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2024年10月06日
昔話ばかりでも何ですから、たまには最近の事も書いてみましょう。今年(2024年)のビートルズのリイシュー盤は、11月22日にリリースされる、1964年1月から1965年3月までに米国で発売された7作8枚のアナログ盤の箱となる模様です。ビートルズが全米制覇した1964年から60周年記念と云う事なのでしょうけれど、米国盤はCDでは2014年に13作がまとめてリリースされていて、中味は2009年リマスター音源に差し替えてありました。それで、今回の箱に入る米国盤は、「MEET THE BEATLES」と「THE BEATLES’ SECOND ALBUM」と「A HARD DAY’S NIGHT (ORIGINAL MOTION PICTURE SOUND TRACK)」と「SOMETHING NEW」と「THE BEATLES STORY」と「BEATLES ‘65」と「THE EARLY BEATLES」の7作のモノラル盤LPとなっています。2014年の箱は、それぞれのアルバムが基本的には「2 in 1」でモノラルとステレオが楽しめたわけですが、前述の通り2009年リマスター音源に差し替えられていました。それでも、2004年に「THE CAPITOL ALBUMS VOL. 1」と2006年に「THE CAPITOL ALBUMS VOL. 2」が同じく「2 in 1」でリリースされていて、そちらはオリジナル音源だったのです。つまりCDでは「MEET THE BEATLES」と「THE BEATLES’ SECOND ALBUM」と「SOMETHING NEW」と「BEATLES ‘65」と「THE EARLY BEATLES」の5作は既にキャピトル音源でリリースされているわけで、今回のオリジナル・モノ音源では「A HARD DAY’S NIGHT (ORIGINAL MOTION PICTURE SOUND TRACK)」と「THE BEATLES STORY」が目玉なのでしょう。
しかしながら「A HARD DAY’S NIGHT (ORIGINAL MOTION PICTURE SOUND TRACK)」はその名の通り映画のサントラ盤で、全12曲中ビートルズによる演奏は8曲で、他の4曲はサー・ジョージ・マーティンによるインストゥルメンタル曲です。アナログなので2枚組の「THE BEATLES STORY」に至っては、ほとんどがナレーションやインタビューによるドキュメンタリーで、ビートルズの演奏はハリウッド・ボウルでの「TWIST AND SHOUT」のサワリと雑に編集されたヒット曲メドレーしか収録されていません。「A HARD DAY’S NIGHT (ORIGINAL MOTION PICTURE SOUND TRACK)」のオリジナルは元々は映画配給会社だったユナイテッド・アーティスツからリリースされていて、ステレオ盤での8曲のビートルズによる演奏はモノラル音源が左右にパンされていると云う奇怪な代物ですし、「THE BEATLES STORY」はステレオでもモノラルでもどっちだっていいような内容(驚くべき事に両方リリースされた)です。それで、今更、水増しされた米国キャピトル仕様のアナログ盤を箱で出されてもなあ、と云う感じです。ソレにですね、昨年(2023年)は、ビートルズ最後の新曲「NOW AND THEN」と「THE BEATLES 1962-1966(「赤盤」)」と「THE BEATLES 1967-1970(「青盤」)」の50周年記念拡大盤がリリースされた関係で、ソロのアルバムの50周年記念盤が先延ばしにされたのです。
それでもって今年(2024年)になってから、ポールはアルバム「BAND ON THE RUN」の50周年記念盤と、1974年のスタジオ・ライヴ盤「ONE HAND CLAPPING」と立て続けにリリースしたし、ジョンのアルバム「MIND GAMES」も50周年記念盤でトンデモナイ価格設定の箱がリリースされたのですけれど、ジョージのアルバム「LIVING IN THE MATERIAL WORLD」も11月15日に50周年記念盤がリリースされるのです。ここで注目なのは、現役であるポールが2月にアルバム「BAND ON THE RUN」の50周年記念盤をリリースして、6月には1974年の蔵出しスタジオ・ライヴ盤「ONE HAND CLAPPING」をリリースしていて、チャッチャと自分のアルバムは先にリリースしちゃっているのですよ。つづいて、ジョンのアルバム「MIND GAMES」の50周年記念盤は、7月にリリースされています。それで、ジョージのアルバム「LIVING IN THE MATERIAL WORLD」と来たわけですけれど、ビートルズのキャピトル盤の箱とリリース時期がたったの1週間しか違っていなくて、つまりは被っているのです。過去にベスト盤と新作をほとんど同時にリリースされた事もあるジョージですけれど、50周年記念盤と云うのであれば、ジョージのアルバム「LIVING IN THE MATERIAL WORLD」は1973年6月リリースで、ジョンのアルバム「MIND GAMES」は同年11月リリースで、ポールのアルバム「BAND ON THE RUN」は同年12月リリースなので、順番が全く逆になっているのです。
ポールとしては、アルバム「BAND ON THE RUN」は1973年12月リリースだったから、本当は昨年(2023年)にリリース予定でクレジットでも2023年となっているので、ビートルズ最後の新曲「NOW AND THEN」と、ベスト盤「赤盤」と「青盤」の新装盤を昨年リリースしたからバッティングしない様に今年に出したと云い張るだろうし、スタジオ・ライヴ盤「ONE HAND CLAPPING」は、それこそが本当の50周年記念盤で、しかも公式盤としては初の完全版なので、リリースが詰まっているんだよ、なんて普通に考えていて、全く悪気がないから始末に負えないわけですけれど、それを云っちゃうとジョンのアルバム「MIND GAMES」も、ジョージのアルバム「LIVING IN THE MATERIAL WORLD」も、本当は昨年が50周年だったので、ビートルズ本隊と被らないようにと云う、ポールと同じ理由で今年に延期されていたわけですよ。2月にアルバム「BAND ON THE RUN」50周年記念盤で、6月にスタジオ・ライヴ盤「ONE HAND CLAPPING」と来た時には、ポールが上半期に2作もせかせかとリリースするんだから、下半期にはビートルズ本隊が来るぞ、とは思っていたものの、確かにビートルズのリリースは来たものの、ジョンやジョージのアルバムも来たわけで、全くもってポールらしいのです。しかし、50周年記念盤を出すなら1973年の「RINGO」しか考えられないリンゴは、病気で休んでいる場合じゃないんだよなあ。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
FAB4
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フジテレビTWO 11:00〜20:20
片瀬那奈 AS 緒方亜紀
内山理名(第1話ゲスト、最終話回想) AS 倉田麻美
第1話「対決!最強弁護士」
第2話「壮絶慰謝料合戦」
第3話「離婚詐欺」
第4話「夫の土下座」
第5話「涙の親権争い!」
第6話「占いで離婚!?」
第7話「絶対別れない女」
第8話「鉄の女、号泣!!」
第9話「え!?不倫弁護士」
第10話「セクハラした女」
第11話(最終話)「最後に笑う女」
「離婚弁護士U〜ハンサムウーマン〜」の、今年2回目で今回は全話一挙再放送です。此のドラマの初回は、唯一の「那奈理名共演作」です。2024年の現在では、那奈ちゃんは女優を引退状態だし、理名ちゃんも開店休業状態なので、二人の共演どころか新たなるドラマや映画も期待出来ません。このドラマの本放送当時、那奈ちゃんは「結婚したら女優は辞めます」などと公言していたのに、数年後には「結婚した位で女優は辞めません」と発言を撤回しました。しかしながら、それを決めるのは那奈ちゃん自身ではなくて、2021年9月末日で研音を辞めてから、ずっと女優のお仕事はありません。SNSでの発信も、飽きてしまったのかなくなり、YouTubeでの「推し活」生配信すらやらなくなっている現状です。つまり、現在の那奈ちゃんは、単なる会社員なわけで、記録に値する活動は全くやっていないので、此処でも再放送の記録ばかりになっているのです。まあ、此処は2000年代前半に「引退前提で始めた記録」なので、思ったよりもずっと長くつづいたな、と云う感じです。
(小島イコ/姫川未亜)
posted by 栗 at 20:20|
ACTRESS
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WOWOWプラス 3:30〜5:15
2010年公開作品
片瀬那奈 AS 杉尾園子
(公開:2010年5月8日、撮影:2009年11月頃、栃木県佐野市にてロケ)
「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」の今年4回目の放送で、今回も劇場版4作が連続放送されます。那奈ちゃんが演じたのは、インチキ霊能力者の杉尾園子で、ほとんど出オチです。この映画が公開された時に主演の仲間由紀恵さんと阿部寛さんが出演するイベントに行ったのですけれど、劇中のコミカルな感じとは全く違って、仲間由紀恵さんは物静かな美女だったし、阿部寛さんは背が高くて無茶苦茶格好良かったです。
