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2025年03月16日

「ポールの道」#676「LENNON SONGS」#101 「I'M LOSING YOU」

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ジョン・レノンが、1980年11月17日にゲフィンからリリースした、5年ぶりのアルバム「DOUBLE FANTASY」は、ヨーコさんとの共作で、二人の曲が交互に収録されています。ジョンはソロ活動を始めた1968年から、前衛3部作はヨーコさんとの共作だったし、ソロ初期の「プラスティック・オノ・バンド」名義でのシングルもA面がジョンでB面がヨーコさんだったし、1970年のソロ・アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」はヨーコさんのソロ・アルバム「YOKO ONO / PLASTIC ONO BAND(ヨーコの心)」と対になっていたし、1971年のジョンのソロ・アルバム「IMAGINE」もヨーコさんの2枚組ソロ・アルバム「FLY」と対になっていました。1972年の2枚組アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」はジョンとヨーコさんの共作で、二人のソロや共作デュエットがごちゃ混ぜになっていました。それが、失われた週末に突入した1973年から1975年にかけてのアルバム「MIND GAMES」からの「WALLS AND BRIDGES」を経て「ROCK'N'ROLL」と云ったアルバムでは、歌詞の内容でヨーコさんが出てくる事はあっても、対になるヨーコさんのアルバムはなくなっていて、ヨーコさんはジョンとは別に結構早いペースで1973年の2枚組ソロ・アルバム「APPOROXIMATELY INFINITE UNIVERSE(無限の大宇宙)」をリリースしていたのですけれど、それも1973年のアルバム「FEELING THE SPACE(空間の感触)」で途絶えました。1974年に「A STORY」を制作したものの、お蔵入り(1992年の箱「ONOBOX」に収録され、1997年に単体リリース)しています。

つまり、アルバム「DOUBLE FANTASY」は、ジョンにとっては5年ぶりのアルバムですけれど、ヨーコさんにとっては7年ぶりのアルバムだったのです。お蔵入りした「A STORY」を考慮しても、6年ぶりの音楽活動でした。1976年1月にレコード会社との再契約を拒否して「ハウス・ハズバンド」になったジョンは、つまりは仕事をせずに育児をしながら遊んで暮らしていたのですけれど、その間にヨーコさんが働いていて、株の取引きなどでジョンの資産を4倍にしたとも云われています。つまり、ヨーコさんにはビジネスの才能もあったわけで、ジョンが5年ぶりに復活する為のレコード会社との交渉も、ヨーコさんが主導で行っています。ジョンは失われた週末の期間以外は、常にヨーコさんとの共作活動に拘っていたので、復活アルバム「DOUBLE FANTASY」が二人の共作になったのは、ごく自然な成り行きだったと云えるでしょう。が、しかし、シングルのB面とか、二人で別のアルバムとかにしてくれていたのと違って、ガッツリと対話形式で二人の曲が交互に収録された事に対するファンの戸惑いはありました。それまでの二人の共作アルバムは、前衛3部作は論外で、1972年の共作アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」は、ジョンのアルバムで最も人気がなかった作品だったのです。さて、アルバム「DOUBLE FANTASY」は、ジョンの「CLEANUP TIME」の次にヨーコさんの「GIVE ME SOMETHING」が収録されていて、次がジョンの「I'M LOSING YOU」です。この曲は、次のヨーコさんの「I'M MOVING ON」と繋げて編集されています。

ジョンの「I'M LOSING YOU」と、ヨーコさんの「I'M MOVING ON」は、共同プロデュースを務めたジャック・ダグラスの提案で、彼がプロデュースしていた(後にこの曲をカヴァーする)チープ・トリックのリック・ニールセン(ギター)とバン・E・カルロス(ドラムス)が参加して、1980年8月にレコーディングされています。そのテイクはボツ音源にされて、ジョン・レノン(ヴォーカル、リズム・ギター)、アール・スリック(リード・ギター)、ヒュー・マクラッケン(リード・ギター)、トニー・レヴィン(ベース)、ジョージ・スモール(キーボード)、アンディ・ニューマーク(ドラムス)、アーサー・ジェンキンス(パーカッション)と云う、アルバム「DOUBLE FANTASY」のセッション・メンバーで再レコーディングされています。しかし、その新たなヴァージョンは、リック・ニールセンが弾いたギターを参考にしています。チープ・トリックが参加した元のアウトテイクは、1998年の箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」に収録されて、そのハイライト盤である「WONSAPONATIME」では1曲目に収録されています。このハードロック調の楽曲は、1978年に「STRANGER'S ROOM」と云うタイトルで書かれていて、1980年6月にバミューダ諸島に滞在中のジョンが、仕事でニューヨークにいたヨーコさんとの電話が繋がり難くなった事で「I'M LOSING YOU」として完成しています。ジョンは沈黙の5年間に多くの曲を書いていて、それを発展させた曲が沢山レコーディングされるはずでした。前述の通りヨーコさんの「I'M MOVING ON」と繋がっているので、後のジョンのベスト盤ではフェイドアウトを早くして、ヨーコさんの声が入らない様にして収録されています。

(小島イコ)

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2025年03月15日

「ポールの道」#675「LENNON SONGS」#100 「CLEANUP TIME」

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ジョン・レノンは、1980年10月23日(米国)・同年10月24日(英国)・同年11月10日(日本)にゲフィンからリリースしたシングル「(JUST LIKE)STARTING OVER」で、5年間の沈黙を破り復活しました。そして、同年11月17日(米国・英国)・同年12月5日(日本)に、遂にアルバム「DOUBLE FANTASY」をゲフィンからリリースしたのです。内容は、A面が、1「(JUST LIKE)STARTING OVER」、2「KISS KISS KISS」、3「CLEANUP TIME」、4「GIVE ME SOMETHING」、5「I'M LOSING YOU」、6「I'M MOVING ON」、7「BEAUTIFUL BOY(DARLING BOY)」で、B面が、1「WATCHING THE WHEELS」、2「YES I'M YOUR ANGEL」、3「WOMAN」、4「BEAUTIFUL BOYS」、5「DEAR YOKO」、6「EVERY MAN HAS A WOMAN WHO LOVES HIM」、7「HARD TIMES ARE OVER」の、全14曲入りでした。が、しかし、ジョンが書いて歌っているのは、A-1「(JUST LIKE)STARTING OVER」、A-3「CLEANUP TIME」、A-5「I'M LOSING YOU」、A-7「BEAUTIFUL BOY(DARLING BOY)」、B-1「WATCHING THE WHEELS」、B-3「WOMAN」、B-5「DEAR YOKO」、の7曲のみで、他の7曲はヨーコさんが書いて歌っていて、しかも会話形式でジョンの曲とヨーコさんの曲が代わる代わる収録されていました。

