967年のアルバム「SMILEY SMILE」と、この1977年のアルバム「LOVE YOU」だけです。その制作過程もあって、このアルバム「LOVE YOU」は1970年代の「PET SOUNDS」だ、と持ち上げる方々までいます。そこまで盛大に持ち上げる気はありませんが、傑作アルバムではあると思います。特にレコードではB面だった全てがブライアン・ウィルソンによる単独作が並んでいる展開は素晴らしいし、その中には「THE NIGHT WAS SO YOUNG」の様な隠れた名曲も含まれています。ドラッグやアルコールで天使の歌声を失ったブライアン・ウィルソンの枯れた声が、逆に楽曲の美しさを際立たせている様な作品になっています。リード・ヴォーカルは、ブライアン・ウィルソンが2曲(「GOOD TIME」、「SOLAR SYSTEM」)、ブライアン・ウィルソンとデニス・ウィルソンとカール・ウィルソンの3兄弟で1曲(「I'LL BET HE'S NICE」)、ブライアン・ウィルソンとデニス・ウィルソンが1曲(「I WANNA PICK YOU UP」)、ブライアン・ウィルソンとカール・ウィルソンとマイク・ラヴの3人で1曲(「AIRPLANE」)、ブライアン・ウィルソンとカール・ウィルソンとマイク・ラヴとアル・ジャーディンの4人で1曲(「ROLLER SKATING CHILD」)、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴとアル・ジャーディンの3人で1曲(「LOVE IS A WOMAN」)、ブライアン・ウィルソンと妻だったマリリン・ウィルソンが1曲(「LET'S PUT OUR HEARTS TOGETHER」)、カール・ウィルソンとマイク・ラヴが2曲(「LET US GO ON THIS WAY」、「JOHNNY CARSON」)、デニス・ウィルソンが1曲(「MONA」)、カール・ウィルソンが1曲(「THE NIGHT WAS SO YOUNG」)、マイク・ラヴが1曲(「DING DANG」)、アル・ジャーディンが1曲(「HONKIN' DOWN THE HIGHWAY」)、となっています。このアルバム「LOVE YOU」は、1990年に単体でCBSから、2000年にキャピトルからアルバム「15 BIG ONE」との「2 in 1」でCD化されて、今年(2026年)2月に拡張盤がリリースされるらしいです。それにしても、テレビ司会者を歌にした「JOHNNY CARSON」なんて、ブライアン・ウィルソン以外では考え付かないんじゃないでしょうか。
(小島イコ)
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2026年01月19日

1974年6月24日にキャピトルからリリースしたベスト・アルバム「ENDLESS SUMMER」が全米首位!となり、翌1975年4月14日にリリースしたベスト・アルバム「SPIRIT OF AMERICA」も全米7位まで上がるヒット作となったビーチ・ボーイズは、リバイバルではあるものの、再び音楽シーンの頂点に戻って来ました。10年前の楽曲が再び脚光を浴びたのは、ビーチ・ボーイズとしては手放しでは喜べなかったでしょうが、その波に乗って新作アルバムを出せば、現役バンドとしても人気になると思われたのです。1974年8月17日にはキャピトルがシングル「SURFIN' U.S.A.」をリイシューして、全米36位まで上がっています。ビーチ・ボーイズの新作としては、同年12月23日にクリスマス向けシングル「CHILD OF WINTER / SUSIE CINCINNATI」をリリースして、翌1975年3月10日にはシングル「SAIL ON, SAILLOR / ONLY WITH YOU」をリイシューして全米49位まで上がっています。そして、1976年5月24日には、24作目となる新作アルバム「15 BIG ONE」から先行シングルとして「ROCK AND ROLL MUSIC / TM SONG」をリリースして、全米5位・全英36位と米国では1966年のシングル「GOOD VIBRATIONS」(全米首位!・全英首位!)以来のトップ10ヒットとなりました。A面の「ROCK AND ROLL MUSIC」は、かつてビートルズもカバーしたチャック・ベリーの楽曲です。同年8月9日には、アルバムからの第2弾シングルとして「IT'S OK / HAD TO PHONE YA」をリリースして、全米29位まで上がり、同年11月1日には第3弾シングル「EVERYONE'S IN LOVE WITH YOU / SUSIE CINCINNATI」をリリースしますが、コレは流石にチャート入りしていません。そして、1976年7月5日に通算24作目のアルバム「15 BIG ONES」をブラザー/リプリーズからリリースしたのです。ビーチ・ボーイズのスタジオ新作アルバムは1973年1月8日リリースの「HOLLAND」以来、3年半ぶりでした。このアルバムは、1966年のアルバム「PET SOUNDS」以来、11年ぶりにブライアン・ウィルソンがプロデュースしています。精神疾患でパッパラパー状態だったブライアン・ウィルソンですが、精神科医であるユージン・ランディの治療で復活したのでした。
アルバム「15 BIG ONES」の内容は、A面が、1「ROCK AND ROLL MUSIC」、2「IT'S OK」、3「HAD TO PHONE YA」、4「CHAPEL OF LOVE」、5「EVERYONE'S IN LOVE WITH YOU」、6「TALK TO ME」、7「THAT SAME SONG」、8「TM SONG」で、B面が、1「PALISADES PARK」、2「SUSIE CINCINNATI」、3「A CASUAL LOOK」、4「BLUEBERRY HILL」、5「BACK HOME」、6「IN THE STILL OF THE NIGHT」、7「JUST ONCE IN MY LIFE」の、全15曲入りです。このアルバムは、元々はブライアン・ウィルソンの要望でオールディーズのカバー・アルバムを制作する事から始まっています。