nana.812.png



当ブログは、
1998年から2021年まで片瀬那奈さんが行った芸能活動を記録した
非営利なファン・ブログです。
2021年10月以降に関しては、芸能活動が再開されるまでは静観しております。
特に2022年12月からは一般企業の会社員として活動されておりますので、
芸能活動とは一線を画す活動として、積極的には取り上げておりません。
単なる個人ブログですので、他の話題も多く取り上げております。


「片瀬那奈さんのプロフィール」

「片瀬那奈全記録」の簡単な目次



当ブログ内に於ける全コンテンツは「小島イコ/姫川未亜」が独自に作成したものであり、
此れらの著作権は全て「小島イコ/姫川未亜」に帰属しております。
又、片瀬那奈さんの写真・画像の肖像権等は、片瀬那奈さん御本人に帰属しております。
従いまして、当ブログに掲載している全ての掲載内容の無断転載・2次使用及び画像への直リンクは固くお断りしております。

当ブログ内に掲載されている情報は、「小島イコ/姫川未亜」が独自に収集したものです。
当ブログの情報を利用したことによって起きた損害については一切の責任を負いませんので
予めご了承願います。
当ブログはファンから見た「活動記録」と「批評」です。
「批評の為の引用」も時には必須となりますが、到らぬ点は御指摘下さい。

 (当ブログへの無断リンクは、固くお断り致します。)

 

2025年01月15日

「ポールの道」#436「LENNON SONGS」#41 「ANGELA」

angela.jpg


ジョン・レノンとヨーコさんの共作アルバムとして、1972年6月12日(米国)・同年9月15日(英国)にアップルからリリースされたアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」の、スタジオ盤B面4曲目に収録されているのが、「ANGELA」です。この楽曲も、他のアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」の収録曲と同じで、非常に時事性が強く、政治色も濃い内容です。タイトルになった「ANGELA」は、活動家の「アンジェラ・デイビス」の事で、アンジェラはアフリカ系解放運動に身を投じ、逮捕され投獄されたので、ジョンとヨーコさんはアンジェラたち無実の政治犯を解放せよ、と歌っているのです。アルバムでは前曲に収録された「JOHN CINCLAIR」と同様に、実在の人物の名前をそのままタイトルにしていて、現実的に釈放を求めている楽曲です。アンジェラは「ブラック・パンサー」の党員で、ボブ・ディランが歌にしている不当逮捕された「ジョージ・ジャクソン」の釈放を求めて、自らも不当逮捕されていました。1972年にローリング・ストーンズがアルバム「EXILE ON MAIN STREET(メイン・ストリートのならず者)」に収録した「SWEET BLACK ANGEL」も、アンジェラ・デイビスの事を歌った楽曲です。

ジョージ・ジャクソンは1971年8月21日に脱獄をしようとして射殺されて、それがジョンとヨーコさんが同じくアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」に収録した「ATTICA STATE」で歌われている「アッティカ刑務所暴動」に繋がったと云われています。アンジェラ・デイビスは16か月投獄された後に、1972年に保釈されています。ボブ・ディランは元々プロテスト・ソングを多く書いている音楽家ですけれど、ローリング・ストーンズやポール・マッカートニーまでそうした政治的な楽曲をリリースしたのが、1972年だったのです。こうして当時の状況を説明しないと、ジョンとヨーコさんがアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」を制作した意図が理解出来ないし、それぞれの楽曲が単体として普遍性を持つとは思えません。故に、アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」の評価は低いし、英国では11位で米国では48位だったリリース当時の成績も頷けます。同時代でもそんな評価だったのですから、事情が分からない後の世ではもっと評価は低いのは当然です。この楽曲もジョンとヨーコさんの共作でデュエットしているわけで、志は理解出来ても、何度も繰り返して聴くアルバムの内容ではありません。この当時のジョンの活動は、結局は「純真なジョンを反体制派の活動家が利用していた」としか思えません。

アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」は、次のB面5曲目のヨーコさんの単独作でひとりで歌っている「WE’RE ALL WATER」でスタジオ盤は幕を下ろします。ジョンの単独作は「NEW YORK CITY」と「JOHN CINCLAIR」の2曲のみで、それに共作となっている「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」の3曲でしかジョンがひとりで歌っている曲はありません。「ATTICA STATE」と「SUNDAY BLOODY SUNDAY」と「THE LUCK OF THE IRISH」と「ANGELA」の4曲は共作でデュエットだし、「SISTERS, O SISTERS」と「BORN IN A PRISON」と「WE'RE ALL WATER」はヨーコさんのソロなんですから、何度でも云いますけれど、ジョンのファンには積極的にはオススメ出来ません。ジョンとヨーコさんのデュエット曲では、全てが「ジョンがヨーコさんに食われている」ので、共作アルバムと云うよりも、ヨーコさんが7曲でジョンが3曲みたいな内容です。ベスト盤に選曲したくとも、3曲しかないのですから困ったちゃんなのです。2025年の現在では最新盤であるジョンのベスト盤「GIMME SOME TRUTH.」には、何故かその3曲はスルーされていて、この「ANGELA」が収録されています。ショーンくん、そこは「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」か「NEW YORK CITY」でしょう。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする

2025年01月14日

「ポールの道」#435「LENNON SONGS」#40 「JOHN CINCLAIR」

johnsinclair.jpg


ジョン・レノンとヨーコさんの共作で、1972年6月12日(米国)・同年9月15日(英国)にアップルからリリースした2枚組のアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」の、スタジオ盤でB面3曲目に収録されたのが「JOHN CINCLAIR」です。この楽曲はジョンの単独作で、スタジオ盤ではジョンがひとりで歌っています。アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」のスタジオ盤では全10曲中で、ジョンがひとりで歌っているのは「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」と「NEW YORK CITY」と、この「JOHN CINCLAIR」の3曲しかありません。その内「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」はジョンとヨーコさんの共作と云う事になっていますけれども、タイトルをヨーコさんの発言からいただいている「IMAGINE」パターンでの共作でしょう。ジョンのアルバムだと思って買ったら、スタジオ盤の全10曲中3曲しかひとりで歌っていないのでは、詐欺みたいなもんですなあ。それも、A面1曲目の「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」と、A面5曲目の「NEW YORK CITY」と、このB面3曲目の「JOHN CINCLAIR」とバラバラになっていて、他はヨーコさんの単独作が3曲と、二人の共作で夫婦デュエットが4曲なんですから、ジョンのファンにとっては、つまらないレコードです。

特に酷いのは、ジョンとヨーコさんの共作でデュエットしている4曲で、こんなのを聴かされるのだったならば、まだヨーコさんの単独作の方がマシです。さて、この「JOHN CINCLAIR」は、1971年12月10日の「ジョン・シンクレア・フリーダム・ラリー」で初披露されていて、タイトルになった「ジョン・シンクレア(米国の反戦活動家で、ホワイトパンサー党の党首)」がFBIのおとり捜査で逮捕されて、マリファナを2本所持していた罪で10年間の懲役を実刑で受けて投獄された事に対して抗議する為に、ジョンが書いた曲です。前述の「ジョン・シンクレア・フリーダム・ラリー」は、ジョン・シンクレアを救済する為に行われていて、数日後にジョン・シンクレアは釈放されました。つまり、アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」をリリースした時には、既にその問題は解決していたのです。ジョンは1972年1月13日に放送されたテレビ番組「デヴィッド・フロスト・ショー」(収録は1971年12月16日)でも「JOHN CINCLAIR」を披露しているのですけれど、非常に時事性が強い楽曲で、実際にジョン・シンクレアは釈放されたのですから、米国政府はジョンを「反体制派と協力して、音楽の力で実際に反政府的な事を実現してしまった、底知れぬ能力を持つ要注意人物」と捉えたわけです。

楽曲としての「JOHN CINCLAIR」は、単刀直入にジョン・シンクレアの釈放を訴える内容で、サビで「GOTTA SET HIM FREE」と歌うところで「GOTTA」を15回も繰り返して歌っています。よく間違えないで歌えるものだと、変なところで感心してしまう楽曲です。アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」の楽曲は、他のアルバムとは違っていて時事性が強く政治色が濃いのと、やはりジョンがひとりで歌っている曲が3曲しかないので、ベスト盤に選ばれる機会はほとんどありません。シングルになった「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」ですら、外されてしまう場合も多いのです。1990年の全73曲入りの箱「LENNON」では、ジョンがひとりで歌っている3曲(「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」と「NEW YORK CITY」と「JOHN CINCLAIR」)は全て収録されています。「JOHN CINCLAIR」は、1998年の箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」と、2004年の「ACOUSTIC」と、2006年のサントラ盤「THE U.S. VS JOHN LENNON」に、ライヴ・ヴァージョンが収録されているのですが、全て同じ音源(1971年12月10日の「ジョン・シンクレア・フリーダム・ラリー」でのライヴ)です。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする

「湯けむりバスツアー 桜庭さやかの事件簿7」(再)で内山理名ちゃん

マジカル・ミステリー・ツアー(完全初回生産限定盤)(デラックス・エディション) [Blu-ray]


チャンネル銀河 11:00〜13:00

萬田久子主演。湯けむり旅情サスペンス、第7弾!今回の舞台は三重県伊勢志摩。新郎新婦両家で一緒に旅をする“家族になろうよ”ツアー。その旅先で起こる事件とは…!?