ジョンは、それぞれの曲をAB面に分けてしまうと、ヨーコさんの曲が聴かれなくなってしまう事を危惧して、二人の対話形式でのアルバムにしたのですけれど、当然の如くファンの反発があって、ズバリ云ってみんなジョンの曲だけカセットテープに編集して聴いていました。訳知り顔の日本のバカな評論家は、感情的になって「通して聴け!」とか「通して聴かなければ、本当にアルバムを聴いたとは云えない!だって、これはシングルではなくダブルなんだから!」とかぬかしやがったのですけれど、ジョンが亡くなって1982年にベスト盤「THE JOHN LENNON COLLECTION」がリリースされて、このアルバム「DOUBLE FANTASY」からジョンの曲だけ「CLEANUP TIME」以外の6曲が収録されて、1990年の箱「LENNON」にはジョンの曲だけ7曲全てが収録されてしまったのは、一体どう説明するのでしょうか。人には人の聴き方があるし、幾らジョンのアルバムだからと云って「前衛3部作」なんて聴いていられない人が大多数でしょう。ジョンの7曲だけを愛聴するのが、そんなに悪い事だとは思いませんし、他人に「通して聴け!」とか説教するのが音楽評論家の仕事なのでしょうか。アルバムはジョンの「(JUST LIKE)STARTING OVER」で始まりますけれど、2曲目がヨーコさんの露悪趣味的な問題作「KISS KISS KISS」で、シングルではB面だったので聴かなければ良いだけだったのに、アルバムだと聴かざるえないわけで、まあ、普通はそこで気分を害して、通して聴くのを挫折するでしょう。気持ち悪くなってまで音楽を聴くなんて苦行は、可笑しいじゃないですか。

そして、A面3曲目には、ジョンの「CLEANUP TIME」が収録されています。1980年6月にバミューダ諸島で書かれ、同年8月から10月にかけてニューヨークのザ・ヒット・ファクトリーでレコーディングされミックスされていて、メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、リズム・ギター)、アール・スリック(リード・ギター)、ヒュー・マクラッケン(リード・ギター)、トニー・レヴィン(ベース)、ジョージ・スモール(キーボード)、ハワード・ジョンソン、グラント・ハンダーフォード、JDパラン、セルドン・パウエル、ジョージ「ヤング」オパリスキー、ロジャー・ローゼンバーグ、デビッド・トファニ、ロナルド・トゥーリー(以上、ホーン)、アンディ・ニューマーク(ドラムス)、アーサー・ジェンキンス(パーカッション)です。この楽曲は、アルバム「DOUBLE FANTASY」では最後に完成していて、前述のベスト盤から1曲だけ弾かれた「弱い曲」です。アルバム「DOUBLE FANTASY」は、ジョンとヨーコさんと共に、ジャック・ダグラスが共同プロデュースしていて、ジョンの再契約はヨーコさんが主導で行っています。どのレコード会社も「まず、ジョンと話をさせてくれ」と云う中で、新たに設立されたゲフィン・レコードだけはヨーコさんとの交渉に応じたので、契約に至ったのだそうです。「CLEANUP TIME」は、歌詞の内容は面白い(自分たちを王様と女王に例えて、王様はキッチンで主夫をやっているとか、そろそろ大掃除の時間だとか歌っている)ものの、やはり楽曲としては印象に残らない凡作です。

(小島イコ)

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2025年03月14日

「ポールの道」#674「LENNON SONGS」#099 「(JUST LIKE)STARTING OVER」

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ジョン・レノンは、1980年10月23日(米国)・同年10月24日(英国)・同年11月10日(日本)に、ゲフィンからシングル「(JUST LIKE)STARTING OVER」(B面は、ヨーコさんの「KISS KISS KISS」)をリリースしました。ジョンのレコードは、1975年10月リリースのアルバム「SHAVED FISH」以来5年ぶりで、それがベスト盤であった為、新作としては1975年2月リリースのアルバム「ROCK'N'ROLL」と1975年3月リリースのシングル「STAND BY ME / MOVE OVER MS. L.」以来5年半ぶりで、それがカヴァー中心であった為、オリジナルとしては1974年9月リリースのアルバム「WALLS AND BRIDGES(心の壁、愛の橋)」以来6年ぶりだったのです。2025年の現在の感覚だと、5年や6年位アルバムをリリースしなかったとしても、すわっ、引退か?とはなりませんが、1970年代にはミュージシャンは年に1枚はアルバムをリリースしていたわけで、5年間も何も出さないのは「引退」を意味していました。事実として、ジョンは1976年1月にEMI・キャピトルとの契約が切れた時に、如何なるレコード会社とも再契約には応じず、本当に「引退」して「ハウス・ハズバンド」になったのです。そのジョンが、1980年に新たにゲフィン・レコードと契約して、音楽活動を再開したと云うニュースは、ロック・ファンにとっては大事件でした。しかしながら、世間一般では「5年間も仕事もしないで遊んで暮らしていた大金持ちが、気まぐれで遊び半分で音楽活動を再開した」と云った、ネガティヴな評価でした。

当時はインターネットなどない時代だったので、ジョンの復活ソングである「(JUST LIKE)STARTING OVER」を最初に聴いたのは、NHK-FMでの放送でした。それはプロモ盤ヴァージョンで、エンディングが少しだけ長くて、ジョンのアドリブ・ヴォーカルが多く聴けるのですけれど、エア・チェックしたカセットテープが擦り切れる程に聴き捲りました。そして、日本盤のシングルがリリースされたので、速攻で買いました。それまでジョンのシングルは、「MIND GAMES / MEAT CITY」と「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT / BEEF JERKY」と「#9 DREAM / WHAT YOU GOT」と「STAND BY ME / MOVE OVER MS. L.」と「IMAGINE / WORKING CLASS HERO」の5枚を買っていて、つまりB面がヨーコさんの曲のシングルは「片面しか聴かないので損をする」と思っていて買わなかったのですけれど、流石に5年ぶりの「(JUST LIKE)STARTING OVER / KISS KISS KISS」は買いました。この先行シングルは、1980年11月17日(米国・英国)・同年12月5日(日本)にゲフィンからリリースされた、ジョンとヨーコさんの共作アルバム「DOUBLE FANTASY」のA面1曲目と2曲目の曲が収録されています。ビートルズのアニメ映画「YELLOW SUBMARINE」を友人の家で観た当時4歳だった息子のショーンくんが「パパはビートルズだったの?」と訊いたとか、ポール・マッカートニーのシングル「COMING UP」に刺激されたとか、色々な要因があったらしいのですけれど、兎に角、ジョンは5年ぶりに復活したのです。大いに興奮したし、アンナ風に新作を待つ気分は、それ以前もそれ以後も味わった事がありません。