ところが、デニス・ウィルソンとカール・ウィルソンが、ベスト・アルバム「ENDLESS SUMMER」と「SPIRIT OF AMERICA」が大ヒットした後にカバー・アルバムなんかを出したら、ビーチ・ボーイズはいよいよ「懐メロバンド」になってしまう、と新曲で勝負したいとなったのです。アル・ジャーディンとマイク・ラヴは、兎に角、早くアルバムを出したくて、ベスト・アルバムの後でブライアン・ウィルソンが本格的に復帰したら、間違いなく新作アルバムも売れると考えていました。それで折衷案で、カバーが8曲でオリジナルが7曲の構成となっています。事実として、このアルバム「15 BIG ONES」は全米8位・全英31位となり、米国でビーチ・ボーイズの新作アルバムがトップ10入りしたのは、1966年のアルバム「PET SOUNDS」(全米10位)以来の事となっています。オリジナルは7曲(「IT'S OK」、「HAD TO PHONE YA」、「EVERYONE'S IN LOVE WITH YOU」、「THAT SAME SONG」、「TM SONG」、「SUSIE CINCINNATI」、「BACK HOME」)で、カバーが8曲(「ROCK AND ROLL MUSIC」、「CHAPEL OF LOVE」、「TALK TO ME」、「PALISADES PARK」、「A CASUAL LOOK」、「BLUEBERRY HILL」、「IN THE STILL OF THE NIGHT」、「JUST ONCE IN MY LIFE」)となっております。
注目されるのがカバーの8曲で、ブライアン・ウィルソンがやりたかったのはこちらのカバーであったと分かる、気合が入った出来栄えとなっています。前年である1975年にジョン・レノンがカバー・アルバム「ROCK'N'ROLL」をリリースしていて、その企画が元々はジョンとフィル・スペクターの二人によるものだったのも、ブライアン・ウィルソンがカバーに拘った一因でしょう。「ROCK AND ROLL MUSIC」はチャック・ベリー、「CHAPEL OF LOVE」はダーレン・ラヴ、「TALK TO ME」はリトル・ウィリー・ジョン、「PALISADES PARK」はフレディ・キャノン、「A CASUAL LOOK」はシックス・ティーンズ、「BLUEBERRY HILL」はファッツ・ドミノ、「IN THE STILL OF THE NIGHT」はファイブ・サテンズ、「JUST ONCE IN MY LIFE」はライチャス・ブラザーズ、が原曲ですが、「CHAPEL OF LOVE」と「JUST ONCE IN MY LIFE」と2曲もフィル・スペクターがプロデュースした楽曲を取り上げているのも、ブライアン・ウィルソンならではです。オリジナルの作者は、ブライアン・ウィルソンが1曲(「TM SONG」)、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴの共作が2曲(「IT'S OK」、「THAT SAME SONG」)、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴとダイアン・ローヴェルの共作が1曲(「HAD TO PHONE YA」)、ブライアン・ウィルソンとボブ・ノーバーグの共作が1曲(「BACK HOME」)、マイク・ラヴが1曲(「EVERYONE'S IN LOVE WITH YOU」)、アル・ジャーディンが1曲(「SUSIE CINCINNATI」)、となっております。やはり、ブライアン・ウィルソンが望んだ通りにカバーの方が良い出来栄えだし、アルバム全体の構成はまとまりがないのですけれど、全米8位まで上がったのですから大成功でしょう。この時のビーチ・ボーイズは結成15周年で、しかもメンバーは、ブライアン・ウィルソン、デニス・ウィルソン、カール・ウィルソン、マイク・ラヴ、アル・ジャーディンのオリジナル5人に戻っていました。アルバム「15 BIG ONES」は、1990年に単体でCBSから、2000年に次作アルバム「LOVE YOU」との「2 in 1」でキャピトルから、それぞれCD化されています。それにしても、ブライアン・ウィルソンの声が激変していて、驚かされるアルバムです。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
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ディズニー・チャンネル 2:10〜4:35
2006年公開作品
片瀬那奈 AS 高田清美
(公開:2006年11月3日、撮影:2006年6月2日〜7月31日)
「デスノート the Last name」の、今年初めての放送で、昨年(2025年)は5回放送されています。原作マンガを大幅に改変した完結編で、那奈ちゃんが演じた高田清美は「第3のキラ」として、原作マンガとは名前が同じなだけで大きく違った役どころとなっています。本日は、前作と続けて放送されます。金子監督は相当に入れ込んでいた様で、クランクインもクランクアップも高田清美の出演シーンでした。その上、後に2017年公開の映画「こいのわ 婚活クルージング」で、那奈ちゃんを主演に抜擢しています。
(小島イコ/姫川未亜)
posted by 栗 at 04:35|
ACTRESS
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2026年01月18日