内山理名 AS 高根沢智子

「湯けむりバスツアー 桜庭さやかの事件簿7」の、今年初めての再放送です。理名ちゃんが演じた智子さんは新婦役で、冒頭でウエディングドレス姿を披露しています。そして、新郎新婦の両家で親睦を深める為にバスツアーへと出かけるのですが、そこで事件が起こり、バスガイドの桜庭さやかさんが解決します。何故かBGMで、ビートルズの「IN MY LIFE」や「YESTERDAY」のインストゥルメンタル・ヴァージョン(演奏者は不明)や、ステッペンウルフの「BORN TO BE WILD(ワイルドでいこう!)」や、レッド・ツェッペリンの「STAIRWAY TO HEAVEN(天国への階段)」や、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)の「PROUD MARY」などが使われています。

本放送:2016年5月23日(TBS)

(姫川未亜/小島イコ)

posted by 栗 at 13:00| RINA | 更新情報をチェックする

2025年01月13日

「ポールの道」#434「LENNON SONGS」#39 「THE LUCK OF THE IRISH」

luckof.jpg


ジョン・レノンとヨーコさんが、1972年6月12日(米国)・同年9月15日(英国)にアップルからリリースした2枚組のアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」の、B面2曲目に収録されているのが「THE LUCK OF THE IRISH」です。ジョンとヨーコさんの共作と云う事になっていて、二人でデュエットしているアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」らしい楽曲のひとつです。考えてみると、後の共作アルバム「DOUBLE FANTASY」の様にお互いの楽曲を代わる代わるに収録したのではなく、ジョンとヨーコさんのデュエットがスタジオ盤の全10曲中半数近い4曲も収録されているのは、アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」だけです。この「THE LUCK OF THE IRISH」も、前曲である「SUNDAY BLOODY SUNDAY(血まみれの日曜日)」同様に、北アイルランド問題に関する楽曲なのですけれど、ジョンとヨーコさんは1972年1月30日の「血の日曜日事件」の前に、1971年にはこの曲を既に完成させてライヴで披露していました。同じ北アイルランド問題を扱っていても、「SUNDAY BLOODY SUNDAY」は怒りを込めた曲調ですけれど、この「THE LUCK OF THE IRISH」はフォーク・ソング風な優しい楽曲になっています。

まず、1971年11月にはアコースティック・ギターでの弾き語りデモをレコーディングしていて、最初はジョンがひとりで、次にヨーコさんを加えてデモを制作しているので、主に曲を書いたのはジョンなのでしょう。そして、1971年12月10日にアナーバーのミシガン大学クリスラー・アリーナで行われた「ジョン・シンクレア・フリーダム・ラリー」で、初めてライヴで披露しています。そして、翌1972年1月13日に放送されたテレビ番組「デヴィッド・フロスト・ショー」で、1971年12月16日に収録したスタジオ・ライヴを披露しています。更に1972年2月18日に放送された「マイク・ダグラス・ショー」では、同年1月28日に収録したスタジオ・ライヴを披露しています。更に、1972年2月5日にも、ニューヨークのブリティッシュ・オーバーシーズ・エアウェイズ・コーポレーションのオフィスで行われた血の日曜日事件の抗議集会でも、ライヴで披露しています。とても良い曲ではあるのですけれど、何度でも云いますが、ジョンとヨーコさんのデュエットは全く噛み合っていないので、楽曲の良さが台無しです。

何せ、ヨーコさんはビートルズ時代の1968年11月22日にリリースされたアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」に収録されたジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作の「THE CONTINUING STORY OF BANGALOW BILL」で、たったひとこと歌っただけでぶち壊しにしてしまった「ジョン・レノン・クラッシャー」なのですから、全編でデュエットなんかされたなら酷くなるのは当たり前田のクラッシャー・バンバン・ビガロなのです。ジョンもその辺の事を理解したから、アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」の後にはデュエットなんかしなかったのでしょう。隠れた名曲「THE LUCK OF THE IRISH」は、如何なるジョンのベスト盤にも収録されていません。実は「THE LUCK OF THE IRISH」がA面で「ATTICA STATE」をB面にしたシングル・カットも予定されていたのですけれど、やはり両面がデュエットでは弱いと考えたのか中止されて「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD / SISTERS, O SISTERS」に変更されています。前述の通りライヴ音源が多いので、1998年の箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」と2004年の「ACOUSTIC」には、1971年12月10日の初披露したライヴ音源が収録されています。ライヴ音源は他にもあるので、それぞれで別ヴァージョンを収録して欲しかったです。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする

「GTO ドラマスペシャル」(再)

GTO スペシャル [DVD]


ファミリー劇場 19:25〜21:05

片瀬那奈 AS 山口梨香

「GTO ドラマスペシャル」の、今年初めての再放送です。後に那奈ちゃんが出演した2020年の連続ドラマ「彼らを見ればわかること」と、2020年から2021年の連続ドラマ「24 JAPAN」で名を連ねたのに全く絡みがなかった木村多江さんと、少しだけですが本当に共演しています。そのドラマ「彼らを見ればわかること」では木村多江さんの娘を演じていた佐久間由衣さんは、2021年のドラマ「彼女はキレイだった」でも那奈ちゃんと名を連ねているものの、やはり絡みが2作共にありません。「GTO ドラマスペシャル」は、那奈ちゃんの女優としての実質的なデビュー作(事実上のデビュー作は「美少女H2 最後のデート」)とも云えるドラマですので、何だか分からない理由で欠番にならない内にどうぞ。コレが再放送出来るのですから、「古畑任三郎」の「再会」が欠番になっているのは、こっちで那奈ちゃんが演じた梨香ちゃんを捨てた「武田先生」を演じた「響鬼」のせいではないと思えるのですけれど、どうなんでしょう。それから、このドラマでは那奈ちゃんが演じた梨香ちゃんの父親役を演じた並木史朗さんとは、2010年のドラマ「ハンマーセッション!」第8話で、なんと婚約者同士で結婚式をあげる役どころで再共演しています。

本放送:1999年6月29日(関西テレビ、フジテレビ)


(小島イコ/姫川未亜)

posted by 栗 at 21:05| ACTRESS | 更新情報をチェックする

2025年01月12日

「ポールの道」#433「LENNON SONGS」#38 「SUNDAY BLOODY SUNDAY」

sunday.jpg


ジョン・レノンとヨーコさんの共作アルバムとして、1972年6月12日(米国)・同年9月15日(英国)にアップルからリリースされたアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」のB面1曲目に収録されて、ジョンとヨーコさんの共作でデュエットしているのが「SUNDAY BLOODY SUNDAY(血まみれの日曜日)」です。この楽曲は、1972年1月30日に北アイルランドのデリーのボグサイド地区で抗議行進中に、イギリス兵が非武装の市民27名を銃撃して14名が死亡し13名が負傷した大虐殺事件である「血の日曜日事件」に抗議する為に書かれたプロテスト・ソングで、同じくアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」に収録されている「THE LUCK OF THE IRISH」も「北アイルランド紛争」に関する楽曲です。この事件には、ジョンの元・相方であるポール・マッカートニーも素早く反応していて、ポールにしては珍しいプロテスト・ソング「GIVE IRELAND BACK TO THE IRISH(アイルランドに平和を)」を事件の当日に書いて、ウイングスでレコーディングして同年2月25日にシングルとしてアップルからリリースしていて、見事にBBCから放送禁止を食らっています。ジョンは、ポールの気持ちには賛同したものの「歌詞が幼稚」と切り捨てています。

しかしながら、ポールまでもが政治的な楽曲を書いて急遽レコーディングして、元々予定していたシングル「LOVE IS STRANGE / I AM YOUR SINGER」をお蔵入りにしてまで、ウイングス名義では初のシングルとして「GIVE IRELAND BACK TO THE IRISH」をリリースしたのですから、只事ではなかったのです。ちなみに、お蔵入りした「LOVE IS STRANGE / I AM YOUR SINGER」は、2022年12月2日にリリースされたポールのシングル80枚組の木箱「THE 7'' SINGLES BOX」で、50年の時を経て収録されて正式にリリースされています。ジョンやポールの心意気は理解出来るものの、こうした時事性が強い楽曲は普遍性に欠けています。確かに「血の日曜日事件」は歴史的な大虐殺事件であって、それに抗議する気持ちは当時も現在でも変わらないのですけれど、ビートルズの中核であった「レノン=マッカートニー」が揃ってこうした曲を書いて発表すると云うのは、やはり1972年と云う時代の成せるわざだったと思うのです。ジョンとヨーコさんは相変わらず「水と油」で、デュエットとして成り立っていませんし、ポールは無理しているのが見え見えです。現在では、ジョンに影響された「U2」が1983年にリリースした同名異曲「SUNDAY BLOODY SUNDAY」の方が有名でしょう。