1970年リリースのジョンの1作目のソロ・アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」の幕開け「MOTHER」での重い鐘の音を思い出させる鈴の音から始まる「(JUST LIKE)STARTING OVER」は、ジョンが「エルヴィス・オービソン」と呼んだ1950年代のロックンロール風でもありながら、いきなりサビのスローなAメロから、アップテンポでビーチ・ボーイズの「DON'T WORRY BABY」や「DARLIN'」にも似たBメロへ、そしてビートルズの「DON'T LET ME DOWN」を思わせるCメロからBメロに戻ってからのアップテンポになったAメロへと展開する曲調は、正に「ジョン・レノン」そのもので、素晴らしい楽曲だと思いました。1980年8月9日にニューヨークのザ・ヒット・ファクトリーでレコーディングされたメンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、エレクトリック・ギター)、アール・スリック(エレクトリック・ギター)、ヒュー・マクラッケン(エレクトリック・ギター)、トニー・レヴィン(ベース)、ジョージ・スモール(キーボード)、ミシェル・シンプソン、カッサンドラ・ウートン、シェリル・マンソン・ジャックス、エリック・トロイヤー(以上、バッキング・ヴォーカル)、アンディ・ニューマーク(ドラムス)、アーサー・ジェンキンス(パーカッション)です。ショーンくんと出掛けたバミューダ諸島で「MY LIFE」として書かれた曲で、その「MY LIFE」のデモ音源が1998年の箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」に収録されています。この曲は1997年にドラマの主題歌になったので、日本限定で短冊CD(カップリングは「BEAUTIFUL BOY(DARLING BOY)」)になっています。高らかに再出発を歌うこの名曲は、リリース当初はトップ10に入る位の成績だったのですけれど、1980年12月8日にジョンが射殺された事で、結果的にジョン生前最後のシングルとなり、全米首位!・全英首位!となっています。ジョンの死後にリリースされたベスト盤には必ず収録されていて、MVもDVD化されたベスト盤には必ず収録されています。

(小島イコ)

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「20世紀少年 第2章 最後の希望」

20世紀少年<第2章> 最後の希望 [Blu-ray]


WOWOWシネマ 21:00〜23:30

2009年公開作品

片瀬那奈 AS 敷島ミカ

「20世紀少年 第2章 最後の希望」の、今年早くも5回目の放送です。この第2章では、那奈ちゃんが演じた敷島ミカは、最後の円卓会議にしか出番がなくて、セリフもない「カメオ出演」です。


(小島イコ/姫川未亜)

posted by 栗 at 21:00| ACTRESS | 更新情報をチェックする

「雲霧仁左衛門3」第八回(最終回)(再)で内山理名ちゃん

仁義なき戦い サウンドトラックコレクション


時代劇専門チャンネル 17:00〜18:00

第八回(最終回)「死闘の果て」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門3」第八回(最終回)の、今年初めての再放送です。最終回での雲霧一党の狙いは、藤堂家江戸上屋敷です。お千代姐さんは藤堂家に潜入して、まんまと一万両を奪い取った雲霧一党でした。磯部の悪巧みも解決し、関口も処刑され、磯部は自害しました。雲霧仁左衛門は安部式部と決闘をしますが、途中で姿をくらましました。「雲霧仁左衛門3」は今回でおしまいですが、次週からは「雲霧仁左衛門4」が再放送されます。「雲霧仁左衛門3」からは原作にはないオリジナル脚本となっていて、つまりは設定だけ原作から頂いて脚本家が好き放題で書いています。先を急ぐと、今年(2025年)に放送された第7作目の「雲霧仁左衛門ファイナル」までつづくのですけれど、雲霧仁左衛門と安部式部の戦いは決着がつかずに完結しています。

本放送:2017年2月24日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

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「サイケデリック・ペイン」リピート放送

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日本映画専門チャンネル 8:05〜10:30

公演日:2012年8月22日〜9月24日(サンシャイン劇場、森ノ宮ピロティホール)
(東京23公演、大阪5公演、全28公演)

サウンドトラック盤:CD「サイケデリック・ペイン」(ヴィレッヂ) 2012年8月22日発売(スタジオ録音された劇中全曲収録盤!劇場限定販売)

映像作品:DVD「サイケデリック・ペイン」(ヴィレッヂ) 2012年12月19日発売
本編収録日:2012年9月5日(サンシャイン劇場)特典映像収録日:2012年6月23日(新宿BLAZE)、9月24日(森ノ宮ピロティホール)

ライヴ「ゲキ×ソニック!」:2013年9月14日〜9月15日(Shibuya-AX)全2公演

片瀬那奈 AS レディー・パンドラ、ミツコ

ロック・オペラ「サイケデリック・ペイン」の、リピート放送です。12年半前に上演されたミュージカルですけれど、綾野剛さんの出演作を特集する一環として、突如として蘇りました。個人的には、舞台の1年後に行われたライヴ「ゲキ×ソニック!」の方が好きなんですけれども、改めて観てみると、那奈ちゃんは、プロポーションが良く、手足も長くて舞台映えがするし、歌も上手いし、やっぱり女優としての資質が高いなあ、と思わされました。本人は会社員になって「幸せ」とおっしゃっておりますけれど、芸能活動を出来ない現状には、惜しい人材だなあ、と思いますよ。本当なら「大女優」になるべき人なんですよ。この舞台のサントラ盤やDVDは、もともとが劇場限定販売だったりして、もはや入手困難でしょうから、この機会にバッチリと録画して永久保存版にされる事をオススメします。


(小島イコ/姫川未亜)

posted by 栗 at 10:30| ACTRESS | 更新情報をチェックする

2025年03月13日

「ポールの道」#673「LENNON SONGS」#098 「REAL LOVE」(「GIRLS AND BOYS」)

Imagine (Original Soundtrack)