1970年代になって、ワーナー/リプリーズに移籍したビーチ・ボーイズのアルバムは、低迷していました。それはキャピトル時代の後期から始まっていて、1966年のアルバム「PET SOUNDS」は全米10位・全英2位で、1967年のアルバム「SMILEY SMILE」は全米41位・全英9位で、1967年のアルバム「WILD HONEY」は全米24位・全英7位で、1968年のアルバム「FRIENDS」は全米126位・全英13位で、1968年のカラオケ・アルバム「STACK-O-TRACKS」は米英ノンチャートで、1969年のアルバム「20/20」は全米68位・全英3位で、1970年のアルバム「SUNFLOWER」は全米151位・全英29位で、1971年のアルバム「SURF'S UP」は全米29位・全英15位で、1972年のアルバム「CARL AND THE PASSIONS “SO TOUGH”」は全米50位・全英25位で、1973年のアルバム「HOLLAND」は全米36位・全英20位と、特に米国での売り上げがかつての様にトップ10に入るヒット作とはなっていません。そんな中で1973年11月19日にブラザー/リプリーズからリリースしたLP2枚組のライヴ・アルバム「THE BEACH BOYS IN CONCERT」が全米25位とアルバム「WILD HONEY」以来久しぶりのヒット作となって、リリース当時にはオールタイム・ヒットの内容が評価されていました。しかしながら、リーダーだったブライアン・ウィルソンは精神疾患が治らず、自堕落な生活を続けていたので、新たな名曲を生み出す事は困難でした。バンドはカール・ウィルソンが引っ張っていたのですが、レコード会社が望んでいたのはブライアン・ウィルソンの復活であって、カール・ウィルソンやデニス・ウィルソンがどんなに頑張っても、ブライアン・ウィルソンが復活しなければ新たなアルバムは出せない事となったのです。確かにライヴ・アルバム「THE BEACH BOYS IN CONCERT」は売れましたが、それは何だかんだ云っても、かつてブライアン・ウィルソンが書いた名曲が多いセットリストだったからだ、とも云われたのです。
それで新作アルバムは出せない状況だった1974年6月24日に、キャピトル時代の1962年から1965年までのヒット曲を集めたLP2枚組のベスト・アルバム「ENDLESS SUMMER」が、キャピトルからリリースされたのです。ブライアン・ウィルソンが選曲して、マイク・ラヴがアルバム・タイトルを考案した、と云う触れ込みのこのベスト・アルバムは、全米首位!を獲得して、ビーチ・ボーイズはリバイバルとは云え、再び天下を取ったのでした。このベスト・アルバム「ENDLESS SUMMER」の企画は、1973年8月に公開されたジョージ・ルーカス監督の映画「アメリカン・グラフィティ」の最後に、ビーチ・ボーイズの「ALL SUMMER LONG」が効果的に使われた事から始まっています。ベスト・アルバム「ENDLESS SUMMER」の内容は、A面が、1「SURFIN' SAFARI」、2「SURFER GIRL」、3「CATCH A WAVE」、4「THE WARMTH OF THE SUN」、5「SURFIN' U.S.A.」で、B面が、1「BE TRUE TO YOUR SCHOOL」、2「LITTLE DEUCE COUPE」、3「IN MY ROOM」、4「SHUT DOWN」、5「FUN, FUN, FUN」で、C面が、1「I GET AROUND」、2「THE GIRLS ON THE BEACH」、3「WENDY」、4「LET HIM RUN WILD」、5「DON'T WORRY BABY」で、D面が、1「CALIFORNIA GIRLS」、2「GIRL DON'T TELL ME」、3「HELP ME, RHONDA」、4「YOU'RE SO GOOD TO ME」、5「ALL SUMMER LONG」の、全20曲入りです。それぞれの片面が10分から11分位しかなくて、全体で46分21秒しかないので、英国ではLP1枚でリリースされています。後に1CD化された時には、最後に「GOOD VIBRATIONS」を加えた全21曲入りでした。キャピトルとしては、前年である1973年に、ビートルズの初めてのオールタイム・ベスト・アルバムである「THE BEATLES 1962-1966(赤盤)」と「THE BEATLES 1967-1970(青盤)」が、それぞれLP2枚組で大ヒットしたので、今度はビーチ・ボーイズで行こう、とも思っていたのでしょう。
しかしながら、ビートルズは解散していたけれど、ビーチ・ボーイズは現役のバンドだったわけで、このリバイバル・ブームによって過去のバンドだと思われてしまう様にもなってしまったのです。いやいや、ビーチ・ボーイズはそもそも当時から懐メロ・バンドだろう、と思われるかもしれませんが、1970年代から1980年代にかけては新作もドンドン出していたわけで、1988年には「KOKOMO」で全米首位!となっているのです。1991年に来日公演を行った時には、テレビにカール・ウィルソンとマイク・ラヴが出て「俺たちは懐メロバンドじゃない、現に“KOKOMO”は全米首位!になっているじゃないか」とキレ気味に語っていました。個人的には、このベスト・アルバム「ENDLESS SUMMER」が最初に買ったビーチ・ボーイズのアルバムだったのですけれど、ジャケットのイラストが怖くて買うのに躊躇しました。キャピトルは、翌1975年4月14日には第2弾ベスト・アルバム「SPIRIT OF AMERICA」をLP2枚組でリリースして、全米7位とヒットさせています。そちらの内容は、A面が、1「DANCE, DANCE, DANCE」、2「BREAK AWAY」、3「A YOUNG MAN IS GONE」、4「409」、5「THE LITTLE GIRL I ONCE KNEW」、6「SPIRIT OF AMERICA」で、B面が、1「LITTLE HONDA」、2「HUSHABYE」、3「HAWAII」、4「DRIVE-IN」、5「GOOD TO MY BABY」、6「TELL ME WHY」で、C面が、1「DO YOU REMEMBER?」、2「THIS CAR OF MINE」、3「PLEASE LET ME WONDER」、4「WHY DO FOOLS FALL IN LOVE」、5「CUSTOM MACHINE」で、D面が、1「BARBARA ANN」、2「SALT LAKE CITY」、3「DON'T BACK DOWN」、4「WHEN I GROW UP(TO BE A MAN)」、5「DO YOU WANNA DANCE?」、6「GRADUATION DAY」の、全23曲入りです。リリース当時には「BREAK AWAY」や「THE LITTLE GIRL I ONCE KNEW」と云ったアルバム未収録シングルが収録されているのが目玉のひとつで、シングル以外の曲も多く選曲されていましたが、C面は10分もなくて、全体でも49分36秒しかありません。