レコーディング・メンバーは、アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」に収録されている多くの曲と同じで、ジョンとヨーコさんに加えて、エレファンツ・メモリーとドラマーのジム・ケルトナーがバックを務めているわけですが、B級バンドであるエレファンツ・メモリーが下手なのです。スタジオ盤は、フィル・スペクターの手腕で何とかなっていても、ライヴとなると酷くて、ジョンがビートルズ解散後のソロで唯一のフル・ライヴだった「ワン・トゥ・ワン・コンサート」をレコーディングしていたにも関わらずリリースしなかった理由は、演奏が酷いからでしょう。死後の1986年にリリースされましたけれど、ジョンがお蔵入りにしたのも頷ける内容です。生前のジョンのアルバムの中でも、前衛3部作を除けば最も評価が低いアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」からは、ベスト盤に選曲される曲が極端に少なくて、この「SUNDAY BLOODY SUNDAY」は、全72曲入りの2010年の小箱「GIMME SOME TRUTH」には収録されていますが、アウトテイク集である1998年の箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」や、全曲集に近い全73曲入りの1990年の箱「LENNON」には入っていません。志は良いけれど、楽曲としては弱く、アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」か小箱「GIMME SOME TRUTH」でしか聴けません。それでも聴きたい方は、くれぐれもアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」の2005年リミックス盤は買わない様に気を付けて下さい。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする

「20世紀少年」3部作一挙放送



WOWOWシネマ 11:15〜19:00

2008年、2009年公開作品

片瀬那奈 AS 敷島ミカ

「20世紀少年」の今年初めての放送で、3部作一挙放送です。那奈ちゃんが演じた敷島ミカは、1作目には少ない出番ながらセリフもありますが、2作目と3作目は原作とは違ってほとんど一瞬しか出ておりません。ソレが、一時期に那奈ちゃんのプロフィールに「代表作」として掲載されていたのですけれど、ちゃんと映画を観て書いたのでしょうか。ダラダラと3作もつづくよどこまでもな映画で、話題となったのが「キャストが原作マンガにソックリ」と云う、無駄にお金をかけた「コスプレ学芸会」と断じて宜しいでしょう。ちなみに、あたくしは3作共にエキストラ参加しているのですけれど、単にファンとして「那奈ちゃんと同じ映画に出た」だけの映画です。


(小島イコ/姫川未亜)

posted by 栗 at 19:00| ACTRESS | 更新情報をチェックする

2025年01月11日

「ポールの道」#432「LENNON SONGS」#37 「NEW YORK CITY」

newyorkcity.jpg


ジョン・レノンがヨーコさんとの共作で、1972年6月12日(米国)・同年9月15日(英国)にアップルからリリースしたアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」は、ジョンとヨーコさんの共作だった前衛3部作を除けば、最も人気がない作品です。スタジオ盤とライヴ盤の2枚組にしたのも敷居が高いし、スタジオ盤ではジョンが歌う3曲とヨーコさんが歌う3曲の他にも共作曲が多くて、ジョンとヨーコさんがデュエットしている曲がスタジオ盤の全10曲中半数近い4曲も収録されています。ジョンとヨーコさんのデュエットは、全く嚙み合っていなくて、両方の魅力を消し合っていて、ズバリ云って最悪です。時事性が強く政治的な内容も、敬遠されている理由のひとつで、ジャケットのデザイン通りに「新聞」の様な楽曲が並んでいるので、ローリング・ストーンズの曲にあった様に「誰が昨日の新聞を読むのか?」なのです。スタジオ盤でジョンがたったの3曲しかひとりで歌っていないので、後の1976年にポール・マッカートニーが「ウイングスはバンドだから」と云って、アルバム「WINGS AT THE SPEED OF SOUND」で全11曲中約半数の6曲しか歌わず、残りの5曲をウイングスのメンバーに歌わせてしまった愚挙にも似ています。ジョンとポールは離れていてもやる事がとても似ていて、ジョンもヨーコさんとの共作に拘った結果が、このつまらないアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」なのです。

しかし、そこはジョンなので、ライヴ盤には1969年12月15日のスーパー・バンドによる「COLD TURKEY」が収録されていますし、1971年6月6日のフランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オブ・オブ・インベンションとの共演も収録されているので、侮れません。ところが、2005年11月にリリースされたリミックス盤では、ザッパ先生との共演を「WELL(BABY PLEASE DON'T GO)」のみにしてしまい、他の3曲をバッサリとカットして、「LISTEN THE SNOW IS FALLING」と「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」をボーナス・トラックで入れて1枚に収めたものになっているのです。本編がカットされているのに、ボーナス・トラックが入っているなんて有り得ない事をやっています。さて、アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」は、A面1曲目がジョンが歌う「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」で始まり、2曲目はヨーコさんの「SISTERS, O SISTERS」で、3曲目がジョンとヨーコさんの共作デュエット曲「ATTICA STATE」で、4曲目がヨーコさんの「BORN IN A PRISON」で、かなりキツイ内容です。ところが、A面5曲目で最後には、ジョンが単独で書いてひとりで歌う「NEW YORK CITY」が収録されています。アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」のスタジオ盤は、「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」と、この「NEW YORK CITY」が収録されているだけで価値があります。

チャック・ベリー直伝の「NEW YORK CITY」は、爽快なロックンロールで、ロックンローラー・ジョン・レノンの神髄が記録された名曲です。歌詞の内容は、当時にジョンの周りで起こった事(デヴィッド・ピールとの出会い、フランク・ザッパとのコンサート、エレファンツ・メモリーとの出会い、アッティカ州立刑務所のチャリティーコンサート、マックス・カンサス・シティへの訪問など)を歌いながら、「POWER TO THE PEOPLE」や「LONG TALL SALLY」や「FOR YOU BLUE」や「I AM THE WALRUS」と云った曲から引用しています。バックを務めたのは、エレファンツ・メモリーとジム・ケルトナー(ドラムス)で、フィル・スペクターのプロデュースで強烈なロックンロールに仕上げられています。この曲はベスト盤に収録される機会がなくて、1990年のCD4枚組全73曲入りの箱「LENNON」や、2010年のCD4枚組全72曲入りの小箱「GIMME SOME TRUTH」の様な「全曲集」に近いカタチや、2005年の2枚組全38曲入りのベスト盤「WORKING CLASS HERO」にしか収録されていない「隠れた名曲」です。1972年8月30日の「ワン・トゥ・ワン・コンサート」では1曲目に披露されて、1986年のライヴ盤「LIVE IN NEW YORK CITY」に収録されていますし、1998年の箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」にはデモ音源が収録されています。オリジナル・ヴァージョンは、前述のベスト盤以外では、2006年のサントラ盤「THE U.S. VS JOHN LENNON」に収録されています。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする

2025年01月10日

「ポールの道」#431「LENNON SONGS」#36 「ATTICA STATE」

sometimeinnyc.jpg


ジョン・レノンが、1972年6月12日(米国)・同年9月15日(英国)にアップルからリリースしたアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」は、ジョンのソロ・アルバムではなくて、ヨーコさんとの共作でした。アルバムは2枚組で、スタジオ盤の「SOMETIME IN NEW YORK CITY」と、ライヴ盤の「LIVE JAM」からなっています。スタジオ盤の「SOMETIME IN NEW YORK CITY」は、A面が、1「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD(女は世界の奴隷か!)」、2「SISTERS, O SISTERS」、3「ATTICA STATE」、4「BORN IN A PRISON」、5「NEW YORK CITY」で、B面が、1「SUNDAY BLOODY SUNDAY(血まみれの日曜日)」、2「THE LUCK OF THE IRISH」、3「JOHN SINCLAR」、4「ANGELA」、5「WE’RE ALL WATER」の全10曲で、ジョンの単独作は「NEW YORK CITY」と「JOHN SINCLAR」の2曲だけで、ヨーコさんとの共作になっている「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」の3曲のみでしかジョンはひとりで歌ってはいません。他は「ATTICA STATE」と「SUNDAY BLOODY SUNDAY」と「THE LUCK OF THE IRISH」と「ANGELA」の4曲がジョンとヨーコさんの共作でデュエットしていて、「SISTERS, O SISTERS」と「BORN IN A PRISON」と「WE’RE ALL WATER」の3曲はヨーコさんが書いてひとりで歌っています。