1975年10月24日(米国・英国)に、アップルからリリースしたシングル集のベスト盤「SHAVED FISH」を最後に、ジョン・レノンは5年間の沈黙期間に入りました。そして、1980年10月23日(米国)・同年10月24日(英国)にゲフィンからリリースされたシングル「(JUST LIKE)STARTING OVER」(B面はヨーコさんの「KISS KISS KISS」)で復活するまでの期間で、ジョンの音楽活動は、1976年9月にリリースされた盟友・リンゴ・スターのアルバム「RINGO'S ROTOGRAVURE」に収録された「COOKIN'(IN THE KITCHEN OF LOVE)」を提供して、ピアノで参加しただけでした。その「COOKIN'(IN THE KITCHEN OF LOVE)」も、同じくリンゴに提供した「I'M THE GREATEST」や「(IT'S ALL DOWN TO)GOODNIGHT VIENNA」や、カヴァーを提案した「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」と同様に、ジョンがガイド・ヴォーカルを務めた音源があるのですけれど、他の曲とは違って公式盤には収録されていません。1977年から1979年にかけてと云うと、全くジョンの音楽活動は不明となっていて、頻繁に日本に来ていたり、エルトン・ジョンとベイ・シティ・ローラーズのライヴに行ったら、ファンの女の子たちに「エルトンの隣に居るオジサンは誰?」と云われたとか、ヨーコさんがジョンとショーンくんのお誕生日に飛行機で空に「HAPPY BIRTHDAY」と描いて「お金持ちの道楽で、生活の心配がない人はいいですなあ」と揶揄されたりしていたのです。

それで、日本の音楽評論家の中には「ジョンは曲が書けなくなったので、レコードを出せない」などと云い出す方までいたわけですけれど、それは間違いであったと、ジョンの死後に大量に放出されたデモ音源で覆される事となりました。しかしながら、1970年代後半には、2025年の現在の様にSNSなどなかったわけで、テレビとラジオと紙媒体でしか情報は得られなかったし、ジョンがレコード会社とは契約せずに「ハウス・ハズバンド(主夫)」になったのを意味するところなど理解不能でした。ジョンのアルバムが、1974年9月のオリジナル・アルバム「WALLS AND BRIDGES(心の壁、愛の橋)」から、1975年2月のカヴァー・アルバム「ROCK'N'ROLL」を経て、1975年10月のベスト盤「SHAVED FISH」と云う順番でリリースされた事も、実はカヴァー・アルバム「ROCK'N'ROLL」の方がオリジナル・アルバム「WALLS AND BRIDGES」よりも早くレコーディングが開始されていた事実もよく知らされていなかったので、ジョンがオリジナル・アルバムを出せずにカヴァー・アルバムに走ったのは自分で曲を書けなくなったからで、次がベスト盤だったのも新曲が書けなくなったからだ、と云う短絡的な考え方をする音楽評論家がバカな事を云い出すにはそれなりの妄想が許されていたし、そもそも、ジョンがレコード会社と契約をしていなかった事実すらよく知らされていなかったわけで、バカがバカな事を云い出す土壌となっていたわけですなあ。

1976年から1980年まで、ジョンはレコード会社と契約していなかったので、新作レコードを出せるわけがなかったと、現在では知られています。理由は、ショーン・タロウ・オノ・レノンくんが誕生したからで、ヨーコさんが妊娠したから、ジョンは1975年にリリースを予定していた新作オリジナル・アルバム「BETWEEN THE LINES」を中止して、1975年10月9日(ジョンの35歳のお誕生日)にショーンくんが誕生したから、音楽活動を辞めて「ハウス・ハズバンド」となって育児に専念したのです。ジョンは、ショーンくんが5歳になるまでは音楽活動をやらないと初めから決めていたので、1980年10月に復活する事も予定通りだったわけです。ジョンの死後に、1988年から1992年にかけて、ヨーコさんが提供した膨大なジョンの未発表音源を元にしたラジオ番組「THE LOST LENNON TAPES」が放送されて、その一部(と云ってもCD4枚組で94トラック入り)が箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」として公式盤化されました。それ以前には、1986年に未発表ライヴ盤「LIVE IN NEW YORK CITY」と、未発表音源集「MENLOVE AVE.」が出て、1988年のサントラ盤「IMAGINE」の冒頭に「REAL LOVE」が収録されただけです。その「REAL LOVE」は、後にビートルズ名義で1996年にリリースされるのですけれど、サントラ盤に収録されたヴァージョンは、ビートルズ名義でリリースされた元の音源とは別ヴァージョンです。サントラ盤に収録されたのは、1980年7月にジョンがアコースティック・ギターで弾き語りしたデモ音源で、タイトルは「REAL LOVE」となっていますけれど、元々は「GIRLS AND BOYS」と題されていて、途中で「ISOLATION」と同じ展開が聴けます。

(小島イコ)

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「雲霧仁左衛門3」第七回(再)で内山理名ちゃん

少年ナイフ ゴールデン☆ベスト


時代劇専門チャンネル 17:00〜18:00

第七回「凶刃」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門3」第七回の、今年初めての再放送です。第七回では、暁一党の裏切りに遭った雲霧一党でしたが、裏切りには理由がありました。息子の身分が危うくなると、藤堂家の磯部に脅されていたのです。磯部に一万両を渡したものの、暁星右衛門は関口に殺されてしまいます。雲霧一党は一万両を取り返そうとして、道場に潜入しているおようは関口の正体に気づきます。お千代姐さんはおようを心配しますが、おようと高瀬は、関口に斬られてしまいます。おようの弔いで、藤堂家を狙う雲霧一党の運命や如何に、で最終回に続きます。

本放送:2017年2月17日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

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「めざまし8」2025年3月13日



フジテレビ 8:00〜9:50


那奈ちゃんが、「めざまし8」にVTR出演しました。例によって「会社員」の立場での出演でしたが、MCの谷原章介さんとは、2006年のドラマ「小早川伸木の恋」や、2015年のドラマ「警部補・杉山真太郎〜吉祥寺署事件ファイル」などで共演歴があり、谷原さんも「女優を辞めていないなら、また共演したい」とリップ・サービスしていた様です。実際問題として、週5で勤務しながら女優もやるなんて事は困難だとは思いますけれど、地上波に登場したと云うのが、後々に響いてきそうではあります。でもねえ、フジテレビですからねえ、どうなんでしょう。

(小島イコ/姫川未亜)

posted by 栗 at 08:00| TV | 更新情報をチェックする

2025年03月12日

「ポールの道」#672「LENNON SONGS」#097 「DAKOTA」

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1976年1月に、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人が、ビートルズ時代の1967年にEMI・キャピトルと交わした9年間の契約が終了しました。それによって、1968年リリースのビートルズのシングル「HEY JUDE / REVOLUTION」とアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」から始まった「アップル・レコード」も終焉を迎えました。アップルはその後、1990年代になって、所属ミュージシャンのリイシュー盤やビートルズの未発表音源集などをリリースして復活しますけれど、事実上では1976年11月に勝手にリリースされたジョージ・ハリスンのベスト盤「THE BEST OF GEORGE HARRISON」で終了しています。ジョージのアップルでのベスト盤は、A面がビートルズ時代のジョージの曲で、B面がジョージのソロ、と云う屈辱的な選曲をされていて、それはジョージがEMI・キャピトルとの契約が切れてからリリースされたので、そんな選曲になったのです。ジョンは1975年10月にベスト盤「SHAVED FISH」を、リンゴは1975年11月にベスト盤「BLAST FROM YOUR PAST」を、それぞれソロになってからの曲だけでリリース出来たのは、まだEMI・キャピトルとの契約が残っている内に出したからでしょう。ポールは、後述の理由で1978年までベスト盤は出していません。