(小島イコ/姫川未亜)
posted by 栗 at 05:15|
ACTRESS
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2024年10月05日
ジョン・レノンの提供曲やレコーディング参加曲やプロデュース作などをまとめて紹介して来たので、ジョンも結構やっているじゃないか、と思われるかもしれませんが、ジョンの場合はビートルズ初期の1963年と、1973年秋から1975年年明けまでの「失われた週末」時代に集中して、その数は驚くほどに少ないのです。書き忘れていたのは、1965年にシルキーがビートルズ・ナンバーの「YOU GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY」をカヴァーした時にプロデュースした(ポールがギターで、ジョージもタンバリンで参加)位なもので、全部で15曲程度です。コレがポール・マッカートニーとなると、ビートルズの現役時代である1963年から1969年までだけでも30曲を超えていて、1966年リリースのドノヴァンの「MELLOW YELLOW」にベースとコーラスで参加とか、1967年リリースのビーチ・ボーイズの「VEGETABLES」で野菜をかじる音で参加(真偽不明)とか、1968年リリースのグレープフルーツの「DEAR DELILAH」でアレンジを担当(ジョンも担当)とか、1968年リリースのボンゾ・ドッグ・バンドの「I'M A URBAN SPACEMAN」を変名でプロデュースとか、1969年リリースのスティーヴ・ミラー・バンドの「MY DARK HOUR」にベースとドラムスとバッキング・ヴォーカルで参加とか、兎に角、ポールは色んなところに顔を出しています。
そんな中でも、1968年リリースのマッゴー&マクギアのアルバム「McGOUGH AND McGEAR」を2人とポールの3人でプロデュースして、ポールがハーモニー・ヴォーカルとメロトロンでレコーディングにも参加していたり、1969年リリースのスキャッフォルドのシングル「CHARITY BUBBLES / GOOSE」にギターで参加していたり、1972年リリースのマイク・マクギアのアルバム「WOMAN」で「BORED AS BUTTERSCOTCH」をマイクと共作していたり、1974年リリースのスキャッフォルドのシングル「LIVERPOOL LOU / TEN YEARS AFTER ON STRAWBERRY JAM」ではA面でプロデュースしB面で楽曲提供とプロデュースしていて、同1974年リリースのマイク・マクギアのアルバム「McGEAR」に至ってはプロデュースしていて、全10曲中マイクとの共作も含めて9曲も提供していて、アレンジして、レコーディングにも全面的に参加しているとなると、このマイク・マクギアとは何者だ?となります。ご存知の方も多いでしょうけれど、マイク・マクギアの本名は「ピーター・マイケル・マッカートニー」で、通称「マイク・マッカートニー」で、つまりは「ジェイムズ・ポール・マッカートニーの実弟」です。超有名な実兄ポールの実弟であるが故に色眼鏡で見られる事を嫌い、マイク・マクギアと云う芸名を名乗っていたのです。
日本の二世芸能人でも、敢えて父親や母親の名前を出さずに活動する人はいますが、ポールの弟に比べたら、大したプレッシャーではないでしょう。何せ、マイクのお兄さんは、あの天下御免の「サー・ポール・マッカートニー」大明神なのです。それで独自の路線で頑張っていたわけですが、1972年リリースのアルバム「WOMAN」では、母親のメアリー・マッカートニーの写真をジャケットにしています。スキャッフォルドの独自路線でヒット曲も飛ばしたし、ポールが絡めばレコード会社との契約も上手くゆくと考えたであろうマイクは、1974年のアルバム「McGEAR」では、実兄・ポールをそれまでになく大フィーチャーするのです。内容は、A面が、1「SEA BREEZES」、2「WHAT DO WE REALLY KNOW ?」、3「NORTON」、4「LEAVE IT」、5「HAVE YOU GOT PROGLEMS」で、B面が、1「THE CASKET」、2「RAINBOW LADY」、3「SIMPLY LOVE YOU」、4「GIVIN' GREASE A RIDE」、5「THE MAN WHO FOUND GOD ON THE MOON」の、全10曲入りで、CDではボーナス・トラックで「DANCE THE DO」と「SWEET BABY」の2曲が加わっています。
ポールはプロデュースだけではなく、ボーナス・トラックの2曲も含めた全12曲中、ブライアン・フェリー作の「SEA BREEZES」以外の全ての曲を、マイクとポールとリンダで共作(「WHAT DO WE REALLY KNOW ?」と「LEAVE IT」はポール&リンダ作、「THE CASKET」はポール&リンダとロジャー・マゴーフ作)し、リンダはおそらくソノ場に居ただけでしょうから、ほとんどの曲をポールとマイクの兄弟で書いたのでしょう。しかも、レコーディング・メンバーは、ポール・マッカートニー、リンダ・マッカートニー、デニー・レイン、ジミー・マカロックが全面的に参加していて、ドラマー(ジェリー・コンウェイ)以外は「ウイングス」です。つまり、1973年リリースのアルバム「BAND ON THE RUN」で3人になった「第3期ウイングス」から、1974年にレコーディングされて今年(2024年)にリリースされたスタジオ・ライヴ盤「ONE HAND CLAPPING」で5人になった「第4期ウイングス」の狭間の「第3.5期ウイングス」をバックにマイクが歌うと云う事になっているのです。余りにもポール色が強くて、それまでマクギア名義で積み上げてきた路線は何だったんだ?とも思えますが、何だかんだ云っても実の兄弟なんですから仕方ないでしょう。このアルバムは「10cc」のストロベリー・スタジオで、10ccの2作目のアルバム「SHEET MUSIC」と同時進行でレコーディングされています。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
FAB4
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時代劇専門チャンネル 17:00〜19:00
第七回「凶刃」
第八回(最終回)「死闘の果て」
内山理名 AS 七化けのお千代
「雲霧仁左衛門3」第七回と第八回(最終回)の、今年初めての再放送です。第七回では、暁一党の裏切りに遭った雲霧一党でしたが、裏切りには理由がありました。息子の身分が危うくなると、藤堂家の磯部に脅されていたのです。磯部に一万両を渡したものの、暁星右衛門は関口に殺されてしまいます。雲霧一党は一万両を取り返そうとします。道場に潜入しているおようは関口の正体に気づきます。お千代姐さんはおようを心配します。おようと高瀬は、関口に斬られてしまいます。おようの弔いで、藤堂家を狙う雲霧一党で最終回に続きます。
最終回での雲霧一党の狙いは、藤堂家江戸上屋敷です。お千代姐さんは、藤堂家に潜入しました。まんまと一万両を奪い取った雲霧一党でした。磯部の悪巧みも解決し、関口も処刑され、磯部は自害しました。雲霧は式部と決闘をしますが、途中で姿をくらましました。「雲霧仁左衛門3」は今回でおしまいですが、次週からは「雲霧仁左衛門4」が再放送されます。「雲霧仁左衛門3」からは原作にはないオリジナル脚本となっていて、つまりは設定だけ原作から頂いて脚本家が好き放題で書いています。故に、現在まで「雲霧仁左衛門6」までつづいているのです。
(姫川未亜)
posted by 栗 at 19:00|
RINA
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2024年10月04日
アップル・レコーズが崩壊してバッドフィンガーもワーナーに移籍するところで、サラリと流していた1969年リリースのアイヴィーズのアルバム「MAYBE TOMORROW」と、1970年リリースのバッドフィンガーのアルバム「MAGIC CHRISTIAN MUSIC」について書きます。まずは、1969年8月29日にドイツでアップルからリリースされたアイヴィーズ名義でのデビュー・アルバム「MAYBE TOMORROW」ですけれど、当時はドイツ、イタリア、日本でしかリリースされていません。内容は、A面が、1「SEE-SAW, GRANPA」、2「BEAUTIFUL AND BLUE」、3「DEAR ANGIE」、4「THINK ABOUT THE GOOD TIMES」、5「YESTERDAY AIN'T COMING BACK」、6「FISHERMAN」で、B面が、1「MAYBE TOMORROW」、2「SALI BLOO」、3「ANGELIQUE」、4「I'M IN LOVE」、5「THEY'RE KNOCKING DOWN OUR HOME」、6「I'VE BEEN WAITING」の、全12曲入りです。この内、「SEE-SAW, GRANPA」と「SALI BLOO」と「I'M IN LOVE」と「THEY'RE KNOCKING DOWN OUR HOME」と「I'VE BEEN WAITING」の5曲がピート・ハム作で、「BEAUTIFUL AND BLUE」と「FISHERMAN」と「MAYBE TOMORROW」と「ANGELIQUE」の4曲がトム・エヴァンス作で、「DEAR ANGIE」がロン・グリフィス作で、「THINK ABOUT THE GOOD TIMES」がマイク・ギビンズ作で、「YESTERDAY AIN'T COMING BACK」がピート・ハムとトム・エヴァンスの共作です。