この大ヒットしたベスト・アルバム2作に目を付けたビーチ・ボーイズは、1975年6月30日にベスト・アルバム「GOOD VIBRATIONS - BEST OF THE BEACH BOYS」を、ブラザー/リプリーズからリリースしました。内容は、A面が、1「SAIL ON, SAILLOR」、2「SLOOP JOHN B.」、3「GOD ONLY KNOWS」、4「DARLIN'」、5「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」、6「WOULDN'T IT BE NICE」で、B面が、1「GOOD VIBRATIONS」、2「DO IT AGAIN」、3「CAROLINE NO」、4「FRIENDS」、5「SURF'S UP」、6「HEROES AND VILLAINS」の、全12曲入りです。ブラザー/リプリーズは、1966年のアルバム「PET SOUNDS」以降の作品をリリース出来たので、このベスト・アルバムをリリースしたのですが、全米25位とキャピトルからの2作よりは売れていません。選曲としては、こっちの方が良いとも思うのですけれどね。米国キャピトルは、そもそもアルバム「PET SOUNDS」以降の作品を認めていなかったので、勝手にやって下さい、だったのでしょう。1976年6月には、英国EMIで独自にベスト・アルバム「20 GOLDEN GREATS」をリリースしていて、全英首位!となっています。ベスト・アルバム「20 GOLDEN GREATS」の内容は、A面が、1「SURFIN' U.S.A.」、2「FUN, FUN, FUN」、3「I GET AROUND」、4「DON'T WORRY BABY」、5「LITTLE DEUCE COUPE」、6「WHEN I GROW UP(TO BE A MAN)」、7「HELP ME, RHONDA」、8「CALIFORNIA GIRLS」、9「BARBARA ANN」、10「SLOOP JOHN B.」で、B面が、1「YOU'RE SO GOOD TO ME」、2「GOD ONLY KNOWS」、3「WOULDN'T IT BE NICE」、4「GOOD VIBRATIONS」、5「THEN I KISSED HER」、6「HEROES AND VILLAINS」、7「DARLIN'」、8「DO IT AGAIN」、9「I CAN HEAR MUSIC」、10「BREAK AWAY」の、全20曲入りです。サーファーを描いたイラストのジャケットはどうかと思いますけれど、ベスト・アルバムに関しては本国である米国よりも英国の方がマトモな選曲をしているなあ、とは思います。
そしてキャピトルは、1982年6月になって第3弾でLP2枚組のベスト・アルバム「SUNSHINE DREAM」をリリースしました。流石にキャピトルだけで「ENDLESS SUMMER」と「SPIRIT OF AMERICA」を、英国EMIでは「20 GOLDEN GREATS」を、ブラザー/リプリーズからも「GOOD VIBRATIONS - BEST OF THE BEACH BOYS」を、更に後に紹介するブラザー/カリブ/CBSからの「TEN YEARS OF HARMONY」も加えれば5作も既にベスト・アルバムが出ていたので、全米180位までしか上がっていません。ベスト・アルバム「SUNSHINE DREAM」の内容は、A面が、1「I CAN HEAR MUSIC」、2「HERE TODAY」、3「DARLIN'」、4「CAROLINE NO」、5「AREN'T YOU GLAD」、6「GOOD VIBRATIONS」で、B面が、1「WOULDN'T IT BE NICE」、2「FRIENDS」、3「GOD ONLY KNOWS」、4「VEGETABLES」、5「HOW SHE BOOGALOOED IT」、6「THERE'S NO OTHER (LIKE MY BABY)」で、C面が、1「HEROES AND VILLAINS」、2「ALL I WANT TO DO」、3「WILD HONEY」、4「I'M WAITING FOR THE DAY」、5「COTTON FIELDS」、6「THEN I KISSED HER」で、D面が、1「SLOOP JOHN B.」、2「BE HERE IN THE MORNIN'」、3「BLUEBIRDS OVER THE MOUNTAIN」、4「KEEP AN EYE ON SUMMER」、5「DO IT AGAIN」、6「THE BEACH BOYS MEDLEY」の、全24曲入りです。キャピトルとしては残り物を集めたのでしょうけれど、結果的にアルバム「PET SOUNDS」以降の楽曲が多く選曲されています。2026年の現在では、ビーチ・ボーイズのベスト・アルバムは色々と出ていて、今回紹介した5作のベスト・アルバムはCD化されていなかったり、CD化されていても廃盤だったりしますけれど、その後の「GETCHA BACK」や「KOKOMO」も収録した新たなベスト・アルバムが出ています。但し、ベスト・アルバム「SUNSHINE DREAM」に収録された「THE BEACH BOYS MEDLEY」は、アナログ盤以外では日本のみでCD化されたアルバム「RARITIES」でしか聴けない音源ではあります。同時期のビートルズの「MOVIE MEDLEY」はなかった事になっているのに、幾らキャピトル主導とは云え、こんなツギハギのメドレーまでアルバムに入れられてしまうのが、ビーチ・ボーイズなのです。
(小島イコ)
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(小島イコ/姫川未亜)
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2026年01月17日