EMI・キャピトルとの契約を終えた元・ビートルズの4人は、それぞれ別の契約を結びました。まず、当時ウイングスで絶好調だったポールは、EMI・キャピトルとの契約を継続しました。故に、まとめに入るベスト盤をこの時期には出していません。ジョージは、既に1974年に自身のレーベル「ダーク・ホース」をA&Mの傘下で作っていて、満を持してジョージも移籍する事となったのですけれど、ジョージがEMI・キャピトルとの契約が切れてから半年以内にA&Mでソロ・アルバムをリリースする約束を守れず、違約金を肩代わりするカタチでレーベルごとワーナーへ移籍しました。リンゴは、すんなりとポリドール(英国、日本)とアトランティック(米国、カナダ)に移籍しました。そして、ジョンはどことも契約せずに、主夫になってしまったのです。つまり、ジョンは1976年に引退したわけで、1974年9月のオリジナル・アルバム「WALLS AND BRIDGES(心の壁、愛の橋)」と、1975年2月のカヴァー・アルバム「ROCK'N'ROLL」と、同年10月のベスト盤「SHAVED FISH」と、ハイ・ペースでアルバムをリリースしていたジョンの音楽活動は、突然パタリと音沙汰なしとなったのです。そして、1980年10月にシングル「(JUST LIKE)STARTING OVER」で復活するまで、長い沈黙となったのでした。

その間にジョンが行った音楽活動は、1976年9月にリリースされたリンゴのアルバム「RINGO'S ROTOGRAVURE」に収録されたジョンの提供曲でピアノを弾いている「COOKIN'(IN THE KITCHEN OF LOVE)」のみで、当時の音楽評論家は「ジョンは曲が書けなくなったからアルバムを出せない」などと出鱈目な事を云っていました。そもそもレコード会社と契約していないのですから、アルバムを出せるわけがなかったのです。そして、ジョンの死後になって、大量の未発表音源が、まずはラジオ番組で1988年から1992年にかけて「THE LOST LENNON TAPES」としてオンエアされて、それを元にしたブートレグが登場して、1998年にCD4枚組で全94トラック入りの箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」がリリースされました。それ以前に、1986年には未発表ライヴ盤「LIVE IN NEW YORK CITY」と、未発表音源集のアルバム「MENLOVE AVE.」がリリースされていて、1988年のサントラ盤「IMAGINE」で、ジョンのソロでの「REAL LOVE」が収録されています。そこで注目すべきなのが、CD4「DAKOTA」です。そこにはアルバム「DOUBLE FANTASY」や遺稿集「MILK AND HONEY」に収録された曲の別テイクと共に、ボブ・ディランを揶揄した「SERVE YOURSELF」や、ジョージを揶揄した「THE RISHI KESH SONG」や、「MY LIFE」、「LIFE BEGINS AT 40」、「DEAR JOHN」、「IT'S REAL」と云った楽曲が収録されています。つまり、ジョンは、主夫時代にも多くの楽曲を書いていたわけで、音楽評論家の云う事は遠い神代の昔から無責任なのです。

(小島イコ)

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空想格闘メタフィクション

「千秋万歳」第2部第1章 COME AND GET IT

其の二 ワインカラーの少女(下)



「第壱回・片瀬那奈・怪優グランプリ」のつづきの
「千秋万歳」序章のつづきの


西暦 2025年 西豪寺ホール:
西豪寺エレナと小島イコの会話


イコ:確かにファンの間で西豪寺エレナ様最強説はありますけれど、客観的に観て、美月うららくんと大久保千秋くんの二人とは実力的に拮抗していますよ。

エレナ:だから、その二人だけウチのリングに再上陸させればいいじゃない。

イコ:いえ、そこはやはり他の5人を先に上がらせてですね、抗争を繰り広げてですね、オチで美月うららくんと大久保千秋くんが来るって流れがよろしいかと思いますよ。いきなり大将二人が来たのでは勿体ないし、エレナちゃんがアノ二人に拘るんだったらですね、まずはタッグのベルトを賭けてやってから、シングル王座とね、少し溜めて、ファンの飢餓感を煽ってからやった方が、興行としても旨味があるわけでね。

エレナ:どっちにしろ、私が本気を出したなら無敵で最強なんだから、何の心配もないわね。

イコ:先手必勝ですから、次にMZGの選手とやる時には、絶対にエレナ様に勝って頂かないと困りますよ。相手が誰であれ、そこでポカは許されません。変なスケベ心で負けたりしたら、お先真っ暗になりますよ。

エレナ:じゃあ、ドラゴンスクリューからの足四の字固めで勝てばいいのね。

イコ:ハイキック一発KOとかでもいいですよ。魔性のスリーパーで落とすとか、圧倒的な強さを魅せる衝撃的な勝ち方でいきましょう。

エレナ:私が寝るって云うブックでもよくってよ。よゆーよ、よゆー。

イコ:それはダメです。兎に角、初戦だけは完勝してもらわないといけません。ファンは初戦のインパクトを忘れませんから、1勝1敗の星のやり取りにするにしろ、初戦はエレナ様の勝ちブックです。まあ、本気になったら西豪寺エレナ様に勝てる見込みがあるのは、やはり美月うららくんと大久保千秋くん位のものでしょうけれど、やはり、そこは万全を期して、大久保千秋くんと美月うららくん以外の選手とやってもらって、ケチョンケチョンに叩き潰して下さい。相手が病院送りになる位にぶちかましてもらってですね、まあ、本当に怪我をさせたらプロ失格ですから、かすり傷程度で救急車を呼んじゃってですね、そうなれば、ファンもやはりプロレスリング・エレナが最強で王道だと思いますよ。

エレナ:あら、私が本気を出したら無敵なんじゃなかったの?美月うららさんや大久保千秋さんにだって負ける気はしませんわよ。これまでは興行を盛り上げる為に何度か負けブックで寝ただけで、それだってどれもがベストバウトだったじゃないの。

イコ:ええ、そうなんですけれどね、今や大久保千秋くんが無敵って事になっているんですよ。実際にこれまで一度も負けた事がないわけで、勿論、本当に強いんですけれどね。でも、いつかは大久保千秋くんも負ける時が来るわけですよ。ファンはその相手として、西豪寺エレナ様か美月うららくんと予想しているわけです。それを、良い意味で裏切る様な相手が現れれば、面白いんですけれどね。