メンバー4人全員が曲を書けるアイヴィーズでしたが、この時期はピート・ハムよりもトム・エヴァンスの方が目立っていて、シングルになって日本を含む一部の国ではヒットした「MAYBE TOMORROW」もトムの作品です。ヨーロッパや日本で「MAYBE TOMORROW」がヒットしたので、ドイツとイタリアと日本でだけアルバムがリリースされたのでしょう。このアルバムはレアでしたが、1992年にCD化されて、英国や米国では初めてリリースされました。その際にボーナス・トラックとしてシングル「MAYBE TOMORROW」のB面でアルバム未収録曲「AND HER DADDY'S A MILLIONAIRE(ダディは百万長者)」やヨーロッパや日本だけでリリースされたセカンド・シングル「DEAR ANGIE」のB面でアルバム未収録曲「NO ESCAPING YOUR LOVE」や、未発表だった「MRS JONES」と「LOOKING FOR MY BABY」の4曲がボーナス・トラックとして収録された全16曲入りとなっています。アイヴィーズのアルバム「MAYBE TOMORROW」は基本的にはトニー・ヴィスコンティがプロデュースしているのですが、オーケストラを被せるなど些かオーバー・プロデュースが目立っていて、1969年のロック・シーンを考えると裏ジャケのデザインも含めて古い感じがします。何故か4曲(「SEE-SAW, GRANPA」、「BEAUTIFUL AND BLUE」、「FISHERMAN」、「THEY'RE KNOCKING DOWN OUR HOME」)はマル・エヴァンスのプロデュースになっています。しかしながら、ほとんどの曲を書いたピート・ハムとトム・エヴァンスによる楽曲自体の出来栄えは良いです。
幾らアルバムが良くてもリリースされないのではお話にならないわけで、その窮状を聞いたポール・マッカートニーが一肌も二肌も脱いで、バンド名をバッドフィンガーに改名させて、自ら再デビュー曲「COME AND GET IT」を書いて、ひとりで多重録音したデモを制作して、その通りにコピーさせて全英4位・全米7位と大ヒットさせました。そして、1970年1月9日(英国)・同年2月16日(米国)にアップルからリリースされたのが、バッドフィンガー名義では1作目のアルバム「MAGIC CHRISTIAN MUSIC」です。内容は、A面が、1「COME AND GET IT」、2「CRIMSON SHIP」、3「DEAR ANGIE」、4「FISHERMAN」、5「MIDNIGHT SUN」、6「BEAUTIFUL AND BLUE」、7「ROCK OF ALL AGES」で、B面が、1「CARRY ON TILL TOMORROW」、2「I'M IN LOVE」、3「WALK OUT IN THE RAIN」、4「ANGELIQUE」、5「KNOCKING DOWN OUR HOME」、6「GIVE IT A TRY」、7「MAYBE TOMORROW」の、全14曲入りです。が、しかし、「DEAR ANGIE」と「FISHERMAN」と「BEAUTIFUL AND BLUE」と「I'M IN LOVE」と「ANGELIQUE」と「KNOCKING DOWN OUR HOME」と「MAYBE TOMORROW」のアルバム半数に及ぶ7曲は、リミックスはされていますが、アイヴィーズのアルバム「MAYBE TOMORROW」からの再収録曲です。
新たに収録された7曲の内、シングル「COME AND GET IT / ROCK OF ALL AGES」と「CARRY ON TILL TOMORROW」の3曲は映画「マジック・クリスチャン」に使われていて、ポール・マッカートニーが「COME AND GET IT」を書いて、3曲のプロデュースもしています。つまり、完全なる新曲は4曲しか収録されていません。レコーディング中にベースのロン・グリフィスが脱退して、トム・エヴァンスがベースに転向していて、裏ジャケには3人の写真しか載っていません。新たに収録された7曲は、「COME AND GET IT」がポール・マッカートニー作、「CRIMSON SHIP」と「CARRY ON TILL TOMORROW」の2曲がピート・ハムとトム・エヴァンスの共作、「MIDNIGHT SUN」と「WALK OUT IN THE RAIN」の2曲がピート・ハム作、「ROCK OF ALL AGES」がトムとピートとマイク・ギビンズの共作、「GIVE IT A TRY」がトムとピートとマイクとロン・グリフィスの共作です。アイヴィーズのアルバムからの4曲と「CRIMSON SHIP」はトニー・ヴィスコンティがプロデュースしていて、映画に使われた3曲はポール・マッカートニーがプロデュースしているのは分かるのですけれど、他がマル・エヴァンスのアレンジとプロデュースになっているのです。マルは一体何をしていたのか、甚だ疑問です。英国や米国ではアイヴィーズのアルバムはリリースされていないので良いでしょうけれど、当時の日本のファンは新曲が半分しかないアルバムに困惑したでしょうね。そんなアルバム「MAGIC CHRISTIAN MUSIC」ですが、CDでは1991年盤と2010年盤で異なるボーナス・トラックがそれぞれ2曲と5曲入っているので、両方買うしかありません。つまり、アイヴィーズの7曲は、CD3枚でダブっています。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
FAB4
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ファミリー劇場 16:40〜18:30
片瀬那奈 AS 夏目理恵子
(撮影:2007年5月/京都、奈良ロケ)
「法廷荒らし 弁護士 猪狩文助」の、今年6回目の再放送です。那奈ちゃんが演じたのは新人弁護士の夏目理恵子で、名優・藤田まことさんが演じた猪狩弁護士と共に、冤罪事件の裁判に挑みます。全てが京都と奈良でのロケで、東京と何往復もして撮影されています。放送は11月でしたが撮影は5月で、初舞台「僕たちの好きだった革命」直後で、おそらく連続ドラマ「地獄の沙汰もヨメ次第」の撮影と被っていたと思われます。基本的にはシリアスなミステリーですが、猪狩弁護士がのらりくらりとした態度で真犯人を翻弄したり、裁判が不利になってやけ酒を呑む夏目理恵子が酔っ払うなどの笑える場面もあり、最後はスカッとする結末になっています。
(小島イコ/姫川未亜)
posted by 栗 at 18:30|
ACTRESS
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時代劇専門チャンネル 14:00〜15:45
第三回「哀しき妹」
第四回「新たな盗み」
内山理名 AS 七化けのお千代
「雲霧仁左衛門」第三回と第四回の、今年2回目の再放送です。第三回ではサブタイトル通りに、雲霧一党の六之助の妹が登場します。しかしそれは安部式部が派遣した偽者で、正体がばれて六之助の目の前で自害してしまう哀しいお話です。第四回では、理名ちゃんが演じた七化けのお千代姐さんが公家の後家に化けて松屋に潜入します。全六回と短いシリーズなので、もう中盤です。悪人であるはずの雲霧仁左衛門が主役で、本来ならば正義であるはずの安部式部たちが憎まれ役になっているのですけれど、安部式部も汚い手を使うし、雲霧一党を捕まえると容赦なく激しい拷問をしたりするので敵役に見えてきます。シリーズが進むにつれて、雲霧仁左衛門と安部式部はライバル関係となってゆくので、決着がつくまでシリーズもつづいてゆくのでしょうか。
(姫川未亜)
posted by 栗 at 15:45|
RINA
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2024年10月03日
コンピレーション盤の「COME AND GET IT THE BEST OF APPLE RECORDS」と同時に2010年10月25日にリリースされたCD17枚組の「APPLE RECORDS BOX SET」は、それらをまとめて聴ける上に、バッドフィンガーのレア・トラックと、メリー・ホプキンとジャッキー・ロマックスのレア・トラックもまとめられています。収録アルバムは、バッドフィンガーの「MAGIC CHRISTIAN MUSIC」+6(1970)と「NO DICE」+5(1970)と「STRAIGHT UP」+6(1971)と「ASS」+5(1973)の4作、メリー・ホプキンの「POST CARD」+5(1969)と「EARTH SONG / OCEAN SONG」+3(1971)の2作、ジャッキー・ロマックスの「IS THIS WHAT YOU WANT?」+6(1969)、モダン・ジャズ・カルテットの「UNDER THE JASMIN TREE」(1968)と「SPACE」+1(1969)の2in1、ビリー・プレストンの「THAT’S THE WAY GOD PLANNED IT」+4(1969)と「ENCOURAGING WORD」+3(1970)の2作、ラダ・クリシュナ・テンプルの「THE RADHA KRSNA TEMPLE」+2(1971)、ジョン・タブナーの「THE WHALE」(1970)と「CELTIC REQUIEM」(1971)の2in1、ジェームス・テイラーの「JAMES TAYLOR」+4(1968)、ドリス・トロイの「DORIS TROY」+6(1970)の14枚16作に、前回取り上げたシングル盤を中心にしたコンピレーション盤「COME AND GET IT THE BEST OF APPLE RECORDS」に、前述のバッドフィンガーとメリー・ホプキンとジャッキー・ロマックスのレア・トラック集2枚の、全17枚組です。