コレをジョンのソロ・アルバム「IMAGINE」の次だと思って聴くと、アレレ?となります。後のアルバム「DOUBLE FANTASY」よりも、かなりキツイですし、時事性が強すぎる内容なので滅多に聴きません。ジョンが一人で歌っている「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」と「NEW YORK CITY」と「JOHN SINCLAR」の3曲は、全て1990年リリースの箱「LENNON」に収録されているので、それだけで充分だとさえ思います。さて、アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」のA面3曲目に収録されているのが「ATTICA STATE」です。このジョンの全曲解説では、ヨーコさんの単独作は取り上げていないので、A面2曲目の「SISTERS, O SISTERS」は割愛させて頂きます。本当ならば、この「ATTICA STATE」の様なデュエット曲も取り上げたくはないのですけれど、ジョンも歌っているから仕方なく取り上げています。以前にも書きましたけれど、ジョンとヨーコさんの共作は「ジョンがヨーコさんに負けている」し、本来はロックンローラーであるジョンの力量が発揮されてはいないし、率直に云えば「混ぜるな危険」だと思っています。「ATTICA STATE」の内容は、1971年9月に起こったアッティカ州立刑務所の暴動をテーマにしたプロテスト・ソングで、アルバムにはジョンとヨーコさんの他には、エレファンツ・メモリーとドラマーのジム・ケルトナーが参加しています。

時事性が強い楽曲なので、当時にはライヴでも披露されていて、1971年12月10日の「ジョン・シンクレア・フリーダム・ラリー」と、同年12月17日の暴動で亡くなった人々の家族の為のチャリティーコンサートと、1972年1月13日の「デビッド・フロスト・ショー」で演奏しています。1971年12月10日のライヴ・ヴァージョンは、2006年にリリースされたサントラ盤「THE U.S. VS JOHN LENNON」に収録されて、1971年12月17日のライヴ・ヴァージョンは、1998年リリースの箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」に収録されています。元々この「ATTICA STATE」は、1971年10月9日のジョンの31歳のお誕生日に行われたパーティーで考案して歌われていて、パーティーには、リンゴ・スター、リンゴの妻・モーリン・スターキー、フィル・スペクター、クラウス・フォアマン、マル・エヴァンス、ニール・アスピノール、エリック・クラプトン、アレン・ギンズバーグ、ジム・ケルトナー、などが参加していて、ジョンとヨーコさんと一緒に、アコースティック・ギターで数々の楽曲を演奏して歌っています。ビーチ・ボーイズのアルバム「PARTY」みたいな感じで興味深い楽曲が多く演奏されていて、ブートレグの定番ですけれど音は悪いし、みんな酔っ払っているみたいで酷い演奏です。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする

「雲霧仁左衛門4」第五回、第六回(再)で内山理名ちゃん

Great Escape


時代劇専門チャンネル 14:00〜16:00

第五回「大脱走」
第六回「黒幕分断」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門4」第五回と第六回の、今年初めての再放送です。第五回では、雲霧一党とは無関係な静が安部式部に人質に取られてしまい、静を慕う熊五郎が身代わりになって捕らえられてしまいます。そこで雲霧一党は、市中引き回しされる熊五郎を白昼堂々と救出します。しかし、理名ちゃんが演じるお千代姐さんが雲霧仁左衛門から貰った匂い袋を大切にいつも身に着けていて、そこから足がついてしまい大変な事になります。

第六回では、柏屋を襲撃して成功したかに見えた雲霧一党ですが、お千代姐さんの匂い袋によって正体がばれてしまい失敗します。雲霧仁左衛門にもらって大切にしていた匂い袋でしたが、お千代姐さんは責任を感じて密偵を志願するのでした。宝物の匂い袋を燃やし、決死の覚悟で七化け史上に遺る「男」の姿に化けて潜入します。

ところで、現在放送中の「雲霧仁左衛門ファイナル」では、初回でおもんが「お千代姐さんにも逢いたかったなぁ」と云って、お千代姐さんの生存が確認(遠方に別の仕込みに行っている設定)できたと思ったら、初回でおもんが斬り殺されてしまいました。これでお千代姐さんが登場して殺されたりしたら酷いので、そう云う脚本にはしないで欲しいです。

本放送:2018年10月5日10月12日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

posted by 栗 at 16:00| RINA | 更新情報をチェックする

2025年01月09日

「ポールの道」#430「LENNON SONGS」#35 「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」

womanisthenigger.jpg


ジョン・レノンは、1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)にアップルからリリースした2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」の後に、本国である英国から米国へと移住しました。それは、長く続くジョンと米国政府との対立となってゆきます。ジョンは移住後には初のアルバムとなる「SOMETIME IN NEW YORK CITY」を、ヨーコさんとの共作として、1971年11月から翌1972年3月にかけて、ニューヨークのレコード・プラント・イーストで、ジョンとヨーコさんとフィル・スペクターの共同プロデュースでレコーディングして、1972年6月12日(米国)・同年9月15日(英国)・同年11月20日(日本)にアップルからリリースしました。英国でのリリースが米国よりも3か月も後になったのは、ジョンとヨーコさんの拠点が米国へと移ったからでしょう。アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」からの先行シングルとして、ジョンは「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD(女は世界の奴隷か!)」を、1972年4月24日にアップルからリリースしています。英国でのシングル・カットはされておらず、日本では「女は世界の奴隷か!」の邦題で、同年6月25日にリリースされています。B面は、ヨーコさんの「SISTERS, O SISTERS」です。

黒人を蔑視する「NIGGER」と云う言葉が使われているので、全米では放送禁止曲となり、チャートでも57位までしか上がっていません。タイトルの「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」は、ヨーコさんの発言から取ったもので、曲もジョンとヨーコさんの共作となっていますけれど、作曲はジョンが主導で書かれたと思われます。レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、ギター)、スタン・ブロンスタイン(テナーサックス)、ゲイリー・ヴァン・サイオック(ベース)、アダム・イッポリート(ピアノ、オルガン)、ウェイン・"テックス"・ガブリエル(ギター)、リチャード・フランク・ジュニア(ドラムス、パーカッション)、ジム・ケルトナー(ドラムス)で、エレファンツ・メモリーにジム・ケルトナーが加わった布陣で、1972年8月30日の「ワン・トゥ・ワン・コンサート」と同じです。タイトルでの「NIGGER」に関してジョンは「共闘している黒人が、差別だと感じるとは思わない」と云っています。ちゃんと内容を聴けば、ジョンが「女性も黒人と同じく差別されている」と歌っていると分かるのですけれど、今も昔も過激な表現は蓋をされるわけですなあ。楽曲としては、フィル・スペクターによる「音の壁」で、熱演となっていて、ジョンのシャウトも存分に聴けます。

収録されたアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」が2枚組で、スタジオ盤もライヴ盤もジョンとヨーコさんの共作となっている事もあって、この曲やアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」に収録された曲は敬遠されているし、そもそもアルバムを聴いていない人も多いので、評価が低いし、アルバムのジャケットが示す通りに「新聞」の様な時事性がある楽曲が多くて、普遍的な作品とは一線を画す内容となっています。後のアルバム「DOUBLE FANTASY」は、ジョンとヨーコさんの楽曲が交互に配置されていましたけれど、アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」では、ジョンの曲とヨーコさんの曲だけではなく、二人の共作でデュエットしている曲も多くて、それらがごちゃ混ぜになっているので、なかなか通して聴く機会もないでしょう。挙句に2枚目のライヴ盤には「COLD TURKEY」や「DON'T WORRY KYOKO」の長尺ヴァージョンや、フランク・ザッパとの共演まで入っているのですから、アルバム「IMAGINE」の次だからと油断して聴くと、結構、痛い目に遭います。「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」は、ジョンのベスト盤には、生前の「SHAVED FISH」には短縮ヴァージョンで収録されていますが、死後のベスト盤では外される事も多い曲です。しかし、ライヴ音源やアウトテイクは多くの編集盤に収録されています。同じメンバーでのライヴ音源は、スタジオ盤での「フィル・スペクター・マジック」がない剥き出しの状態なので、エレファンツ・メモリーの下手な演奏が目立ちます。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする

2025年01月08日

「ポールの道」#429「LENNON SONGS」#34 「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」

happyxmaswarisover.jpg


1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)に、ジョン・レノンがアップルからリリースした2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」には、表題曲「IMAGINE」の様な世界平和を願う曲がある一方で、元・相方であるポール・マッカートニーを貶し捲った「HOW DO YOU SLEEP?」の様な楽曲も収録されていて、ジョンの二面性が表れていました。しかしながら、レコーディングを記録したドキュメンタリー作品を観ると、とても印象的な場面があります。それは、ラリッたビートルズ・ファンの青年がジョンの屋敷に侵入して来て、ジョンはガードマンなどには任せずに、自分で青年と対話するのです。ジョンは青年を納得させると「腹減ってないか?」と云って、自宅に青年を招いて、一緒に食事するのでした。記録映画でその場面を観ると、泣きそうになります。そんな、純粋で真摯であったが為に、ジョンは殺されてしまったのでしょう。当時、ジョンがヨーコさんと行っていた平和活動は、一緒にベッドに入ったり、各国の首脳にドングリを送ったり、唐突に「戦争は終わった」と宣言したり、果てには「架空国家」を建立したりと、一般人には理解不能な事が多くて、ビートルズ・ファンはそうした奇行を「純真なジョンが、ヨーコさんのせいでバカになった」と思っていたのですが、ヨーコさんの発言を聞くと、どうやらそう云う事はジョンが主導で突っ走っていたらしいのです。何事も夢中になると行くところまで行ってしまうのが、ジョン・レノンです。