エレナ:そんな小細工はいらないから、普通に美月うららさんと大久保千秋さんにセメントでやらせて、勝った方が私とやればいいじゃない。そしたら、私が勝ちます。

イコ:う〜ん、確かに、美月うららくんか西豪寺エレナ様が相手なら、名勝負にはなりますけれどね。こちらとしては、高瀬リコくんや姫様や藤田千秋くん辺りとも、まだ見ぬ強豪とも、大久保千秋くんにはもっと沢山の相手とやって、名勝負製造機になってもらいたいんですよ。

エレナ:なるべく太らせてから、パクリンコと私が美味しくいただく、って意味で合っているのかしら。

イコ:まあ、そうですね。何れはまた「西豪寺エレナ様VS大久保千秋くん」をやらなければなりませんけれど、一寸出し惜しみしてもいいでしょう。プロレスのリング上で相対するだけではなく、こうして団体が分かれて、お互いの興行合戦での抗争もアリだと思うんです。

エレナ:確かに、対抗戦はやり過ぎると飽きられるわね。

イコ:まずは、プロレスリング・エレナも、MZGも、純血興行でどれだけファンの支持を得られるかですね。MZGは、たったの7人しかいないので、純血興行では今日みたいにシングル4試合しか組めませんよね。対してプロレスリング・エレナは大所帯ですから、土下座正規軍とMZGに移籍しなかった旧・美月組と旧・マジメ軍との抗争でも充分にやってゆけます。ビッグマッチでも、プロレスリング・エレナは純血興行をやれるでしょうけれど、MZGは外敵を招聘しなければ無理でしょうね。

エレナ:結局は、MZGが私にアタマを下げて選手の貸し出しを嘆願する事になるわけね。そうしたら、檀上みきでも送りこんでやろうかしら。

イコ:今の檀上みきくんがガチンコでやったら、美月うららくんに殺されてしまいますよ。KNKGP2の決勝戦とPWE王座戦は、ドーピング疑惑で無効試合になりましたけれど、未だに美月うららくんは根に持っていますからね。

エレナ:じゃあ、やっぱり私と柏木さんが持つタッグ王座戦ね。

イコ:そう云う事になるんでしょうけれど、間違っても負けたらシャレになりませんからね。そうなるとですね、MZGのリングでやるのは危険ですよ。ブック破りしてガチンコで来るかもしれませんからね。プロレスリング・エレナの時期シリーズ最終戦のメインエベント辺りでやりましょう。相手は、大久保千秋くんと高瀬リコくんの同期生ペアでどうでしょうか。

エレナ:高瀬リコさんが大人しく寝るかしら?さっきの話だと、大久保千秋さんをいきなり上げるのも時期尚早なんじゃないの。

イコ:でしたら、姫様と藤田千秋くんのペアはどうですか?どちらも土下座正規軍にとっては裏切り者ですから、盛り上がりますよ。

エレナ:いいわね。でも、そのカードなら私と柏木さんがMZGへ乗り込んでやりたいわね。セコンドも沢山引き連れていきましょう。

イコ:何だかんだ云っても、エレナちゃんはMZGの興行を手助けしたいんですね。

エレナ:とんでもない。さっさとケチョンケチョンにして、団体を潰して、大久保千秋さんと美月うららさんをぶっ潰してやりたいだけよ。やっぱり、勝ったら敵であるMZGのリング上で、こう云うプロレスが観たかったなら、プロレスリング・エレナに来い!って云ってやりたいじゃない。

イコ:何にせよ、MZGの独立は、プロレスリング・エレナにとって甘い蜜の味ですなあ。

未亜:あのぉ、そろそろセミファイナルが始まります!

エレナ:じゃあ、後2試合をじっくりと観させてもらいますわ。

イコ:乱入とかしないで下さいね。

エレナ:あら、それもいいわね。メインエベントでエレナ様ストップ!とかね。

イコ:暴動になるから、やめて下さい。


以 下、しあわせの予感(上)につづく

DEMO 2014−9−29
MIX 2025−3−12


(小島イコ/姫川未亜)


空想格闘メタフィクション


「千秋万歳」第2部第1章 
COME AND GET IT

其の三 しあわせの予感(上)

WITH A LITTLE !

HEY EVERYBODY 
GOT BACK !

ON 2025・4・X

SINCE 2013・11・7


DE IMAGEN NO INC. A CADA*** CON AMOR

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「雲霧仁左衛門3」第六回(再)で内山理名ちゃん

NIAGARA MOON -40th Anniversary Edition-


時代劇専門チャンネル 17:00〜18:00

第六回「月下の誓い」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門3」第六回の、今年初めての再放送です。第六回の狙いは日本橋・松井屋です。普段は他の組織とは組まない雲霧仁左衛門ですが、押し込み先の名を聞いて囮役を引き受けます。それを安部式部に見破られ、緊迫した展開となります。お千代姐さんは、夜回りに化けたりしました。暁一等の裏切りにも遭って、雲霧一党は絶体絶命の危機となりますが、なんとか逃れました。

本放送:2017年2月10日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

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2025年03月11日

「ポールの道」#671「LENNON SONGS」#096 「BETWEEN THE LINES」「SHAVED FISH」

ジョン・レノンの軌跡(紙ジャケット仕様)


ジョン・レノンが、1975年2月17日(米国)・同年2月21日(英国)にアップルからリリースした、5作目で最後のソロ・アルバム「ROCK'N'ROLL」の最後には、ロイド・プライスの「JUST BECAUSE」が収録されていて、ジョンは最後に「GOOD BYE」と云っています。ジョンとしても、まさかそれが音楽活動から撤退する別れの挨拶になるとは思っていなかったでしょう。ジョンはアルバム「ROCK'N'ROLL」のリリース前の1975年1月に、デヴィッド・ボウイのアルバム「YOUNG AMERICANS」(1975年3月リリース)のレコーディングに参加して、ビートルズのカヴァー「ACROSS THE UNIVERSE」と、デヴィッド・ボウイとカルロス・アロマーとジョンで共作した「FAME」に参加していて、シングル・カットされた「FAME」は全米首位!となりました。更に、ジョンはポール・マッカートニーとも完全に和解して、ポールが率いるウイングスが1975年5月にリリースするアルバム「VENUS AND MARS」のニューオリンズでのレコーディングに参加する事となったのですけれど、よりを戻したヨーコさんが断固として反対して流れています。ヨーコさんとしては、そこでまたジョンがポールと組んだら、二度と自分の元には戻って来ない、と危機感を持ったと云われています。ジョンはEMI・キャピトル(アップル)との契約が切れる前に、もう1枚アルバムを出さなければならない契約があったので、最後に「BETWEEN THE LINES」と云う名のオリジナル・アルバムを制作する予定でした。それは当時、テレビ番組でジョン自身が発言しています。