アルバムは全て2010年リマスター音源で、各アルバムのボーナス・トラックもバラ売りされたものと同じです。シングルのみだったミュージシャンに関しては、コンピレーション盤「COME AND GET IT THE BEST OF APPLE RECORDS」で補完されていますが、それもバラ売りと同じ内容です。つまり、全17枚中15枚はバラ売りもされているので、お気に入りのミュージシャンだけバラ売りで揃える事も出来ます。が、しかし、大抵のファンのお目当ては、やはり、バッドフィンガーとメリー・ホプキンでしょう。ソレがですね、この箱を買わないと残りの2枚は入手出来ない事になっていて、16枚目は丸ごとアイヴィーズからバッドフィンガーまでのレア音源が全20曲収録されているのです。17枚目にはメリー・ホプキンのレア音源が7曲と、ジャッキー・ロマックスの5曲の全12曲入りで、メリー・ホプキンの「THOSE WERE THE DAYS」のイタリア語、スペイン語、ドイツ語、フランス語の4ヴァージョンは2010年リミックス音源で、「LET MY NAME BE SORROW(私を哀しみと呼んで)」のフランス語と日本語の2ヴァージョンもレアで、残りの1曲「JEFFERSON」もオリジナル・アルバム未収録曲です。メリー・ホプキンのアルバム未収録曲は多いので、この箱でのオリジナル・アルバムとボーナス・トラックだけでは全ては揃わないし、バラ売りのベスト盤を加えても揃いません。
ジャッキー・ロマックスのレア音源は、ポールがプロデュースした「GOING BACK TO LIVERPOOL」や、ジョージ作プロデュースの「SOUR MILK SEA」のモノラル・ヴァージョンなどが聴けます。メリー・ホプキンのレア音源はもっとあるし、ジャッキー・ロマックスのアルバムはあのバカ面子がバックを担当していたので色々とセッション音源などがありそうなので、バッドフィンガーの様に1枚ずつにして全18枚組にしてくれた方が良かったと思います。そして、ある程度はボーナス・トラックやボーナス・ディスクで補ってはいるものの、肝心のアイヴィーズのアルバム「MAYBE TOMORROW」が2010年リマスターでカタログから漏れてしまったので、当然の如くこの箱にも収録されていません。今にして思えば、1992年にボーナス・トラック4曲を加えた全16曲入りでアイヴィーズのアルバム「MAYBE TOMORROW」が公式CD化されて、2005年には日本で紙ジャケでリイシューされたのは、奇跡的な事だったのかもしれません。モダン・ジャズ・カルテットやジョン・タブナーやラダ・クリシュナ・テンプルなどは、そもそも要らないよ、と云われる方々は、まずはコンピレーション盤「COME AND GET IT THE BEST OF APPLE RECORDS」を買って、気に入ったミュージシャンのアルバムだけバラ売りでコツコツと集めた方がいいでしょう。ビートルズが好きならば、バッドフィンガー、メリー・ホプキン、ビリー・プレストン、ドリス・トロイなどは、アルバムを買っても損はしません。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
FAB4
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2024年10月02日
アップル・レコードからのリリースも、元ビートルズ以外ではバッドフィンガーの「ASS」で終わってしまったので、再びコンピレーション盤の「COME AND GET IT BEST OF APPLE RECORDS」を振り返ります。2010年10月25日にリリースされたアルバムの内容は、1「THOSE WERE THE DAY」メリー・ホプキン(1968)、2「CAROLINA IN MY MIND」ジェームス・テイラー(1968)、3「MAYBE TOMORROW」アイヴィーズ(1968)、4「THINGUMYBOB」ブラック・ダイク・ミルス・バンド(1968)、5「KING OF FUH」ブルート・フォース(1969)、6「SOUR MILK SEA」ジャッキー・ロマックス(1968)、7「GOODBYE」メリー・ホプキン(1969)、8「THAT'S THE WAY GOD PLANNED IT」ビリー・プレストン(1969)、9「NEW DAY」ジャッキー・ロマックス(1969)、10「GOLDEN SLUMBERS - CARRY THAT WEIGHT」トラッシュ(1969)、11「GIVE PEACE A CHANCE」ホット・チョコレート・バンド(1969)、12「COME AND GET IT」バッドフィンガー(1969)、13「AIN'T THAT CUTE」ドリス・トロイ(1970)、14「MY SWEET LORD」ビリー・プレストン(1970)、15「TRY SOME, BUY SOME」ロニー・スペクター(1971)、16「GOVINDA」ラダ・クリシュナ・テンプル(1970)、17「WE'RE ON OUR WAY」クリス・ホッジ(1972)、18「SATURDAY NITE SPECIAL」サンダウン・プレイボーイズ(1972)、19「GOD SAVE US」ビル・エリオット&エラスティック・オズ・バンド(1971)、20「SWEET MUSIC」ロン&デレク(1972)、21「DAY AFTER DAY」バッドフィンガー(1972)の、全21曲入りです。
メリー・ホプキンの1「THOSE WERE THE DAY(悲しき天使)」はポール・マッカートニーのプロデュースで、ジェームス・テイラーの2「CAROLINA IN MY MIND」はピーター・アッシャーのプロデュースで、アイヴィーズの3「MAYBE TOMORROW」はバッドフィンガーの前身バンドでトニー・ヴィスコンティのプロデュースで、ブラック・ダイク・ミルス・バンドの4「THINGUMYBOB」はポール作プロデュースです。ブルート・フォースの5「KING OF FUH」は、シングルがお蔵入りした楽曲で、このコンピレーション盤が初出です。ジャッキー・ロマックスの6「SOUR MILK SEA」はジョージ・ハリスン作プロデュースで、メリー・ホプキンの7「GOODBYE」はポール作プロデュースで、ビリー・プレストンの8「THAT'S THE WAY GOD PLANNED IT」はジョージのプロデュースで、ジャッキー・ロマックスの9「NEW DAY」はジャッキー・ロマックスとマル・エヴァンスの共同プロデュースです。マル・エヴァンスはチョコチョコ出て来るものの、実際にどれだけ貢献したのかは不明です。トラッシュの10「GOLDEN SLUMBERS - CARRY THAT WEIGHT」はビートルズのアルバム「ABBEY ROAD」B面メドレーからの公認カヴァーで、ホット・チョコレート・バンドの11「GIVE PEACE A CHANCE」はプラスティック・オノ・バンドの歌詞を変えてレゲエにしたジョン公認のカヴァーです。バッドフィンガーの改名後初のシングル12「COME AND GET IT」はポール作プロデュースです。
ドリス・トロイの13「AIN'T THAT CUTE」はジョージとドリスの共作でジョージのプロデュースで、ビリー・プレストンの14「MY SWEET LORD」はジョージ作でジョージとビリーの共同プロデュースで、こちらがオリジナルでジョージのヴァージョンはセルフ・カヴァーです。ロニー・スペクターの15「TRY SOME, BUY SOME」はジョージ作で、ジョージとフィル・スペクターの共同プロデュースで、後にジョージが同じバッキング・トラックを使ってセルフ・カヴァーしています。ラダ・クリシュナ・テンプルの16「GOVINDA」はジョージのプロデュースで、クリス・ホッジの17「WE'RE ON OUR WAY」はデモをリンゴが聴いてリリースされたシングルで、全米44位とそこそこヒットしています。サンダウン・プレイボーイズの18「SATURDAY NITE SPECIAL」も、シングルのみのバンドです。ビル・エリオット&エラスティック・オズ・バンドの19「GOD SAVE US」はジョンとヨーコさんの共作でジョンとヨーコさんとフィル・スペクターとマル・エヴァンスの共同プロデュースと云う事になっています。ロン&デレクの20「SWEET MUSIC」はジョンが気に入ってジョージがプロデュースしていて、シングルの後にアルバム「BROTHER」も1972年にアップルからリリースしています。そして、最後はバッドフィンガーの21「DAY AFTER DAY」で、ジョージがプロデュースした大ヒット曲です。