ジョンはかねがね、永遠に残る「クリスマス・ソング」を書きたいと思っていて、アルバム「IMAGINE」をリリースした直後である1971年10月に「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」を書いて、同年10月28日と31日に、ニューヨークのレコード・プラント・スタジオでレコーディングしました。米国では、同年12月1日にアップルからリリースされたのですけれど、英国では翌1972年11月24日になってようやくリリースされています。楽曲は、ジョンとヨーコさんの共作となっていて、プロデュースはジョン&ヨーコさんとフィル・スペクターです。レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、ギター)、オノ・ヨーコさん(ヴォーカル)、ハーレムコミュニティ合唱団(バッキング・ヴォーカル)、メイ・パン(バッキング・ヴォーカル)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ、チャイム、グロッケンシュピール)、テディ・アーウィン(ギター)、ヒュー・マクラッケン(ギター)、クリス・オズボーン(ギター)、スチュアート・シャーフ(ギター)、ジム・ケルトナー(ドラムス、そりの鈴)、クラウス・フォアマン(ベース)です。チャート上の成績は、クリスマス・ソングと云う事で対象外でしたが、後にジョンの死後に英国で2位まで上がり(その時の首位!は「IMAGINE」)、米国のクリスマス・ソング・チャートでは3位まで上がり、ジョンが望んだ結果にはなっています。その後を考えると、ヨーコさんとメイ・パンが共演しているのがポイントでしょうか。

ビートルズは、1963年から1969年までファン・クラブ会員に毎年「クリスマス・レコード」を制作して贈っていました。最後の1969年盤では、ジョンとヨーコさんが「HAPPY XMAS」と何度も云っているので、もうその頃には着想があったのでしょう。他のメンバーも、1974年にはジョージ・ハリスンが「DING DONG, DING DONG」を、1979年にはポール・マッカートニーが「WONDERFULL CHRISTMASTIME」を、1999年にリンゴ・スターがアルバム「I WANNA BE YOUR SANTA CLAUS」を、それぞれリリースしています。「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」は、アルバム未収録曲でしたが、1975年にジョン自身が編集したシングル集「SHAVED FISH」に収録されました。但し、その時には「GIVE PEACE A CHANCE」のライヴ・ヴァージョンとのメドレーになっていました。ジョンの死後にリリースされたベスト盤には、定番曲としてオリジナル・シングル・ヴァージョンが収録されています。フィル・スペクターには極上の「クリスマス・アルバム」である1963年の「A CHRISTMAS GIFT FOR YOU」もあるので、この手の曲をプロデュースするのは得意中の得意であったのでしょう。そのアルバムは、1972年にサンタクロースに扮したフィル・スペクターのジャケットで「PHIL SPECTOR'S CHRISTMAS ALBUM」と改題して、アップルからリイシューされています。

アレンジはジョージがロニー・スペクターに書いて、フィル・スペクターとジョージが共同プロデュースした1971年の「TRY SOME, BUY SOME」(1973年にジョージがセルフ・カヴァー)を参考にしているし、曲はフィル・スペクターがかつて手掛けた1961年のパリス・シスターズの「I LOVE HOW YOU LOVE ME」に似ています。しかし、もっと似ているのが、英国のフォーク・ソング「SKEWBALL」です。「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」は、日本盤は1971年12月10日に「ハッピー・クリスマス」の邦題でリリースされましたが、クリスマス期間が終わったので、1972年にセカンド・プレスで「戦争は終わった」と改題していて、その後にまた「ハッピー・クリスマス」に戻されたので、「戦争は終わった」は激レア盤になりました。1998年の箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」には1971年10月28日にレコーディング(クラウス・フォアマンがドイツからの飛行機が到着せずに不参加)したラフ・ミックスが聴けますけれど、Bメロに子どもたちの合唱(10月31日にオーバーダビング)がないので、ヨーコさんがひとりで歌っていて、困ったちゃんなのです。イントロで、ヨーコさんが京子さんへ、ジョンがジュリアンに「HAPPY XMAS」と云っているのですが、シングル集「SHAVED FISH」の歌詞カードでは間違って、それぞれヨーコさんとジョンになっていて、その後のCD化でも直されていません。PVは旧ヴァージョンと新ヴァージョンが制作されていて、旧ヴァージョンは他の楽曲と同じく現在ではDVD化されていません。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする

「都市伝説の女」第1話(再)で内山理名ちゃん

都市伝説の女 [Blu-ray]


テレ朝チャンネル2 20:00〜21:00

第1話「転落死…将門首塚の祟り!?」

内山理名 AS  関口千穂(第1話ゲスト)

「都市伝説の女」第1話の今年初めての再放送で、昨年(2024年)は8回も再放送された定番ドラマです。理名ちゃんが演じた関口さんは、殺人事件の被害者の元カノで、犯人の婚約者です。序盤で、理名ちゃんが演じた関口さんが、長澤まさみちゃんが演じた主役の音無月子を、いきなりだなあ、とビンタするシーンがあります。都市伝説に拘る破天荒な刑事・音無月子が事件を解決する1話完結のドラマで、本放送は「金曜ナイトドラマ」枠で、数字は平均で「9.7%」と深夜枠としては大ヒットしたので、翌年に続編も制作されています。

本放送:2012年4月13日(テレビ朝日)

(姫川未亜/小島イコ)

posted by 栗 at 21:00| RINA | 更新情報をチェックする

2025年01月07日

「ポールの道」#428「LENNON SONGS」#33 「OH YOKO!」

ohyoko.jpg


ジョン・レノンが、1970年12月11日にアップルからリリースした初のソロ・アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」は、詞も曲も当時のジョンの心情を反映した作品で、「私小説」的なアルバムです。しかしながら、ジョンはビートルズ時代からそうした私小説的な楽曲を多く発表していました。例えば、1964年の「I'M A LOSER」では、全世界を制覇したビートルズのリーダーが「僕は負け犬」と歌っていて、世界的なスーパースターになってみたら、それは想像していたのとは違っていた、と云うわけです。1965年の「HELP!」も、心の底から救済を求めている内容でしたし、同年の「IN MY LIFE」ではまだ25歳なのに人生を振り返っています。1966年の「I'M ONLY SLEEPING」や「SHE SAID SHE SAID」、そして1967年の「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」や「A DAY IN THE LIFE」、1968年の「I'M SO TIRED」や「YER BLUES」、1969年の「I WANT YOU(SHE'S SO HEAVY)」等々、全てはジョンの心情から出来た楽曲でした。1969年のビートルズのシングル「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」になると、結婚の顛末を歌うと云う、完全な私小説になっています。1969年4月14日に行われた「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」のレコーディングは、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの二人だけで行われていて、それを「ビートルズ」名義でリリースしてしまったのです。

ちなみに、そのシングルのB面はジョージ・ハリスン作の「OLD BROWN SHOE」で、ジョージは当然参加しているものの、リンゴ・スターは映画の撮影中だった為に不参加だとも云われています。それは初めての事ではなくて、1968年のアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」のセッション中にリンゴが脱退していて、それなのにポールがドラムスを叩いてレコーディングは続行されていて、リンゴ不参加の「BACK IN THE U.S.S.R.」と「DEAR PRUDENCE」の2曲がA面1曲目と2曲目に収録されているのです。さて、既にビートルズ時代に「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」を発表していたジョンは、1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)にアップルからリリースした2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」のB面5曲目でアルバムの最後に「OH YOKO!」を収録しています。この楽曲も、元々はビートルズ時代にインドで書き始めていて、1969年には出来ていたと思われる楽曲です。自分の奥さんを歌った曲ですから、ビートルズではレコーディング出来なかったのかと云うと、そうではないのです。既に「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」をビートルズとしてリリースしていたわけですから、ジョージやリンゴは嫌がったとしても、ポールは当然の如く協力したはずなので、ジョンがやる気だったならば、普通にビートルズとして発表していたでしょう。

愛妻賛歌ならば、ポールもジョンよりも前の1970年4月リリースの「McCARTNEY」のA面1曲目に「THE LOVELY LINDA」を収録しているわけで、どっちもどっちなのです。「OH YOKO!」のレコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、エレクトリック・ギター、ハーモニカ)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、クラウス・フォアマン(ベース)、アラン・ホワイト(ドラムス)、フィル・スペクター(ハーモニー・ヴォーカル)、ロッド・リントン(アコースティック・ギター)、アンディ・デイヴィス(アコースティック・ギター)です。アウトテイクを聴くと、元々はジョンがピアノの弾き語りで完成版よりもずっとスローに演奏して歌っていますが、レコードになったのはアップテンポで軽快な曲になっていて、久しぶりにジョンがハーモニカを吹いていて、「A DAY IN THE LIFE」にも出てきていた「TURN YOU ON」と云うフレーズもあります。良い曲だと思いますし、シングル・カットも検討されたものの、ジョンが照れくさいと却下しています。だったら、そもそもレコーディングしてアルバムに収録するな、って話ですけれどね。「OH YOKO!」のPVは1971年の「IMAGINE / THE FILM」に、デモやアウトテイクは2018年のアルバム「IMAGINE」の箱などに収録されています。この曲の元ネタはロニー・ドネガンの「LONG LOST JOHN」で、1998年の「JOHN LENNON ANTHOLOGY」に、それをジョンが歌っているヴァージョンが収録されています。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする

2025年01月06日

「ポールの道」#427「LENNON SONGS」#32 「HOW?」

Beatles-singles-the-long-and-winding-road-1.jpg


ジョン・レノンが、1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)にアップルからリリースした2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」の、B面4曲目に収録されているのが「HOW?」です。前曲である「HOW DO YOU SLEEP?」で、徹底的に元・相方であるポール・マッカートニーを貶し捲った後で、この美しい曲を配置するジョンの二面性は、一体、何なのでしょうか。「HOW?」のレコーディングは、1971年5月25日に、ジョンの自宅にあるアスコット・サウンド・スタジオでベーシック・トラックが、同年7月4日にニューヨークのレコード・プラント・スタジオでストリングスをオーバーダビングしています。レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、ピアノ)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、クラウス・フォアマン(ベース)、ジョン・バーハム(ビブラフォン)、アンディ・デイヴィス(アコースティック・ギター)、アラン・ホワイト(ドラムス)、ザ・フラックス・フィドラーズ(ストリングス)です。ストリングスを担当している「ザ・フラックス・フィドラーズ」は「ニューヨーク・フィルハーモニック」のメンバーで構成されていて、1971年5月にリリースされたポール&リンダ・マッカートニーのアルバム「RAM」でも「ニューヨーク・フィルハーモニック」がストリングスを担当しています。

つまり、それもポールに対する当て付けで、当然の如くポールを攻撃した「HOW DO YOU SLEEP?」でもストリングスを担当させています。そうしてジョンはポールを攻撃している一方で、アルバム「RAM」でギターを弾いているデイヴィッド・スピノザ(1973年のアルバム「MIND GAMES」)や、ヒュー・マクラッケン(1971年のシングル「HAPPY XMAS」、1980年のアルバム「DOUBLE FANTASY」)を、後にギタリストとして起用しているのです。ヒュー・マクラッケンがオーディションに行ったら、ギターを弾く前に、ジョンから「君はポールの『RAM』で弾いていたね、だったら、合格」と云われたそうです。その辺の「ジョンとポールの信頼関係」は、他の人には分からない程に強かったわけですなあ。それで、ポールを貶し捲った「HOW DO YOU SLEEP?」の次に「HOW?」を持ってきていて、この楽曲は明らかにポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作で1970年にリリースされたビートルズの「THE LONG AND WINDING ROAD」に似ているのです。♪THE LONG AND WINDING ROAD♪ダターンタターン、と♪HOW CAN I GO FORWARD WHEN I DON'T KNOW WHICH WAY I’M FACING?♪ダターンタターンは、丸っきり同じではありませんか。それも「HOW DO YOU SLEEP?」の様にポールを揶揄したのではなく、敬愛を込めてマネしているのです。

そうして考えてみるとですね、前作アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」の「LOVE」も、ギターで弾いてみると1964年にビートルズがリリースしたレノン=マッカートニー作の「AND I LOVE HER」に似ているし、この「HOW?」も、ピアノで弾いてみると「THE LONG AND WINDING ROAD」に似ているわけで、ジョンのソロ名義では次作となる1973年リリースのアルバム「MIND GAMES」に収録された名曲「OUT THE BLUE」は、1968年にビートルズがリリースしたポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作の「BLACKBIRD」に似ているし、「I KNOW(I KNOW)」のイントロは、1970年にビートルズがリリースしたレノン=マッカートニー作の「I'VE GOT A FEELING」と同じです。そんな、どんなに抗おうとも出てきてしまう「ビートルズ風味」や「レノン=マッカートニー風味」は、ジョンがジョンであるが故なのです。前作の「GOD」で「ビートルズを信じない」と宣言したはずなのに、亡くなるまでジョンはビートルズであり続けたのでした。「HOW?」のPVは1971年の「IMAGINE / THE FILM」などで、デモやアウトテイクは2018年のアルバム「IMAGINE」の箱などに収録されています。ベスト盤にまでジョンもやり過ぎたと反省していた「HOW DO YOU SLEEP?」を収録する位ならば、この「HOW?」を入れるべきです。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする

「ドルチェ」(再)で内山理名ちゃん

ドルチェ (新潮文庫)


チャンネルNECO 12:30〜14:30

内山理名 AS 浜田知美

「ドルチェ」の今年初めての再放送で、昨年(2024年)にはなんと9回も再放送されている定番ドラマのひとつです。理名ちゃんが演じた知美さんは汚れ役の風俗嬢で、殺人事件の容疑者となり自供までするものの、真犯人をかばって偽証している役どころです。重要な役どころなので、明日に再放送される続編の「ドルチェ2」にも、理名ちゃんは回想シーンで登場します。

ところで、昨日(1月5日)から始まった「雲霧仁左衛門ファイナル」ですけれど、雲霧一党の「おもん」のセリフで「お千代姐さんにも逢いたかったなぁ」と云うのがあって、どうやらお千代姐さんは別件で遠方に仕込みに行っている設定の様です。その侭で登場しないのか、サプライズでどこかで登場するのかは分かりません。

本放送:2012年10月12日(フジテレビ)

(姫川未亜/小島イコ)

posted by 栗 at 14:30| RINA | 更新情報をチェックする

2025年01月05日

「ポールの道」#426「LENNON SONGS」#31 「HOW DO YOU SLEEP?」

RAM.jpg


1970年4月10日に、ポール・マッカートニーは「ビートルズからの脱退」を宣言しました。それで、同年4月17日には初のソロ・アルバム「McCARTNEY」をアップルからリリースしたわけですけれど、当然の事ですがレコーディングはまだビートルズが存在していた時で、愛妻・リンダが僅かにヴォーカルで参加しているものの、ほとんどの楽器と歌をポールが一人で宅録したものでした。それで、ビートルズ解散後にポールが最初にレコーディングしてリリースしたのは、ポール&リンダ・マッカートニー名義で、1971年5月17日(米国)・同年5月21日(英国)にアップルからリリースしたアルバム「RAM」と云う事になります。現在ではポールの最高傑作と云う評価まであるアルバム「RAM」ですけれど、リリース当時の評価はそれ以上ない程に酷くて、「ローリング・ストーン」誌では「変質した60年代ロックが生んだ、これまでで最低のアルバム」とまで書かれてしまったばかりか、リンゴ・スターにまで「ポールは、自分の才能をスポイルしている」などと貶されたのです。しかしながら、ポールにとってはそんな事よりもジョン・レノンの反応が気になっていたでしょう。すると、ジョンはアルバム「RAM」を聴いて怒り狂ったのでした。それは、アルバム「RAM」の収録曲が自分を攻撃していると感じたからでした。

ジョンは「他の奴が聴いても分からないかもしれないけれど、俺には分かる」と云って、具体的には「TOO MANY PEOPLE」や「3 LEGS」や「DEAR BOY」や「SMILE AWAY」や「LONG HAIRD LADY」と云った楽曲が気に食わなかったのです。ポールも「TOO MANY PEOPLE」に関しては、ジョンへ向けて書いたと認めています。怒ったジョンは、1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)にリリースした2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」のB面3曲目に収録した「HOW DO YOU SLEEP?」と云う、史上最低最悪の悪口ソングを書いて対抗したのです。レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、エレクトリック・ギター)、ジョージ・ハリスン(スライド・ギター)、ニッキー・ホプキンス(エレクトリック・ピアノ)、ジョン・タウト(ピアノ)、テッド・ターナー(アコースティック・ギター)、ロッド・リントン(アコースティック・ギター)、アンディ・デイヴィス(アコースティック・ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、アラン・ホワイト(ドラムス)、ザ・フラックス・フィドラーズ(ストリングス)で、楽曲的にはファンク調で、フィル・スペクターの「音の壁」も存分に味わえるものとなっています。しかし、内容はジョージが「コレ、本当にレコーディングする気なの?」と怖気付く程に酷い歌詞なのです。