しかし、ヨーコさんが妊娠したので、ジョンは新作アルバムを制作するのを止めてしまったのです。アルバム「BETWEEN THE LINES」がどこまで進んでいたのかは謎ですけれど、「MY LIFE」、「SALLY AND BILLY」、「TENNESSEE」、「POPCORN」、「NOBODY TOLD ME」、「MUCHO MUNGO」、「I'M STEPPING OUT」、「GROW OLD WITH ME」、「DEAR YOKO」と云った楽曲が準備されて、中には後に、1980年のアルバム「DOUBLE FANTASY」や、1984年の遺稿集「MILK AND HONEY」に収録された楽曲に発展していった曲が収録予定だったと云われています。ジョンは1975年10月9日(ジョンの35歳のお誕生日)にショーンくんが誕生したので、育児に専念する為に主夫となって、音楽活動を辞めてしまうのです。そして、契約を守る為に、新作アルバム「BETWEEN THE LINES」の代わりにコンピレーション・アルバムを出す事にしました。ジョンにはシングルのみのアルバム未収録曲が結構あったので、それをまとめてアルバムにしようと考えたわけです。それでジョンは、自分のシングル盤がどうなっているのか調べたら、ほとんどが廃盤になっている事実に驚いて、シングル盤を集めて、最初と最後に「GIVE PEACE A CHANCE」を収録するなど曲順も全てジョンが決めた、ジョンが生前では唯一のベスト・アルバムである「SHAVED FISH」を、1975年10月24日(英国、米国)・同年12月1日(日本)にアップルからリリースしました。

内容は、A面が、1「GIVE PEACE A CHANCE」、2「COLD TURKY」、3「INSTANT KARMA!」、4「POWER TO THE PEOPLE」、5「MOTHER」、6「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」で、B面が、1「IMAGINE」、2「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」、3「MIND GAMES」、4「#9 DREAM」、5「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」〜「GIVE PEACE A CHANCE(REPRISE)」の、全11曲入りです。これが、単なるベスト盤ではなく、ジョン自身が編集したトータル・アルバムになっています。まず、「GIVE PEACE A CHANCE」を最初と最後に配置して、最初はフェイドインしてフェイドアウトするサワリで、最後は1972年の「ワン・トゥ・ワン・コンサート」でのスティーヴィー・ワンダーがリード・ヴォーカルを取った部分が使われています。「MOTHER」は鐘の音から始まるアルバム・ヴァージョンですが、フェイドアウトが早い短縮ヴァージョンで、「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」も短縮ヴァージョンで、「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」も短縮ヴァージョンで、「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」は最後に「GIVE PEACE A CHANCE」が被っています。「POWER TO THE PEOPLE」は、EMIがマスター・テープを紛失していて盤起こしです。現在ではベスト盤の定番曲が並んでいますが、この時点では、「GIVE PEACE A CHANCE」、「COLD TURKY」、「INSTANT KARMA!」、「POWER TO THE PEOPLE」、「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」と、半数の5曲がアルバム初収録でしたし、他の曲も前述の様に編集されています。

(小島イコ)

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「雲霧仁左衛門3」第五回(再)で内山理名ちゃん

Past Masters 2


時代劇専門チャンネル 17:00〜18:00

第五回「奪還」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門3」第五回の、今年初めての再放送です。第五回は、富の市とおかねを奪還するお話です。雲霧一党は、安部式部の罠だと知りつつも挑戦します。江戸での奪還に失敗した一党は、最後の賭けに出ます。お千代姐さんはお婆さんに化けたりしました。脱獄に成功する一党ですが、待ち伏せされていました。隠れ家に逃げ込み、難を逃れました。

本放送:2017年2月3日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜)

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2025年03月10日

「ポールの道」#670「LENNON SONGS」#095 「ROCK'N'ROLL」OUTTAKES

rocknroll2.jpg


ジョン・レノンが、1975年2月17日(米国)・同年2月21日(英国)にアップルからリリースした、5作目で最後のソロ・アルバム「ROCK'N'ROLL」は、全てがロックンロール・クラシックスのカヴァーで構成されています。このアルバムは二つの異なるレコーディング・セッションを元にしていて、ひとつは1973年10月から12月にかけて行われたフィル・スペクターとのセッションで、もうひとつは1974年10月21日から25日にかけての再レコーディング・セッションです。まず、フィル・スペクターとのセッションは、ジョン・レノン(ヴォーカル、ギター)、ジェシ・エド・デイヴィス(ギター)の他に、フィル・スペクター(ギター、ピアノ)、ピーター・ジェイムソン、スティーヴ・クロッパー、アート・マンソン、ウィリアム・ペリー、ルイス・シェルトン、デール・アンダーソン、ラリー・カールトン、デヴィッド・コーエン、ジム・カルヴァート(以上、ギター)、ホセ・フェリシアーノ、マイケル・ヘイゼルウッド(以上、アコースティック・ギター)、レイ・ナポリタン、ボブ・グラウブ、トーマス・ヘンズリー(以上、ベース)、ジェフ・バリー、アンディ・トーマス、マイケル・ウォフォード、マイケル・ラング、バリー・マン、マイケル・メルヴォイン(以上、ピアノ)、マック・レベナック (ドクター・ジョン)、マイケル・オマーティアン、レオン・ラッセル(以上、キーボード)、ハル・ブレイン、ゲイリー・マラバー、フランク・キャップ、ジム・ゴードン(以上、ドラムス)、ニノ・テンポ(サクソフォーン、キーボード)、ボビー・キーズ、ジョセフ・テンパーリー、ジム・ホーン、プラス・ジョンソン、ロナルド・ランギンガー、ドン・メンザ、ジーン・シプリアーノ(以上、サクソフォーン)、ウィリアム・パーキンス、ロバート・ハーダウェイ(以上、木管楽器)、アンソニー・テラン、コンテ・カンドリ、チャック・フィンドリー(以上、トランペット)、ジュリアン・マトロック(クラリネット)、ジョセフ・ケルソン(ホルン)、ゲイリー・コールマン、アラン・エステス、スティーブン・フォーマン、テリー・ギブス(以上、パーカッション)、と云う50名近いミュージシャンが参加した模様です。