ビートルズが作ったレコード会社であるアップル・レコードからのリリースなので、自ずとビートルズの関与が多い楽曲が揃っていて、バッドフィンガーやメリー・ホプキンやジャッキー・ロマックスやビリー・プレストンやドリス・トロイと云ったアルバムを制作出来たミュージシャンも居る中で、シングルのみしかリリースされなかったミュージシャンも居て、このコンピレーション盤はそうした日の当たらないミュージシャンの楽曲も多く選んでいるのがポイントが高いのです。2010年のアップルのリイシュー盤は17枚組の箱も出ていますが、その箱にもこのコンピレーション盤はそのままオリジナル・アルバムと共に収録されています。メリー・ホプキンの「THOSE WERE THE DAY」や「GOODBYE」や、バッドフィンガーの「COME AND GET IT」や「DAY AFTER DAY」や、ビリー・プレストンの「THAT'S THE WAY GOD PLANNED IT」と云った大ヒット曲だけではなく、スマッシュ・ヒットした曲や、チャート入りさえしなかったマイナーな楽曲まで丁寧に拾った名コンピレーション盤だと思います。バッドフィンガー、メリー・ホプキン、ビリー・プレストン、ドリス・トロイと云った面々のアルバムは、ビートルズを好きになって通る道では必須でしょうけれど、まずはこのコンピレーション盤でお試ししてみて、お気に入りのミュージシャンを見つけるのもいいでしょう。いきなりアップルの17枚組の箱へ行っちゃうと、困惑するかもしれません。
(小島イコ)
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2024年10月01日
ジョン・レノンの「失われた週末」時代も終わりましたので、再びアップル・レコードに話を戻します。が、しかし、経営困難に陥っていたアップルは、1973年になると以前に紹介したラビ・シャンカールのライヴ盤を1月(米国)・4月(英国)にリリースしただけで、他のアルバムは元ビートルズの4人とヨーコさんの作品だけとなります。そして、元ビートルズ以外でアップルから最後にリリースされたのが、バッドフィンガーの4作目のアルバム「ASS」です。アップル崩壊の為に、既にバッドフィンガーの悪徳マネジャー・スタン・ポリーが次の移籍先を探していて、当時アップルを仕切っていた悪党・アラン・クレインと、悪人同士で対立していました。スタン・ポリーは移籍先としてワーナーと100万ドル以上の移籍金で交渉していて、バッドフィンガーのアップルでの4作目「ASS」は最後のアルバムと決定したわけですが、なんと、まあ、スタン・ポリーは勝手にワーナーと3年間で6枚と云う契約を交わしてしまったのです。そんな混乱の中で、アルバム「ASS」は制作されました。アルバム「ASS」は、米国では1973年11月26日にアップルからリリースされたのですが、英国では1974年3月8日までリリースされず、つまり後述するワーナー移籍後の第1弾アルバム「BADFINGER(涙の旅路)」の米国盤(1974年2月11日リリース)の方が先にリリースされています。
ゴタゴタしたアルバム「ASS」の内容は、A面が、1「APPLE OF MY EYE」、2「GET AWAY」、3「ICICLES」、4「THE WINNER」、5「BLIND OWL」で、B面が、1「CONSTITUTION」、2「WHEN I SAY」、3「COWBOY」、4「I CAN LOVE YOU」、5「TIMELESS」の、全10曲入りです。契約の問題で米国盤では全曲の作者が「バッドフィンガー」となっていますが、最初の「APPLE OF MY EYE」と最後の7分半以上もある大作「TIMELESS」の2曲がピート・ハム作で、「GET AWAY」と「ICICLES」と「THE WINNER」と「CONSTITUTION」と「I CAN LOVE YOU」の5曲がジョーイ・モーランド作で、「BLIND OWL」と「WHEN I SAY」の2曲がトム・エヴァンス作で、「COWBOY」がマイク・ギビンズ作です。ジョーイ作が多く感じられますが、「THE WINNER」と「I CAN LOVE YOU」は前作アルバム「STRAIGHT UP」のアウトテイクで、トッド・ラングレンのプロデュースです。そして、次のプロデューサーが決まるまで1年間も掛かってしまい、決まったのがクリス・トーマスです。ビートルズ・ファンには云わずと知れたクリス・トーマスは、サー・ジョージ・マーティンの弟子で、ビートルズの1968年リリースのアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」から現場を経験しています。
バッドフィンガーとクリス・トーマスの相性は良くて、結局はアップルでの最後で1973年リリースの4作目のアルバム「ASS」と、ワーナー移籍後の1974年リリースの5作目のアルバム「BADFINGER(涙の旅路)」と、同年リリースのオリジナル・バッドフィンガーとしては6作目で最後のアルバム「WISH YOU WERE HERE(素敵な君)」と、3作連続で組む事となります。アルバム「ASS」のジャケットは、トム・エヴァンスの発案で、大きな人参に釣られて向かうロバのお尻(ASS)に、アップルから離れてゆく自分たちを表した自嘲的なものです。前作から2年のブランクがあってリリースされたのですが、その期間にドラマーのマイク・ギビンズが脱退してしまいます。ツアーは代役ドラマーで何とかしのいで、レコーディングも複数のセッション・ドラマーで始めてはみたものの上手くゆかず、マイクに復帰してもらって最初からレコーディングし直しています。アルバム「ASS」のレコーディングは1973年4月には完了していたものの、前述の経緯で米国では年内にリリースされたのに、英国では翌年のリリースとなり、ワーナー移籍後のアルバムと前後してリリースされてしまったので、ファンは混乱しました。シングルになったのは1曲目の「APPLE OF MY EYE(なつかしのアップル)」で、全くヒットしていません。CDでは、1曲追加の1996年盤と、5曲追加の2010年盤があるので、2010年盤の方がお得です。
(小島イコ)
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WOWOWプラス 1:00〜3:15
2010年公開作品
片瀬那奈 AS 杉尾園子
(公開:2010年5月8日、撮影:2009年11月頃、栃木県佐野市にてロケ)
「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」の今年3回目の放送で、今回も劇場版4作が連続放送されます。那奈ちゃんが演じたのはインチキ霊能力者の杉尾園子で、出オチなみに、かなり奇妙奇天烈な役どころです。変な方言で話していたのに、村から逃げ出す時には標準語で話しているのが「謎設定」です。お互いにへんちくりんな役どころながら、「きれいなおねえさん」3代目・那奈ちゃんと5代目・仲間由紀恵さんの共演作でもあります。
(小島イコ/姫川未亜)
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ACTRESS
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2024年09月30日
1974年11月28日に行われたエルトン・ジョンのマディソン・スクエア・ガーデンでのライヴに、ジョン・レノンはシングル「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT(真夜中を突っ走れ)」が全米首位!となったので、エルトンとの賭けに負けるカタチで飛び入り参加して、エルトンと共に「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」と「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」と、何故か「I SAW HER STANDING THERE」の3曲を歌いました。そのライヴを観に来ていたヨーコさんと再会して、翌1975年2月3日にジョンはヨーコさんの元へ戻って「失われた週末」時代は終わるのです。ジョンはヨーコさんと離れていた期間に、1974年リリースのソロ・アルバム「WALLS AND BRIDGES」と、1975年リリースのカヴァー・アルバム「ROCK ’N' ROLL」を制作していて、1974年にはニルソンのアルバム「PUSSY CATS」をプロデュースしていて、リンゴのアルバム「GOODNIGHT VIENNA」にも表題曲を書いて、カヴァーの「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」もジョンのアレンジで協力していて、ジョニー・ウィンターへの「ROCK ’N' ROLL PEOPLE」や、キース・ムーンへの「MOVE OVER MS. L」を提供するなど、音楽活動は充実していました。ヨーコさんとの別居期間がもっと長ければ、更なるジョンの音楽活動があったし、その中にはポールとの共演も含まれていたのです。