1970年にキャピトルからワーナー/リプリーズへ移籍したビーチ・ボーイズですが、リーダーのブライアン・ウィルソンは、ドラッグ、酒、煙草、過食、と自堕落な生活を送っていて、1960年代に「天才」と称されたのも遥か昔の事となっていました。ブライアン・ウィルソンがそんな状態だったので、弟であるデニス・ウィルソンとカール・ウィルソンがバンドを牽引するしかなかったのですが、スタジオ・アルバムは、1970年のアルバム「SUNFLOWER」が全米151位・全英29位で、1971年のアルバム「SURF'S UP」が全米29位・全英15位で、1972年のアルバム「CARL AND THE PASSIONS “SO TOUGH”」が全米50位・全英25位で、1973年のアルバム「HOLLAND」が全米36位・全英20位と、英国ではまあまあな成績ながら、本国である米国では低迷していました。そして、シングルはどれも鳴かず飛ばずでした。アルバムも売れずシングル・ヒットもないどん詰まり状態で、ブライアン・ウィルソンは使い物にならないし、マネジャーだったジャック・ライリーとの確執でブルース・ジョンストンは脱退してしまったし、デニス・ウィルソンは怪我でドラムスを叩けなくなり、アルバム「CARL AND THE PASSIONS “SO TOUGH”」からは実質的にはリーダーとなっていたカール・ウィルソンの人脈から、黒人でヴォーカルのブロンディ・チャップリンとドラマーのリッキー・ファターを正式メンバーとして加入させて、ファンキー路線に舵を切ったりしました。しかしながら、レコード会社が求めているのは、どんなにパッパラパー状態になっていても、ブライアン・ウィルソンが書く曲だったのです。ところが、そのブライアン・ウィルソンはアルバム「HOLLAND」にオマケで付けたEP「MT. VERNON AND FAIRYWAY(A FAIRY TALE):A FAIRY TALE IN SEVERAL PARTS」の様な訳が分からない音楽しか作れなくなっていて、ワーナー/リプリーズとしても困ったちゃんとなり、ブライアン・ウィルソンがまともに復帰しなければアルバムは出せない事にしたのです。それで、ビーチ・ボーイズは1973年1月8日にリリースしたアルバム「HOLLAND」の次は、なんと、1976年7月5日にリリースするアルバム「15 BIG ONES」まで3年半もスタジオ・アルバムをリリース出来なかったのです。
ところが、そんな不遇時代のビーチ・ボーイズは、ライヴ活動を活発に行っていて、そちらでは人気がありました。先を急げば、ビーチ・ボーイズは1974年6月24日にキャピトルがリリースしたベスト・アルバム「ENDLESS SUMMER」が、まさかまさかの全米首位!となって、リバイバルながら再び天下を取るのですが、その下地として地道にライヴ活動をやっていたのが功を奏したのでしょう。それは、その半年余り前の1973年11月19日にブラザー/リプリーズからリリースした通算23作目でLP2枚組の3作目のライヴ・アルバム「THE BEACH BOYS IN CONCERT」が、全米25位と久しぶりに手ごたえのあるヒット作となった事からも伺えます。ライヴ・アルバム「THE BEACH BOYS IN CONCERT」の内容は、A面が、1「SAIL ON, SAILLOR」、2「SLOOP JOHN B.」、3「THE TRADER」、4「YOU STILL BELIEVE IN ME」、5「CALIFORNIA GIRLS」、6「DARLIN'」で、B面が、1「MARCELLA」、2「CAROLINE NO」、3「LEAVING THIS TOWN」、4「HEROES AND VILLAINS」で、C面が、1「FUNKY PRETTY」、2「LET THE WIND BLOW」、3「HELP ME, RHONDA」、4「SURFER GIRL」、5「WOULDN'T IT BE NICE」で、D面が、1「WE GOT LOVE」、2「DON'T WORRY BABY」、3「SURFIN' U.S.A.」、4「GOOD VIBRATIONS」、5「FUN, FUN, FUN」の、全20曲入りです。「SURFIN' U.S.A.」や「SURFER GIRL」などの初期の大ヒット曲から、アルバム「PET SOUNDS」以降の「GOOD VIBRATIONS」などの大ヒット曲や、リリース当時のスマッシュ・ヒット曲「SAIL ON, SAILLOR」などの最新曲までを網羅したベスト・ヒット・ライヴ・アルバムとなっていて、演奏もサポート・メンバーを加えているのでしっかりしていて、これは売れますわなあ。レコーディングは1972年8月から1973年9月までの数多くのライヴ音源から、ベスト・テイクを選んで収録されています。
レコーディング・メンバーは、カール・ウィルソン(ヴォーカル、リード・ギター、エレクトリック・ピアノ)、デニス・ウィルソン(ヴォーカル、エレクトリック・ピアノ)、アル・ジャーディン(ヴォーカル、リズム・ギター)、マイク・ラヴ(ヴォーカル)、ブロンディ・チャップリン(ヴォーカル、ギター、ベース)、リッキー・ファター(ヴォーカル、ドラムス)の、ビーチ・ボーイズの6人と、サポート・メンバーとして、エド・カーター(ベース、ギター)、ビリー・ヒンシェ(ヴォーカル、ギター、キーボード)、ロバート・ケニヤッタ(パーカッション)、マイク・コワルスキー(ドラムス、パーカッション)、カーリ・ムニョス(キーボード)、ジョー・ポラード(パーカッション)、リチャード・ディディマス・ワシントン(パーカッション)の7人を加えた分厚いサウンドとなっていて、リリース当時としては緻密なスタジオ・レコーディングから生まれたアルバム「PET SOUNDS」からの「SLOOP JOHN B.」、「YOU STILL BELIEVE IN ME」、「CAROLINE NO」、「WOULDN'T IT BE NICE」や、アルバム「SMiLE」音源を用いたアルバム「SMILEY SMILE」からの「GOOD VIBRATIONS」や「HEROES AND VILLAINS」などをライヴで聴けたのは驚きだったでしょう。LP2枚組ながら、リプリーズ移籍後としては最高の全米25位となりゴールドディスクも獲得しています。が、好事魔多しで、このライヴ・アルバム「THE BEACH BOYS IN CONCERT」を最後に、ブロンディ・チャップリンとリッキー・ファターが相次いで脱退してしまいました。原因は、ジャック・ライリーを解雇して新たにマネジャーとなったスティーヴ・ラヴと、ブロンディ・チャップリンが喧嘩したからだと云われています。スティーヴ・ラヴはマイク・ラヴの実弟で、つまりウィルソン3兄弟の従兄弟で、そりゃあ赤の他人の黒人よりも身内の白人を取りますわなあ。どこまで行っても、ビーチ・ボーイズはファミリー・バンドなのです。ライヴ・アルバム「THE BEACH BOYS IN CONCERT」は、1990年にCBSから、2000年にキャピトルから、1CDでそれぞれCD化されていて、これは一気に75分49秒を聴ける1CDがオススメです。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