イントロではビートルズのアルバム「SGT. PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND」を思わせるストリングスの調弦があって、詞の全体でポールをこれでもか、とばかりに貶し捲っています。そもそも「HOW DO YOU SLEEP?」と云うのはですね、ポールの目が大きいので、他のビートルズのメンバーから「そんなに目が大きくて眠れるの?」と云われていたジョークだったのです。そのフレーズをサビにして、「お前が出来たのはYESTERDAYだけ、今のお前はANOTHER DAY」とか「あいつらがお前が死んだと云っていたのは、本当だった」とか「お前が作るのは、俺の耳にはムーザックだ」とか、滅茶苦茶に云っています。余りにも酷い内容で、リンゴがスタジオに来て聴いて「もういいよ、やめようよ、ジョン」と忠告したそうです。歌詞の内容に関しては、ヨーコさんとアラン・クレインが悪ノリして手伝ったらしく、ポールは気にしていないと云っているものの、アルバム「IMAGINE」にはポール&リンダのアルバム「RAM」のジャケットをからかった「ブタとジョン」のポートレートまで付けているんですから、悪意丸出しなのです。ジョンは後年になって、ポールへの個人攻撃ではないなどと言い訳をしていますけれど、どう聴いてもポールの全人格まで否定した酷い歌なんですよ。

この曲が収録されているのですから、どんなに「IMAGINE」などと「愛と平和」を唱えても、説得力はありません。そもそも、ジョンはこうした底意地の悪さを持っている人だったわけで、どこが「愛と平和のジョン・レノン」なんだと云う話です。ポールは、1971年にウイングスを結成して、同年12月には早くもアルバム「WINGS WILD LIFE」をリリースしています。そのB面に収録された「TOMORROW」と「DEAR FRIEND」で、ジョンの「HOW DO YOU SLEEP?」へ返答しています。「TOMORROW」は「YESTERDAY」のコード進行を使った楽曲で、最後に「DON'T LET ME DOWN」と絶唱するので、明らかにジョンへ向けています。そして「DEAR FRIEND」で大人の対応をして「SONG WAR」の決着を図ったと云われています。しかしながら、その「DEAR FRIEND」が書かれたのは1970年なのです。つまり、ポールは初めから落としどころを用意して、「TOO MANY PEOPLE」などでジョンを攻撃したと云うわけですなあ。「HOW DO YOU SLEEP?」は他の楽曲と同じで、PVは1971年の「IMAGINE / THE FILM」に、デモやアウトテイクは1998年の「JOHN LENNON ANTHOLOGY」や、2018年のアルバム「IMAGINE」の箱などに収録されています。珍しいところでは、2006年のサントラ盤「THE U.S. VS JOHN LENNON」にインストゥルメンタル・ヴァージョンが収録されています。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする

「43分44秒のIWGP世界ヘビー級選手権と、8分46秒のIWGP女子選手権」



今年(2025年)も、新日本プロレスが「1・4東京ドーム大会」と「1・5東京ドーム大会」を行いました。「1・4」はCSでの生中継があったので、テレビ桟敷で観戦したのですけれど、メインエベントではIWGP世界ヘビー級選手権の「王者・ザック・セイバーJr. X 挑戦者・海野翔太」の試合が行われて「43分44秒」でザックが勝ちました。40分を超える激闘だったのか、と云うと、それは違っていて、ズバリ云って「しょっぱい試合」でした。試合と云うよりも、ザックが海野を公開スパーリングしている様な、ダラダラとつづくよどこまでもな展開で、負けてヘトヘトになっている海野を見下ろして、ザックはピンピンしているんですから、力の差がありすぎて、予想された通りに「海野にはドームのメインは早い」を証明しただけの試合でした。解説のミラノさんは「海野は、何をやりたいんでしょうね」とか呆れているし、ロープ・ブレイクで反則カウントを数えているレフェリーを突き飛ばしたら、ゲスト解説の蝶野さんが「オヤジをどついた」とか喜んでいる始末でした。説明するとですね、メインを裁いたレフェリーのレッドシューズ海野さんは、海野翔太の実の父親なのです。新春早々に親子喧嘩みたいな事を見せられて、困ったちゃんなのでした。

かつての「猪木 X ロビンソン」とか「猪木 X 藤波」とか60分フルタイムだった名勝負は、1時間たっぷりと見せ場があってですね、全く退屈しなかったし、何度も鑑賞に耐えうるからこそ「名勝負」なのですよ。いえね、別に昔は良かった、と云いたいわけではなくてですね、試合は長ければ良いと云うわけじゃないって事なのです。「1・4」の第2試合では、IWGP女子選手権の「王者・岩谷麻優 X 挑戦者・AZM」の試合が行われていてですね、そちらは前座みたいなもんですから「8分46秒」で岩谷が勝って防衛したのです。スターダムでやったのなら20分位はかけた試合でしょうけれど、それがたったの9分足らずなのに、メインエベントよりもずっと良い試合だったのですから、本当に困ったちゃんなのです。日本人は国技と云われる大相撲が好きですけれど、あれって仕切りの時間は長いけれど、実際の勝負時間だと秒殺なんですよ。1分でも長いし、4分超えしたら水入りです。最近のプロレスはメインエベントを長くやれば良いとでも思っているのか、IWGP世界ヘビー級選手権だと30分超えは当然で、今回は海野を売り出す為に更に長くして40分超えにしたのでしょうけれど、アレじゃあ逆効果です。長引けば長引くほどに、ザックの強さばかりが目立ち、海野はしょっぱくなるばかりって、わざわざ東京ドームへ足を運んで、海野へのブーイング以外では静まり返った観客の皆さんも、お疲れ様でしたとしか云えませんなあ。

そして「1・5」ですけれど、第0試合でスターダムの渡辺桃が優勝して、第3試合ではスターダムの白川未奈がメルセデス・モネにタイトルマッチで負けてしまいました。しかしながら、試合時間も「14分6秒」とそこそこ長くて、昔はビジュアル先行だった白川が東京ドームでシングルマッチをする位置まで這い上がって来たのには「夢」があります。メインエベントではIWGP世界ヘビー級選手権で「王者・ザック・セイバーJr. X 挑戦者・リコシェ」が行われて「20分57秒」でザックが勝ちました。2連戦でベルトを守ったのは、ザックが史上初です。前日の半分以下の時間でしたけれど、キリリと締まって良かったのではないでしょうか。セミファイナルの「ケニー・オメガ X ゲイブ・キッド」が「31分55秒」の激闘だったので、それでメインも40分とかやられたら、ちょっと勘弁して欲しいところです。そして、観客動員数は「1・4」が2万4千百7人で「1・5」が1万6千3百人だったそうで、久しぶりに2連戦にした結果ですけれど、2日合計でも4万人では、櫻坂46の東京ドーム公演の1回分(5万5千人・2日で11万人)にも満たないわけでして、困ったちゃんですなあ。かつての「新日 X UWF」とか「猪木引退」とかサバを読んではいたけれど6万人とか7万人とか発表していて、事実として立錐の地なく入っていたわけで、海野は「俺が超満員にする!」とか根拠もなく云っている場合じゃないでしょう。

(小島イコ)

posted by 栗 at 22:00| KINASAI | 更新情報をチェックする

2025年01月04日

「ポールの道」#425「LENNON SONGS」#30 「OH MY LOVE」

aboveusonlysky.jpg


ジョン・レノンが、1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)にアップルからリリースした2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」の、B面2曲目に収録されているのは「OH MY LOVE」です。オリジナルのリリース当時には、全10曲中で、この「OH MY LOVE」だけがジョンとヨーコさんの共作になっていました。2017年になって、タイトル曲である「IMAGINE」もジョンとヨーコさんの共作になったのですけれど、一体どう云う事なのでしょうか。確かに「IMAGINE」は、ヨーコさんの詩集「グレープフルーツ」から引用した部分もあって、生前のジョンは「自分に意気地がなかったから、ヨーコとの共作とは云えなかった、後悔している」などと云っていたものの、だったら何故に「OH MY LOVE」は、堂々と共作として発表したのでしょうか。この楽曲も、1968年には出来ていた楽曲で、つまりはジョンとヨーコさんが「不倫カップル」だった頃に書かれた楽曲です。それが「OH MY LOVE」なんですから、困ったちゃんなのです。前作アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」に収録された名曲「LOVE」の二番煎じみたいな、繊細で美しい曲ではありますけれど、正に不倫ど真ん中に二人で書いたのですから、「IMAGINE」を共作にするよりも、ずっと開き直っています。

レコーディングは1971年5月28日に、ジョンの自宅にあるアスコット・サウンド・スタジオで行われていて、レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、ピアノ)、ジョージ・ハリスン(エレクトリック・ギター)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、クラウス・フォアマン(ベース)、アラン・ホワイト(シンバル)です。前曲である「GIVE ME SOME TRUTH」と同じで、ジョージがギターを弾いているし曲自体もビートルズ時代のものなので、アルバム「IMAGINE」のB面は、とっても「ビートリー」に進行してゆきます。その中間に、ポール・マッカートニーをケチョンケチョンに貶した「HOW DO YOU SLEEP?」がサンドウィッチされていて、やはりジョージがスライド・ギターを弾いているわけで、その後の「HOW?」は明らかにポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作のビートルズ・ナンバーである「THE LONG AND WINDING ROAD」を意識した展開の曲ですし、最後の「OH YOKO!」も1969年には出来ていた曲なのです。A面の「JEALOUS GUY」も含めて、アルバム「IMAGINE」にはビートルズ時代のストックが多く収録されていて、前にも書きましたけれど「ビートルズを信じない」と云い切った「GOD」から後退しています。