そして、1975年3月7日にリリースされたデヴィッド・ボウイの8作目のアルバム「YOUNG AMERICANS」にも、ジョンは協力しています。ジョンが参加したレコーディングは1975年1月12日から15日ですので、ジョンの「失われた週末」時代最後の作品です。アルバムの内容は、A面が、1「YOUNG AMERICANS」、2「WIN(愛の勝利)」、3「FASCINATION」、4「RIGHT」で、B面が、1「SOMEBODY UP THERE LIKE ME(幸運の神)」、2「ACROSS THE UNIVERSE」、3「CAN YOU HERE ME(恋のささやき)」、4「FAME」の、全8曲入りです。アルバムは、全英2位・全米9位とヒットしました。ジョンがレコーディングに参加したのは2曲あって、まずはB面2曲目のビートルズのカヴァー「ACROSS THE UNIVERSE」では、ジョンがアコースティック・ギターを弾いています。ジョンは楽曲としては自信作だった「ACROSS THE UNIVERSE」のビートルズでの演奏に納得していなかったので、このデヴィッド・ボウイのカヴァー・ヴァージョンを大いに気に入っていました。但し、バカな評論家には酷評されていて、確かにスローテンポで些か大仰なアレンジではありますが、コレはコレでアリです。レコーディング・メンバーは、同じ1975年1月のセッションなので、後述する「FAME」とほとんど同じです。
アルバムの最後に収録されている「FAME」は、デヴィッド・ボウイ、カルロス・アロマー、ジョン・レノンの共作です。レコーディング・メンバーは、デヴィッド・ボウイ(ヴォーカル、リズム・ギター、ピアノ、パーカッション)、ジョン・レノン(バッキング・ヴォーカル、アコースティック・ギター)、カルロス・アロマー(リード・ギター、リズム・ギター)、アール・スリック(リズム・ギター)、エミール・カッサン(ベース)、デニス・デイヴィス(ドラムス、ヴィブラスラップ)、ラルフ・マクドマルド(パーカッション)、パブロ・ロザリオ(パーカッション)、ジーン・ファインバーグ(バッキング・ヴォーカル)、ジーン・ミリントン(バッキング・ヴォーカル)です。「FAME」はアルバムから第2弾シングル・カットされて、デヴィッド・ボウイにとって初めての全米首位!獲得曲となりました。ところが、全英では17位までしか上がっていません。1990年には、リミックスされた何種類もの「FAME 90」もリリースされています。それで、その1990年10月に、宮沢りえちゃんが「GAME」と改題した日本語カヴァー・ヴァージョン(カヴァーと云うよりも替え歌)をリリースして、年末の「第41回紅白歌合戦」でステージではなく、屋上に設置された泡風呂に入って歌っています。
(小島イコ)
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(小島イコ/姫川未亜)
posted by 栗 at 00:07|
LOOK UP THE #
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2024年09月29日
ジョン・レノンが1974年9月26日(米国)・同年10月4日(英国)にアップルからリリースしたソロ名義では4作目のアルバム「WALLS AND BRIDGES」には、エルトン・ジョンがピアノ・オルガン・バッキング・ヴォーカルで参加した「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT(真夜中を突っ走れ)」と、コーラスで参加した「SURPRISE, SURPRISE(SWEET BIRD OF PARADOX)(予期せぬ驚き)」が収録されています。それで、エルトンが「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」をシングル・カットして全米首位!になったなら、ジョンに自分のライヴに出て欲しい、と賭けをします。ジョンは「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」は大した曲ではないと考えていて、実際に全英チャートでは36位までしか上がっていないのですけれど、なな、なんと、エルトンの予言通りに全米首位!となってしまったのです。実は、この曲はジョンにとってはソロになって初めての全米首位!で、つまりは、生前のジョンにとっては唯一の全米首位!獲得曲なのです。以前にも書いた通りに、その後に全米首位!や全英首位!となったジョンのシングル曲は、全てジョンの死後に獲得しているので、ジョン本人はその事実を永遠に知りません。
同時期の1974年11月15日(英国)・同年11月18日(米国)に、エルトン・ジョンはシングル「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS / ONE DAY (AT A TIME)」をリリースしていて、A面は、1967年リリースのビートルズのアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」に収録されたジョンが主導して書いた「レノン=マッカートニー」作のカヴァーで、B面はジョンの1973年リリースのアルバム「MIND GAMES」に収録されたジョン作のカヴァーです。1974年8月にレコーディングしたA面の「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」では、ジョンが「ドクター・ウィンストン・オーブギー」名義でギターとハーモニー・ヴォーカルで参加していて、B面でもギターで参加しています。この「エルトン・ジョン・レノン」によるカヴァー・ヴァージョンは、全英10位・全米首位!を獲得しました。オリジナルの「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」は、幼かったジョンの息子のジュリアンが保育園で描いた絵が元ネタで、ジュリアンが好意をよせていた女の子・ルーシーがダイアモンドと一緒に空にいる、とジョンに説明したのを聞いて書いた曲です。頭文字が「LSD」になっているのは偶然だと、ジョンもポールも云っています。
「失われた週末」時代には、ヨーコさんがいないので、ジョンは前妻・シンシアとの息子・ジュリアンとも再び逢って交流する様になっていて、アルバム「WALLS AND BRIDGES」には父子共演の「YA YA」も収録されています。エルトンとジョンは親友で、エルトンはジョンの次男であるショーンの名付け親でもあります。エルトン版の「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」は、1976年公開の映画「映画と実録でつづる第二次世界大戦」でもサントラとして使用されています。そのサントラ盤は、全てがビートルズのカヴァーで構成されています。と云う経緯でエルトンはジョンとの賭けに勝ったので、1974年11月28日のエルトンのマジソン・スクエア・ガーデンでのライヴにジョンは飛び入りして、「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」と「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」と、何故かポールが主導して書いたレノン・マッカートニー作でビートルズのデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」の1曲目に収録されている「I SAW HER STANDING THERE」を「いつもは別れたフィアンセが歌うけれど、今宵は僕が歌うよ」と云って披露したのです。ジョンが大観衆の前で、最後に演奏した曲が、奇しくも「I SAW HER STANDING THERE」となってしまいました。
1974年当時全米首位!となった「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」と、翌1975年に全米首位!になる「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」は分かりますが、何故にもう1曲が「I SAW HER STANDING THERE」だったのかは、謎です。当時のジョンはポールと和解したどころかセッションもやっていて、翌1975年5月にリリースされるポールが率いるウイングスのアルバム「VENUS AND MARS」のニューオリンズでのレコーディングに、ジョンが参加する予定にもなっていたものの、前述のエルトンのライヴの楽屋でヨーコさんと再会してよりを戻してしまい、ヨーコさんの反対でオジャンになってしまったのです。メイ・パンと一緒だったから、ポールとも和解したし、ジュリアンとも再会出来たし、音楽的には実りが多かった事実は近年は認められてきてはいるものの、この時期のプロモーション・フィルムなどに何故か「いなかったはずのヨーコさんが出てくる」のは、歴史の改竄です。エルトン・ジョンのシングルはオリジナル・アルバム未収録ですが、両面共にエルトンの1975年リリースのアルバム「CAPTAIN FANTASTIC & THE BROWN DIRT COWBOY(キャプテン・ファンタスティック)」のCDにボーナス・トラックとして収録されていますし、ジョンとエルトンのライヴ3曲は1990年リリースのジョンの箱「LENNON」などで聴けます。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
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2024年09月28日