FAB4
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ファミリー劇場 12:05〜18:40
第1話「京都・五山送り火 美女2人の殺人計画!?」
第2話「京都〜神戸 60キロの遠隔殺人!?」
第3話「祇園の舞妓が結ぶ二つの殺人!!」
第4話「京都の白馬が暴く300秒の殺人トリック!」
第5話「狙われた京都の花嫁!一夜で消えた殺人ルート!!」
第6話「京都トロッコ列車〜保津川下り魅惑の殺人ツアー!」
第7話(最終話)「さようなら…地図の女!京都〜福井〜東京、3つの殺人!」
内山理名 AS 河本麻里
「捜査地図の女」の今年2回目の再放送で、今回は全7話一挙放送ですが、「浅見光彦〜最終章〜」とバッティングしています。理名ちゃんが演じた河本麻里巡査は、2歳の息子がいて、理名ちゃんも母親役での出演が増えてきた時期のドラマです。2026年の現在では、理名ちゃんはプライベートでも母親となりました。テレビ朝日がお得意の1話完結の刑事ドラマで、本放送では最後に主演の真矢みき(現・真矢ミキ)さんが「この後は、ドクターX!」とリレーしていました。全7話と短いものの、打ち切りになったわけではなく、当初から全7話で制作されています。その最終話である第7話は、確かに2時間スペシャルの尺があったものの、前半と後半で別の事件が描かれていて、実質全8話の構成となっております。
(姫川未亜)
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RINA
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ミステリーチャンネル 16:00〜18:00
第1話「恐山・十和田・弘前編」
片瀬那奈 AS 藤波紹子(第1話マドンナ)
「浅見光彦〜最終章〜」第1話の、今年初めての再放送ですが、「捜査地図の女」とバッティングしています。昨年(2025年)は5回再放送されています。こちらは「最終章」となっていますが、ソレは「エロス沢村版」が2時間ドラマのシリーズであって、ソノ「最終章」であって、「浅見光彦シリーズ」としてはその前もその後もキャスティングを変えて制作されています。エロスは、意外にもこれが連ドラ初主演でした。那奈ちゃんが演じた藤波紹子さんは料理人で、連続殺人事件に関わっている役どころです。基本的にはシリアスなドラマなのですが、エロスと那奈ちゃんが並ぶとコントが始まりそうで笑ってしまいます。エロスと那奈ちゃんは、アンナに仲良しだったのにねえ。初回スペシャルだったので、2時間ドラマの尺があります。ミステリーチャンネルでは何度も再放送されていますけれど、何故か第2話が欠番になっています。
(小島イコ/姫川未亜)
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ACTRESS
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2026年01月16日

ドラッグ漬けで音楽活動もままならなかったリーダーのブライアン・ウィルソンに代わって、弟であるデニス・ウィルソンやカール・ウィルソンが主導権を握っていた1970年代前半のビーチ・ボーイズですが、当時のマネジャーだったジャック・ライリーの発言権も強くなって迷走していました。1972年リリースのアルバム「CARL AND THE PASSIONS “SO TUGH”」では、ジャック・ライリーと確執があったブルース・ジョンストンが脱退してしまい、デニス・ウィルソンは右腕の大怪我でドラムスを叩けなくなったので、カール・ウィルソンの人脈から、黒人で元・フレイムのヴォーカルのブロンディ・チャップリンとドラマーのリッキー・ファターを新たにメンバーを加えたものの、全米50位・全英25位と微妙な成績になっていました。そして、ジャック・ライリーが環境を変えれば良いレコードが作れるだろう、と思い付いて、次作アルバムはオランダでレコーディングする事になってしまったのです。ブライアン・ウィルソンは飛行機に乗りたくないとごねて、3度目でようやくオランダへと向かいました。そうしてオランダでレコーディングしたので、タイトルはズバリ「HOLLAND」と云う単純明快なアルバムを、1973年1月8日にブラザー/リプリーズからリリースしました。結果から云えば、この移籍第4弾で通算22作目のアルバム「HOLLAND」は、全米36位・全英20位と、そこそこの成績となっています。内容は、A面が、1「SAIL ON, SAILLOR」、2「STEAMBOAT」、3「CALIFORNIA SAGA / BIG SUR」、4「CALIFORNIA SAGA / THE BEAKS OF EAGLES」、5「CALIFORNIA SAGA / CALIFORNIA」で、B面が、1「THE TRADER」、2「LEAVING THIS TOWN」、3「ONLY WITH YOU」、4「FUNKY PRETTY」の、全9曲入りです。が、しかし、このアルバム「HOLLAND」には「MT. VERNON AND FAIRYWAY(A FAIRY TALE):A FAIRY TALE IN SEVERAL PARTS」と題されたEPが付いていて、そちらは、A面が、1「MT. VERNON AND FAIRYWAY - THEME」、2「I'M THE PIED PIPER - INSTRUMENTAL」、3「BETTER GET BACK IN BED」、4「MAGIC TRANSISTOR RADIO」で、B面が、1「I'M THE PIED PIPER」、2「RADIO KING DOM」の、全6曲入りです。
