
ジョン・レノンが、1980年11月17日にゲフィンからリリースした、5年ぶりのアルバム「DOUBLE FANTASY」は、ヨーコさんとの共作で、二人の曲が交互に収録されています。ジョンはソロ活動を始めた1968年から、前衛3部作はヨーコさんとの共作だったし、ソロ初期の「プラスティック・オノ・バンド」名義でのシングルもA面がジョンでB面がヨーコさんだったし、1970年のソロ・アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」はヨーコさんのソロ・アルバム「YOKO ONO / PLASTIC ONO BAND(ヨーコの心)」と対になっていたし、1971年のジョンのソロ・アルバム「IMAGINE」もヨーコさんの2枚組ソロ・アルバム「FLY」と対になっていました。1972年の2枚組アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」はジョンとヨーコさんの共作で、二人のソロや共作デュエットがごちゃ混ぜになっていました。それが、失われた週末に突入した1973年から1975年にかけてのアルバム「MIND GAMES」からの「WALLS AND BRIDGES」を経て「ROCK'N'ROLL」と云ったアルバムでは、歌詞の内容でヨーコさんが出てくる事はあっても、対になるヨーコさんのアルバムはなくなっていて、ヨーコさんはジョンとは別に結構早いペースで1973年の2枚組ソロ・アルバム「APPOROXIMATELY INFINITE UNIVERSE(無限の大宇宙)」をリリースしていたのですけれど、それも1973年のアルバム「FEELING THE SPACE(空間の感触)」で途絶えました。1974年に「A STORY」を制作したものの、お蔵入り(1992年の箱「ONOBOX」に収録され、1997年に単体リリース)しています。
つまり、アルバム「DOUBLE FANTASY」は、ジョンにとっては5年ぶりのアルバムですけれど、ヨーコさんにとっては7年ぶりのアルバムだったのです。お蔵入りした「A STORY」を考慮しても、6年ぶりの音楽活動でした。1976年1月にレコード会社との再契約を拒否して「ハウス・ハズバンド」になったジョンは、つまりは仕事をせずに育児をしながら遊んで暮らしていたのですけれど、その間にヨーコさんが働いていて、株の取引きなどでジョンの資産を4倍にしたとも云われています。つまり、ヨーコさんにはビジネスの才能もあったわけで、ジョンが5年ぶりに復活する為のレコード会社との交渉も、ヨーコさんが主導で行っています。ジョンは失われた週末の期間以外は、常にヨーコさんとの共作活動に拘っていたので、復活アルバム「DOUBLE FANTASY」が二人の共作になったのは、ごく自然な成り行きだったと云えるでしょう。が、しかし、シングルのB面とか、二人で別のアルバムとかにしてくれていたのと違って、ガッツリと対話形式で二人の曲が交互に収録された事に対するファンの戸惑いはありました。それまでの二人の共作アルバムは、前衛3部作は論外で、1972年の共作アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」は、ジョンのアルバムで最も人気がなかった作品だったのです。さて、アルバム「DOUBLE FANTASY」は、ジョンの「CLEANUP TIME」の次にヨーコさんの「GIVE ME SOMETHING」が収録されていて、次がジョンの「I'M LOSING YOU」です。この曲は、次のヨーコさんの「I'M MOVING ON」と繋げて編集されています。
ジョンの「I'M LOSING YOU」と、ヨーコさんの「I'M MOVING ON」は、共同プロデュースを務めたジャック・ダグラスの提案で、彼がプロデュースしていた(後にこの曲をカヴァーする)チープ・トリックのリック・ニールセン(ギター)とバン・E・カルロス(ドラムス)が参加して、1980年8月にレコーディングされています。そのテイクはボツ音源にされて、ジョン・レノン(ヴォーカル、リズム・ギター)、アール・スリック(リード・ギター)、ヒュー・マクラッケン(リード・ギター)、トニー・レヴィン(ベース)、ジョージ・スモール(キーボード)、アンディ・ニューマーク(ドラムス)、アーサー・ジェンキンス(パーカッション)と云う、アルバム「DOUBLE FANTASY」のセッション・メンバーで再レコーディングされています。しかし、その新たなヴァージョンは、リック・ニールセンが弾いたギターを参考にしています。チープ・トリックが参加した元のアウトテイクは、1998年の箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」に収録されて、そのハイライト盤である「WONSAPONATIME」では1曲目に収録されています。このハードロック調の楽曲は、1978年に「STRANGER'S ROOM」と云うタイトルで書かれていて、1980年6月にバミューダ諸島に滞在中のジョンが、仕事でニューヨークにいたヨーコさんとの電話が繋がり難くなった事で「I'M LOSING YOU」として完成しています。ジョンは沈黙の5年間に多くの曲を書いていて、それを発展させた曲が沢山レコーディングされるはずでした。前述の通りヨーコさんの「I'M MOVING ON」と繋がっているので、後のジョンのベスト盤ではフェイドアウトを早くして、ヨーコさんの声が入らない様にして収録されています。
(小島イコ)
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