1974年11月15日に英国で、同年11月18日に米国でリリースされたリンゴ・スターの4作目(リンゴ的には2作目)のソロ・アルバム「GOODNIGHT VIENNA(グッドナイト・ウィーン)」は、前作で大ヒットしたアルバム「RINGO」と同じリチャード・ペリーのプロデュースで、多くの大物ミュージシャンが楽曲を提供してレコーディングにも参加している、清々しいほどの二番煎じです。内容は、A面が、1「(IT'S ALL DA-DA DOWN TO)GOODNIGHT VIENNA」、2「OCCAPELLA」、3「OO-WEE」、4「HUSBANDS AND WIVES」、5「SNOOKEROO」で、B面が、1「ALL BY MYSELF」、2「CALL ME」、3「NO NO SONG」、4「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」、5「EASY FOR ME」、6「GOODNIGHT VIENNA(REPRISE)」の、全11曲入りです。タイトル曲「(IT'S ALL DA-DA DOWN TO)GOODNIGHT VIENNA」で始まり、最後も「GOODNIGHT VIENNA(REPRISE)」で終わる構成は、ビートルズのアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」を思わせます。何で「グッドナイト・ヴィエナ」の邦題が「グッドナイト・ウィーン」なのかと云うと「VIENNA」が元々はドイツ語の「WIEN」なので、それをローマ字読みしたからなのだそうです。
そのタイトル曲「GOODNIGHT VIENNA」は、ジョン・レノンの書き下ろしで、ジョンはピアノでも参加していて、ジェシ・エド・デイヴィス(ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、ジム・ケルトナー(ドラムス)と云うメンバーは、ジョンの1974年10月リリースのアルバム「WALLS AND BRIDGES」と同じ布陣です。そもそも、何故にリンゴがこのアルバム「GOODNIGHT VIENNA」を制作したのかと云うとですね、1973年からジョンやニルソンと呑み歩いていたリンゴが、1974年になってジョンとニルソンがニルソンのアルバム「PUSSY CATS」の仕上げをする為にロサンゼルスからニューヨークへ行ってしまい、残されたリンゴが暇になってしまったので、じゃあレコーディングするか、となったのです。そんなお気楽な気分で制作されたアルバム「GOODNIGHT VIENNA」は、全英30位とその後の落ちぶれる前兆を感じさせるものの、全米8位と大ヒットしているのです。本格的なレコーディングは、ジョンのアルバム「WALLS AND BRIDGES」の制作が終了してからそのメンバーをロサンゼルスに呼んで行われていて、ジョンも駆けつけて参加しています。当時は、ジョンとリンゴはお互いのアルバムのCMに出演していて、そう云えば、ポールやジョージとはジョンはケンカした事もあったけれど、リンゴとはずっと仲良しだったのです。
ブギ調でゴキゲンなジョン作の「GOODNIGHT VIENNA」は、シングル・ヴァージョンでは「(IT'S ALL DA-DA DOWN TO)GOODNIGHT VIENNA」と「GOODNIGHT VIENNA(REPRISE)」を編集しているので、アルバム・ヴァージョンとは違っています。そのシングルは、第3弾シングルだった事もあって、チャート入りしていません。この楽曲にもジョンが自らノリノリで歌ったヴァージョンもあって、ジョンの死後の1998年11月にリリースされた箱の「ANTHOLOGY」に収録されています。そして、もう1曲、ジョンはこのアルバム「GOODNIGHT VIENNA」に貢献していて、それがプラターズのカヴァー「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」です。当時ジョンはアルバム「ROCK ’N' ROLL」も制作途中で、ニルソンのアルバム「PUSSY CATS」にもジョンが自分で歌いたかったであろうカヴァーを入れているのですが、このリンゴの「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」もそのひとつだったのでしょう。ジョンはアルバム「ROCK ’N' ROLL」のセッションでは、ロージー&ザ・オリジナルズの「ANGEL BABY」や、ロネッツの「BE MY BABY」などもカヴァーしていて、ビートルズ時代から女の子が歌った曲でさえも軽々とカヴァーしてしまうので、それに比べたらプラターズの「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」なんて、もうお手の物だったのです。
ジョンは、やはり前述のアルバム「WALLS AND BRIDGES」のレコーディング・メンバーで、リンゴの為にデモを制作していて、リンゴはそのジョンのヴォーカル・スタイルのまんまコピーして歌っています。ニルソンのコーラスも粋なこのカヴァーは第1弾シングル・カットされて、全英では26位止まりでしたが、全米では6位まで上がるヒット曲となっています。ジョンが歌ったヴァージョンは、やはり前述の箱「ANTHOLOGY」と、ダイジェスト盤の「WONSAPONATIME」に収録されているので、容易に聴く事が出来ます。アルバム「GOODNIGHT VIENNA」には、他にもエルトン・ジョンとバーニー・トーピンによる書き下ろしの「SNOOKEROO」や、ニルソン作の「EASY FOR ME」と云った提供曲もあって、レコーディング・メンバーも前述のジョンたちに加えて、ビリー・プレストン、デイヴィッド・フォスター、ニッキー・ホプキンス、ドクター・ジョン、スティーヴ・クロッパー、ロビー・ロバートソン、ロン・ヴァン・イートン、ボビー・キーズなど、豪華絢爛だったものの、前作「RINGO」での元ビートルズ揃い踏みに比べるとインパクトは弱かったのが、特に英国での成績に表れています。「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」も「GOODNIGHT VIENNA」もリンゴの2007年のベスト盤でも聴けますが、「GOODNIGHT VIENNA」は前述のシングル・ヴァージョンですので、アルバム「RINGO」とアルバム「GOODNIGHT VIENNA」とベスト盤の3枚位は買って下さい。
(小島イコ)
さて、本日(9月28日)は、櫻坂46の山ア天ちゃんの19歳のお誕生日です。オーディションの時には12歳、欅坂46に二期生として加入した時は13歳、そのまま若干13歳で東京ドームのステージに立っていたわけで、初めて紅白歌合戦に出演した時には年齢制限で最初に「パプリカ」をFoorinと一緒に踊っただけで欅坂46のパフォーマンスには参加出来なかったのです。欅坂46の配信ライヴでセンターを務めたのが14歳で、「ViVi」の専属モデルになったのは15歳で、初めての表題曲センターを務めた「五月雨よ」の時でもまだ16歳で、早熟な逸材だったわけですが、17歳で再び東京ドームのステージにに立ち、18歳で2度目の表題曲「何歳の頃に戻りたいのか?」でセンターを務め、三度東京ドームのステージに立ち、今や櫻坂46のエースのひとりで、三期生や来るべき四期生の大先輩なのに、まだ10代なのです。世代的には三期生と同じなわけで、まだまだ天ちゃんには頂点を目指して頑張って頂きたいです。櫻坂46の新曲「I want tomorrow to come」を聴きましたけど、何だかプログレッシヴ・ロックみたいな展開の曲で、フルサイズでないと分かり難そうなので、歌番組ではどうするんでしょう。天ちゃん、お誕生日おめでとう。
(小島イコ/姫川未亜)
posted by 栗 at 23:00|
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日本映画専門チャンネル 21:40〜23:25
片瀬那奈 AS 山口梨香
「GTO ドラマスペシャル」の、今年2回目の再放送です。日本映画専門チャンネル版はノーカットで「ポイズンの前でポイズンを歌う場面」もあります。後に那奈ちゃんが出演した連続ドラマ「彼らを見ればわかること」と連続ドラマ「24 JAPAN」で名を連ねたのに全く絡みがなかった木村多江さんと、少しだけですが本当に共演しています。那奈ちゃんの女優としての実質的なデビュー作(事実上のデビュー作は「美少女H2 最後のデート」)とも云えるドラマですので、何だか分からない理由で欠番にならない内にどうぞ。コレが再放送出来るのですから、「古畑任三郎」の「再会」が欠番になっているのは、こっちで那奈ちゃんが演じた梨香ちゃんを捨てた「武田先生」を演じた「響鬼」のせいではないと思えるのですけれど、どうなんでしょう。それから、このドラマでは那奈ちゃんが演じた梨香ちゃんの父親役を演じた並木史朗さんとは、2010年のドラマ「ハンマーセッション!」第8話で、なんと婚約者同士で結婚式をあげる役どころで再共演しています。
(小島イコ/姫川未亜)
posted by 栗 at 21:40|
ACTRESS
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時代劇専門チャンネル 17:00〜19:00
第五回「奪還」
第六回「月下の誓い」
内山理名 AS 七化けのお千代
「雲霧仁左衛門3」第五回と第六回の、今年初めての再放送です。第五回は、富の市とおかねを奪還するお話です。雲霧一党は、式部の罠だと知りつつも挑戦します。江戸での奪還に失敗した一党は、最後の賭けに出ます。お千代姐さんはお婆さんに化けたりしました。脱獄に成功する一党ですが、待ち伏せされていました。隠れ家に逃げ込み、難を逃れました。