アルバム「HOLLAND」本編の作者は、ブライアン・ウィルソンとジャック・ライリーとレイ・ケネディとタンディン・アルマーとヴァン・ダイク・パークスの5人の共作(とは云えおそらくブライアン・ウィルソンとヴァン・ダイク・パークスが中心)が1曲(「SAIL ON, SAILLOR」)、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴとジャック・ライリーの共作が1曲(「FUNKY PRETTY」)、デニス・ウィルソンとジャック・ライリーの共作が1曲(「STEAMBOAT」)、カール・ウィルソンとジャック・ライリーの共作が1曲(「THE TRADER」)、デニス・ウィルソンとマイク・ラヴの共作が1曲(「ONLY WITH YOU」)、マイク・ラヴが1曲(「CALIFORNIA SAGA / BIG SUR」)、アル・ジャーディンとリンダ・ジャーディンとロビンソン・ジェファーズの共作が1曲(「CALIFORNIA SAGA / THE BEAKS OF EAGLES」)、アル・ジャーディンが1曲(「CALIFORNIA SAGA / CALIFORNIA」)、カール・ウィルソンとブロンディ・チャップリンとリッキー・ファターの共作が1曲(「LEAVING THIS TOWN」)で、プロデュースはビーチ・ボーイズ名義です。リード・ヴォーカルは、カール・ウィルソンが2曲(「THE TRADER」、「ONLY WITH YOU」)、デニス・ウィルソンとカール・ウィルソンが1曲(「STEAMBOAT」)、マイク・ラヴが1曲(「CALIFORNIA SAGA / SUR」)、マイク・ラヴとアル・ジャーディンが1曲(「CALIFORNIA SAGA / THE BEAKS OF EAGLE」)、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴが1曲(「CALIFORNIA SAGA / CALIFORNIA」)、ブロンディ・チャップリンが1曲(「SAIL ON, SAILLOR」)、ブロンディ・チャップリンとリッキー・ファターが1曲(「LEAVING THIS TOWN」)、カール・ウィルソンとマイク・ラヴとアル・ジャーディンとブロンディ・チャップリンの4人で1曲(「FUNKY PRETTY」)です。作者としてマネジャーだったジャック・ライリーが半数近い4曲にクレジットされているのが、当時のビーチ・ボーイズを象徴しています。おそらく4曲共に彼以外にクレジットされているのが、本当の作者でしょう。
シングル・カットは、1973年1月29日に「SAIL ON, SAILLOR / ONLY WITH YOU」が全米79位、同年4月16日に「CALIFORNIA SAGA(CALIFORNIA) / FUNKY PRETTY」が全米84位と、相変わらずピリッとしない成績でした。そして、オマケで付いていたEP「MT. VERNON AND FAIRYWAY(A FAIRY TALE):A FAIRY TALE IN SEVERAL PARTS」は、6曲全てがブライアン・ウィルソン作で、「I'M THE PIED PIPER - INSTRUMENTAL」と「I'M THE PIED PIPER」がカール・ウィルソンとの共作で、「RADIO KING DOM」がジャック・ライリーとの共作となっています。12分余りのラジオ・ショーの様な出来栄えで、ほとんどがジャック・ライリーによるナレーションで進行されています。そのナレーションをなくした音楽のみの音源は、1993年に箱「GOOD VIBRATIONS:THIRTY YEARS OF THE BEACH BOYS」に「FAIRY TALE MUSIC」として4分余りが収録されています。本編では、久しぶりにブライアン・ウィルソンとヴァン・ダイク・パークスが共作している「SAIL ON, SAILLOR」と、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴが共作した「FUNKY PRETTY」と、最初と最後にはキメているし、組曲である「CALIFORNIA SAGA」も新機軸だし、カール・ウィルソンが歌う「THE TRADER」と「ONLY WITH YOU」もイイ感じです。EPに関しては期待外れではありますが、ブライアン・ウィルソンがまだ音楽を制作出来るとの証明にはなっています。このアルバム「HOLLAND」でのジャック・ライリーのやりたい放題に呆れて、経歴詐称も明るみに出て、実質的にはブライアン・ウィルソンに代わってリーダーとなっていたカール・ウィルソンは、遂にジャック・ライリーを解雇しています。アルバム「HOLLAND」は、1990年に単体でCBSから、2000年にキャピトルから前作アルバム「CARL AND THE PASSIONS “SO TUGH”」と2CDでCD化されています。「2 in 1」ではなく2枚組となっているのは、前作とこちらのアルバム「HOLLAND」にEPも足すと、CD1枚には収まらないからです。
2022年12月2日には、アルバム「CARL AND THE PASSIONS “SO TUGH”」とアルバム「HOLLAND」の拡張盤である「SAIL ON, SAILLOR 1972」がリリースされています。CD6枚組の箱は全105曲入りですが、通常盤2CD全45曲入りも出ておりますので、そのCD2を紹介します。1〜9は、アルバム「HOLLAND」全9曲のリマスター音源で、10〜15はオマケのEP「MT. VERNON AND FAIRYWAY(A FAIRY TALE):A FAIRY TALE IN SEVERAL PARTS」全6曲のリマスター音源です。その後はボーナス・トラックで、16「WE GOT LOVE」、17「HARD TIME」、18「CARRY ME HOME」、19「CALIFORNIA SAGA(THE BEAKS OF EAGLES)」シングル・ミックス、20「CALIFORNIA SAGA(CALIFORNIA)」シングル・ミックス、21「SAIL ON, SAILLOR」2022年ミックス、22「HOLLAND PROMO 1」、23「SAIL ON, SAILLOR」1975年ライヴ・ヴァージョンの、全23曲入りとなっております。