勿論、ジョンこそがビートルズを結成して、ビートルズのリーダーであり続けた張本人であって、どんなに「脱・ビートルズ」や「脱・ポール・マッカートニー」を掲げても、元々一人で曲を書いていたジョージの様には上手くゆくわけがないのです。どんなにどちらか片方が書いていたとしても「レノン=マッカートニー」は史上最高のソングライター・チームだったわけで、この「OH MY LOVE」の様に「レノン=オノ」にしても、ジョンが「ビートルズ」や「レノン=マッカートニー」から完全に離れる事は出来ないのです。それは、ポールにも云える事でした。ジョンが甘口にしたと云うアルバム「IMAGINE」が売れたのは、やはりファンが、ジョンにビートルズをやって欲しかったからに他なりません。美しい曲なので「OH MY LOVE」にはカヴァー・ヴァージョンも多く、ワッカーズによるビートルズ風なカヴァーはブートレグではジョンのアウトテイクとして収録されていました。珍品では日本の「元祖・笑わないアイドル」である「Wink」が、日本語でカヴァーしています。また、ジョンのファンだった坂井泉水さんは、ZARDで同名異曲を発表していますし、「MIND GAMES」と云う同名異曲もあります。「OH MY LOVE」のPVは1971年の「IMAGINE / THE FILM」などで観れますし、デモやアウトテイクは、1998年の「JOHN LENNON ANTHOLOGY」や、2018年のアルバム「IMAGINE」の箱などで聴けます。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする

「新春女子プロレス放談」



今年(2025年)の元日から2日にかけては、昨年(2024年)までには「TOKYO MX」で12時間ぶっ通しで放送されていた「あけましてスターダム」が放送されませんでした。代わりにYouTubeでスターダムのユニットごとの番組「スターダム大感謝祭 '25」が大晦日から元日にかけて6時間近く配信されたのですけれど、バラエティー要素が強いプログラムなので、試合が観たい立場からすると物足りなかったのです。それで、試合の方はと云うと、CSの「スポーツライヴ・プラス」で「サムライTV」で放送された大会から年末に3大会、1月2日に3大会と、合計18時間放送されました。年末には昨年(2024年)の7月28日と、9月14日と、10月5日の3大会で、7月の大会では舞華が赤いベストを刀羅ナツコに上谷沙弥のヒールターンで強奪された試合がメインエベントで、9月の大会では「5★STAR」で全勝優勝した舞華が全敗なのにナツコに勝って王者になった中野たむに挑んで負けた試合がメインエベントで、10月の大会では鈴季すずが中野たむに挑戦して負けた試合がメインエベントで、舞華はメインエベントどころか随分と前の12人タッグ戦で、ナツコやダンプ松本たちに負けて、舞華を推している身としては、困ったちゃんな大会ばかりが放送されたのです。

年明けに放送されたのは、2月4日と、3月20日と、6月22日の3大会で、そちらは舞華が赤いベルトを防衛していた時期でして、2月には上谷沙弥、3月には林下詩美、6月にはジーナに、それぞれ舞華が勝った試合ばかりだったので、幾ら「プロレスは勝ち負けだけじゃない」とは云え、推しが負けた試合よりは勝った試合の方が気分が良いわけですよ。舞華は一昨年(2023年)12月に鈴季すずとの決定戦で勝って赤いベルトの王者となって、その3試合以外にも、メーガン・ベーン、渡辺桃、稲葉ともか、と半年で6回も防衛していたわけで、その後にナツコに卑怯な手口で負けたものの、「5★STAR」では前人未到の全勝優勝を成し遂げていて、昨年(2024年)はMVP並みの活躍だったのですけれどねえ。それで、2月と3月の大会では、まだ「マリーゴールド」が出来る前の大会だったので、ジュリアや林下詩美と云った移籍組が居て、2月の大会ではロッシー小川も居て、舞華の呼びかけでヒールの大江戸隊の選手も含めた全選手とロッシー小川がリング上に集まっていたのです。ロッシー小川は、その日に解雇されているわけで、1年も経っていないのに随分と違う光景が観れました。舞華は年齢非公表ですけれど、林下詩美をライバル視していたのでお察しの通りですし、力持ちの何々さんと云う前職も、なるほどね、と頷けます。

その2月の大会で赤いベルトに挑戦した上谷沙弥なんですけれど、現在のヒールターンした姿と、記者会見での煽りとかファイト・スタイルが、ほとんど変わっていないのでした。変わったのは、コスチュームとお化粧だけです。ヒールになって年末には赤いベルトも取ったのですから、もうちょっと考えて欲しいもんですなあ。実は、CSでは元日に「ウナギ・サヤカ自主興行」が昨年(2024年)1月7日と9月2日の2大会が放送されていて、今年の「プロレス初め」はウナギ・サヤカになってしまいました。ウナギ・サヤカは試合は「しょっぱい」けれど、プロデュース能力や人望は人一倍あるので、よくぞ集めたと思える選手が多く参戦していて楽しい大会だったし、9月の大会にはスターダム専属になった安納サオリまで出ていました。しかし、内容は「健康サンダル・デスマッチ」と云う形式で、アレで安納サオリのプロレスを観たくて行ったのならば、なんじゃこりゃ、と云うしかないですなあ。そんな昨年(2024年)の試合をたっぷりと観てからの、1月3日のスターダムとマリーゴールドの興行合戦となったのでした。スターダムでは、ウナギ・サヤカが中野たむとシングルでやって負けて、ウナギ・サヤカがスターダム永久追放となったのですが、もしもたむが負けたなら廃業する条件だったので、たむが負けるわけがなかったのです。まあ、たむを両国国技館での自主興行に引っ張る気なのでしょう。

それより、メインエベントでタッグマッチながら鈴季すずが上谷沙弥に勝ったので、そっちの方がスターダム的には重要でしょう。これで鈴季すずが赤いベルトに挑戦する流れになりそうなのですけれど、前述の通り中野たむに挑んでから日が浅いのが気になります。マリーゴールドでは、遂に外敵で昨年(2024年)の女子プロレス大賞を受賞した「Sareee」を破って、林下詩美が赤いベルトを巻きました。白いベルトも桜井麻衣が勝って巻いたし、ビクトリア弓月もベルトを巻いたので、いよいよ元・スターダム勢がマリーゴールドのトップに立ったわけです。Sareeeは兎も角、元・アクトレス・ガールズの選手はまだまだこれからなので、頑張って練習して欲しいです。問題はこれからで、果たして詩美と桜井が2トップでお客さんを呼べるのか、と云う事です。マリーゴールドの顔は、ジュリアとSareeeだったわけで、二人共いなくなってからが勝負でしょう。とは云え、マリーゴールドは昨年(2024年)5月に旗揚げしたばかりの団体なのです。新人を異様に推したりしていて、デビュー日に写真集を売り出すなど、相変わらずロッシー小川流の采配です。ファンには、過去の経営者としての失敗や、前に出過ぎる姿勢で敬遠されてはいるものの、何故か選手には好かれている、魔訶不思議なお爺さんですなあ。

(小島イコ)

posted by 栗 at 22:00| KINASAI | 更新情報をチェックする








「NO IMAGE」


here is

mia/iko presents

「the diary of nana katase」

A/K/A/ 「COPY CONTROL」


Recording Produced by IKO KOJIMA

Engineer : MIA HIMEKAWA

All voices & instruments : MW-777
(MIA/IKO/TACO/LUNA)

All Songs arranged , written and compoced by

009:栗

(A/K/A/ mia/iko) except where indicated.


with a big help from

001:ANTETSU (from NANAchan OGAMITAI of NO IMAGE),
002:USHIO (from SHiNY ☆ BRADBURYS of NO IMAGE),
008:HITO-WOLF (from MEI-KYO-SHI-SUI),
& 100 = TACO (from Queen of NO IMAGE),


055:PIN (from NEW of NO IMAGE)&
033:KIRI (from SISTER of NO IMAGE),
・・・with their family・・・,


101:NANAMI NARUMI (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
051:LUNA NARUMI (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
0101010・・・,& so on:KOYUKI SISTERS #0-#2 with TVC-15,
& 「KOYUKI #3-#5」with TVC15-2!!,
m-G4-MIMI & W-7,W-10-nanaco#1-#3,

ukulele-MIDORI #1-#3 (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
070 & 077:NEO FLOWER GIRLS (from &'S LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
396:pirozhki (from MARQUEE MOON),
099;mayaya

R-157:rina-chan

000:mamma-mia A+C ! &

007:nana-chan


& EVERY***

AND ・・・「∞:my MOTHER = MIAMIA/IKO-CHAN !」



ALL FOR NANA KATASE from the bottom of my heart.

since 2004-8-8

(C) NO IMAGE INC. with LOVE ☆



YES, we're just only the " NANA chan's FAN " .

since 1981-11-7