第六回の狙いは日本橋・松井屋です。他の組織とは組まない仁左衛門ですが、押し込み先の名を聞いて囮役を引き受けます。それを式部に見破られ、緊迫した展開となります。お千代姐さんは、夜回りに化けたりしました。暁一等の裏切りにも遭って、雲霧一党は絶体絶命の危機となりますが、なんとか逃れました。
(姫川未亜/小島イコ)
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RINA
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2024年09月27日
1973年秋から1975年初頭までのジョン・レノンの「失われた週末」時代に、最もジョンとつるんで呑んだくれていたのは、ハリー・ニルソンです。二人の交流は、1967年リリースのニルソンのアルバム「PANDEMONIUM SHADOW SHOW」を聴いたジョンが、ニルソンに国際電話して「You are great!」と云った時から始まっています。ジョンとニルソンが酒場で酔っ払って追い出されるところを撮られた写真もあって、ジョンは「ニルソンたち呑み仲間連中が悪い」と云っていて、ニルソンは「ジョンやリンゴが始めたから俺は付き合っただけで、あいつらが悪い」などと罪のなすり合いをしていましたが、まあ、ジョンもニルソンもリンゴもキース・ムーンも、全員が同罪でしょう。そんなダメな部分が語られがちなこの時期ですが、ヨーコさんと離れた事で音楽活動は精力的に行っていて、ズバリ云って、ジョンのソロ・キャリアの中では最も成果を残している時期が「失われた週末」時代なのです。ニルソンとも、ただ呑んだくれていただけではなく、ジョンのプロデュースでニルソンのアルバム「PUSSY CATS」を制作しています。1974年8月19日(米国)、同年8月30日(英国)にリリースされたこのアルバムは、猫になって並んでいるジャケットで分かる通りに、ジョンとニルソンの合作と云って良い、重要なアルバムです。
内容は、A面が、1「MANY RIVERS TO CROSS」、2「SUBTERRANEAN HOMESICK BLUES」、3「DON'T FORGET ME」、4「ALL MY LIFE」、5「OLD FORGOTTEN SOLDIER」で、B面が、1「SAVE THE LAST DANCE FOR ME」、2「MUCHO MUNGO / MT. ELGA」、3「LOOP DE LOOP」、4「BLACK SAIL」、5「ROCK AROUND THE CLOCK」の、全10曲入りです。ドラムスはリンゴ・スターとジム・ケルトナーのツイン、ベースはクラウス・フォアマン、ギターはダニー・コーチマーとジェシ・エド・デイヴィス、ペダル・スティールはスニーキー・ピート、サックスはボビー・キーズ、ピアノはケン・アッシャー、オルガンはウイリー・スミス、更にキース・ムーンも加えたトリプル・ドラムスまで聴けます。レコーディングのメンバーは、そのまま1974年10月にリリースされるジョンのソロ・アルバム「WALLS AND BRIDGES」や、1975年2月にリリースされるジョンのカヴァー集「ROCK ’N' ROLL」の追加レコーディングに継続されています。更に、ニルソンが酒で美声を失ってしゃがれ声で歌っている事で、ジョンは断酒をして自分のアルバム「WALLS AND BRIDGES」を制作する事となるのです。アルバム「WALLS AND BRIDGES」に収録されたジョンとニルソンの共作「OLD DIRT ROAD(枯れた道)」は、このアルバムの流れを汲んでいます。
ジョンが提供したのはニルソンと共作した「MUCHO MUNGO / MT. ELGA」だけで、他はニルソン作の4曲「DON'T FORGET ME」と「ALL MY LIFE」と「OLD FORGOTTEN SOLDIER」と「BLACK SAIL」を加えた5曲がオリジナルで、残りの5曲はカヴァーです。このカヴァーの選曲がジョンらしく、当初は1973年にフィル・スペクターのプロデュースで制作を開始して頓挫したジョンのアルバム「ROCK ’N' ROLL」に通じるものです。ジョンがベーシック・アレンジをしたジミー・クリフのカヴァー「MANY RIVERS TO CROSS」のオーケストラ・アレンジは、そのまんまジョンの「#9 DREAM(夢の夢)」に継承されています。ジョンとニルソンがアレンジしたボブ・ディランのカヴァー「SUBTERRANEAN HOMESICK BLUES」や、ドリフターズのカヴァー「SAVE THE LAST DANCE FOR ME」や、ジョニー・サンダーのカヴァー「LOOP DE LOOP」、そして、最後のビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツのカヴァー「ROCK AROUND THE CLOCK」と云った曲は、ジョンが歌ってアルバム「ROCK ’N' ROLL」に入れていたとしても、何ら違和感はありません。このアルバム「PUSSY CATS」は、現在では9曲もボーナス・トラックが収録されているCDも出ていますが、アルバム本編の最後を飾る「ROCK AROUND THE CLOCK」での、リンゴ・スター、ジム・ケルトナー、キース・ムーンによるトリプル・ドラムスのお祭り騒ぎが強烈すぎて、そこまででお腹いっぱいです。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
FAB4
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時代劇専門チャンネル 14:00〜15:45
第一回「大盗賊の首領」
第二回「子分の破門」
内山理名 AS 七化けのお千代
「雲霧仁左衛門」第一作の第一回と第二回の、今年2回目の再放送ですが、「ドルチェ」と理名ちゃんバッティングしています。其の後にシリーズ化されて、理名ちゃんは2013年の「雲霧仁左衛門」から2022年の「雲霧仁左衛門5」まで「七化けのお千代姐さん」を10年間演じて、当たり役のひとつとなりました。現在、時代劇専門チャンネルでは土曜日の夜に「雲霧仁左衛門3」を再放送中ですが、本日から金曜日のお昼に「雲霧仁左衛門」からリピート放送される事となったので、要チェックです。
(姫川未亜)
posted by 栗 at 14:00|
RINA
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「NO IMAGE」
here is
mia/iko presents
「the diary of nana katase」
A/K/A/ 「COPY CONTROL」
Recording Produced by IKO KOJIMA
Engineer : MIA HIMEKAWA
All voices & instruments : MW-777
(MIA/IKO/TACO/LUNA)
All Songs arranged , written and compoced by
009:栗
(A/K/A/ mia/iko) except where indicated.
with a big help from
001:ANTETSU (from NANAchan OGAMITAI of NO IMAGE),
002:USHIO (from SHiNY ☆ BRADBURYS of NO IMAGE),
008:HITO-WOLF (from MEI-KYO-SHI-SUI),
& 100 = TACO (from Queen of NO IMAGE),
055:PIN (from NEW of NO IMAGE)&
033:KIRI (from SISTER of NO IMAGE),
・・・with their family・・・,
101:NANAMI NARUMI (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
051:LUNA NARUMI (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
0101010・・・,& so on:KOYUKI SISTERS #0-#2 with TVC-15,
& 「KOYUKI #3-#4」with TVC15-2!!,
m-G4-MIMI & W-7,W-10-nanaco#1-#3,
ukulele-MIDORI #1-#3 (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
070 & 077:NEO FLOWER GIRLS (from &'S LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
396:pirozhki (from MARQUEE MOON),
099;mayaya
R-157:rina-chan (AMARIKI)
000:mamma-mia A+C ! &
007:nana-chan with C.K. (K-O !)
& EVERY***
AND ・・・「∞:my MOTHER = MIAMIA/IKO-CHAN !」
ALL FOR NANA KATASE from the bottom of my heart.
since 2004-8-8
(C) NO IMAGE INC. with LOVE ☆
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