ちなみに、6CDの箱には他にライヴ音源とセッション音源が多く収録されていますが、完全にマニア向け音源集です。当時のライヴ音源を聴くと、1960年代前半のヒット曲は余り演奏しないで、1966年のアルバム「PET SOUNDS」以降のアルバムからの曲が多いセットリストとなっていて、それで1973年11月19日にはライヴ・アルバム「THE BEACH BOYS IN CONCERT」(LP2枚組全20曲入り)をリリースする事となるのです。そして、この箱「SAIL ON, SAILLOR」に収録されたライヴ音源では、ローリング・ストーンズの「JUMPIN' JACK FLASH」と云った些かビーチ・ボーイズのイメージとは違ったカバー曲も演奏していました。但し、ビーチ・ボーイズは1965年のアルバム「BEACH BOYS' PARTY!」のセッションでは既にローリング・ストーンズの「(I CAN'T GET NO)SATISFACTION」を明るくカバーしていたので、ローリング・ストーンズの曲でも、ビーチ・ボーイズ色に染めてしまっていたのでした。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
FAB4
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日本映画専門チャンネル 8:40〜11:00
2012年公開作品
(2012年2月4日公開、撮影:2011年3月6日〜5月18日、茨城県、栃木県、千葉県にて)
片瀬那奈 AS マリア
「荒川アンダーザブリッジ THE MOVIE」の、今年2回目の放送です。マンガ原作のコスプレ学芸会で、2011年にショートコント集の様な連続ドラマが放送されて、それの伏線を回収する映画版でした。しかし、映画ではそのドラマと同じネタが半分位使い回しにされている上に、オチだけ変えると云う姑息な手段を使っていて、こんなんじゃドラマ版は要らなかったんじゃないの、と思いました。キャスティングでは、城田優くんが演じたシスターと、那奈ちゃんが演じたマリアが最初に決定していたそうで、その辺の感覚からしてコスプレなのです。何にしろふざけ過ぎで、父親と息子の確執と云うシリアスなテーマも台無しです。但し、山田孝之くんが演じた星が、最後に林遣都くんが演じた主人公のリクに云うセリフは良かったです。那奈ちゃんも含めた3人は「映画 闇金ウシジマくん」でも共演していて、同じ2012年に公開されているのですが、役どころが全く違っているのも面白いところではあります。撮影はドラマ版と同時進行で2011年3月から5月にかけて行われていて、茨城県でロケをしている最中に東日本大震災が起こったので、那奈ちゃんたちはコスプレ姿で被災しています。そのマリアの衣装がプロモーションで展示されているのを近くで見たのですが、思っていたよりもずっとペラペラの薄手の素材で、撮影中は寒かっただろうなあ、と思った次第でございます。
(小島イコ/姫川未亜)
posted by 栗 at 11:00|
ACTRESS
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「NO IMAGE」
here is
mia/iko presents
「the diary of nana katase」
A/K/A/ 「COPY CONTROL」
Recording Produced by IKO KOJIMA
Engineer : MIA HIMEKAWA
All voices & instruments : MW-777
(MIA/IKO/TACO/LUNA)
All Songs arranged , written and compoced by
009:栗
(A/K/A/ mia/iko) except where indicated.
with a big help from
001:ANTETSU (from NANAchan OGAMITAI of NO IMAGE),
002:USHIO (from SHiNY ☆ BRADBURYS of NO IMAGE),
008:HITO-WOLF (from MEI-KYO-SHI-SUI),
& 100 = TACO (from Queen of NO IMAGE),
055:PIN (from NEW of NO IMAGE)&
033:KIRI (from SISTER of NO IMAGE),
・・・with their family・・・,
101:NANAMI NARUMI (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
051:LUNA NARUMI (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
0101010・・・,& so on:KOYUKI SISTERS #0-#2 with TVC-15,
& 「KOYUKI #3-#5」with TVC15-2!!,
m-G4-MIMI & W-7,W-10-nanaco#1-#3,
ukulele-MIDORI #1-#3 (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
070 & 077:NEO FLOWER GIRLS (from &'S LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
396:pirozhki (from MARQUEE MOON),
099;mayaya
R-157:rina-chan
000:mamma-mia A+C ! &
007:nana-chan
& EVERY***
AND ・・・「∞:my MOTHER = MIAMIA/IKO-CHAN !」
ALL FOR NANA KATASE from the bottom of my heart.
since 2004-8-8
(C) NO IMAGE INC. with LOVE ☆
YES, we're just only the " NANA chan's FAN " .
since 1981-11-7