フィル・スペクターの手法は、同時に大勢のミュージシャンに一斉に演奏させるスタイルではありますけれど、それにしたってこれでは最早オーケストラであって、1979年にポール・マッカートニーが行った「ロケストラ」もビックリです。しかしながら、このセッションでの音源を元にした曲は、アルバム「ROCK'N'ROLL」では「YOU CAN'T CATCH ME」と「SWEET LITTLE SIXTEEN」と「BONY MORONIE」と「JUST BECAUSE」のたったの4曲しか使われておらず、100時間もあると云われているフィル・スペクターとのセッションは謎だらけなのです。ジョンはフィル・スペクターとのセッション音源がほとんど使い物にならないと分かって、1974年10月21日から25日にかけてのたったの5日間で残りの9曲をレコーディングしていて、そちらのレコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、ギター)、ジェシ・エド・デイヴィス(ギター)、エディ・モトー(アコースティック・ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、ケニー・アスチャー(キーボード)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、アーサー・ジェンキンス(パーカッション)、ジョセフ・テンパリー(サクソフォーン)、フランク・ヴィカリ(サクソフォーン)、デニス・モラウズ(テナーサックス)と、コンパクトにまとめています。そうして、A面が、1「BE-BOP-A-LULA」、2「STAND BY ME」、3「MEDLEY : RIP IT UP / READY TEDDY」、4「YOU CAN'T CATCH ME」、5「AIN'T THAT A SHAME」、6「DO YOU WANNA DANCE」、7「SWEET LITTLE SIXTEEN」で、B面が、1「SLIPPIN' AND SLIDIN'」、2「PEGGY SUE」、3「MEDLEY : BRING IT ON HOME TO ME / SEND ME SOME LOVIN'」、4「BONY MORONIE」、5「YA YA」、6「JUST BECAUSE」の、全13トラック全15曲入りでリリースされたのでした。

しかしながら、モーリス・レヴィが勝手にリリースしたブートレグ「ROOTS」では、他に、ロージー&ジ・オリジナルズの「ANGEL BABY」と、ロネッツの「BE MY BABY」の2曲が収録されていて、ジョンの死後の1986年にリリースされたアルバム「MENLOVE AVE.」には、ジョンとフィル・スペクターの共作オリジナル曲である「HERE WE GO AGAIN」と、「ANGEL BABY」と、アーサー・クルーダップの「MY BABY LEFT ME」(「SINCE MY BABY LEFT ME」)と、テディ・ベアーズの「TO KNOW HIM IS TO LOVE HIM」(「TO KNOW HER IS TO LOVE HER」)が発掘されていて、それらは全てがフィル・スペクターとのセッション音源を元にしています。更に、1998年の箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」には、ジーン・ヴィンセントの「AIN'T SHE SWEET」(1961年のトニー・シェリダンとのレコーディングで、ビートルズのみでレコーディングされて、1969年のアルバム「ABBEY ROAD」のセッションでも披露)と、「SLIPPIN' AND SLIDIN'」と「PEGGY SUE」と「BRING IT ON HOME TO ME / SEND ME SOME LOVIN'」の別テイクと、遂に公式盤で登場した「BE MY BABY」が収録されました。その箱には、リンゴ・スターに譲ったプラターズの「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」のジョンがヴォーカルのテイクも収録されています。そして、未だに公式盤には未収録ですが、バディ・ホリーの「THAT'LL BE THE DAY」や、チャック・ベリーの「THIRTY DAYS」や、エディ・コクランの「C'MON EVERYBODY」なども演奏されています。そしてレッド・ツェッペリンの「WHOLE LOTTA LOVE」のイントロを、ジェシ・エド・デイヴィスかジョンか分かりませんが、ふざけて演奏していたりもします。いずれ、アルバム「ROCK'N'ROLL」の箱もリリースされて、全貌が明かされる日が来るのでしょうか。でも、なんちゃってリミックスは、やめてね。

(小島イコ)

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「雲霧仁左衛門3」第四回(再)で内山理名ちゃん

Collection of His Greatest Hits


時代劇専門チャンネル 17:00〜18:00

第四回「忘れ形見」

内山理名 AS 七化けのお千代

「雲霧仁左衛門3」第四回の、今年初めての再放送です。第四回での雲霧一党の標的は、丸子屋です。早速、お千代姐さんが内偵に入ります。今回も、七化けぶりを魅せてくれました。別の盗賊も丸子屋を狙っていて、雲霧一党は難を逃れます。裏をかいてまんまと大金をせしめました。おなみが殺される以外は、雲霧仁左衛門の思惑通りでした。

本放送:2017年1月27日(NHK BSプレミアム)

(姫川未亜/小島イコ)

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「映画 闇金ウシジマくん」

映画 闇金ウシジマくん [Blu-ray]


WOWOWプラス 14:00〜16:30

2012年公開作品

(2012年8月25日公開、撮影:2011年7月15日〜8月20日)

片瀬那奈 AS 大久保千秋

「映画 闇金ウシジマくん」映画版第1作の、今年4回目の放送です。ドラマ版のシーズン1の続編で、ドラマ終了から1年半以上経ってから公開されましたが、撮影は公開の1年前ですので、ドラマ終了後半年位で映画化されています。但し、ドラマの撮影は放送される半年前には終了していたので、映画の撮影はドラマの撮影から1年半弱経っていた事になります。那奈ちゃんが演じた大久保千秋も再登場していますが、そもそもドラマ版オリジナル・キャラクターだった大久保千秋を映画にも登場させたので、益々一貫性がない登場人物となっております。ドラマ版は那奈ちゃんの代表作のひとつだと思いますけれど、映画版への出演は「ファン・サービス」の様なもんでしょう。原作マンガの様々な話から引っ張って、それぞれの登場人物を紐づけてしまったので、些か詰め込み過ぎな印象です。クライマックスのウシジマくんと肉蝮の対決は、イベントのステージと交差する演出で、観ずらくてイカンですなあ。本日は、映画版4作が連続放送されます。
(小島イコ/姫川未亜)

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「310万アクセスの、ほえ〜?」



当ブログのアクセス数が、310万を超えました。今後とも、何卒宜しくお願い致します。

(小島イコ/姫川未亜)

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2025年03月09日

「ポールの道」#669「LENNON SONGS」#094 「MOVE OVER MS. L.」

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ジョン・レノンが、1975年2月17日(米国)・同年2月21日(英国)にアップルからリリースした、5作目で最後のソロ・アルバム「ROCK'N'ROLL」から、1975年3月10日(米国)・同年4月18日(英国)に「STAND BY ME」がシングル・カットされて、全米20位・全英30位のヒット曲となりました。ところが、その「STAND BY ME」をA面にしたシングルのB面は、ジョンのオリジナル曲「MOVE OVER MS. L.(ようこそレノン夫人)」で、アルバム未収録曲なのです。この楽曲は、ストレートなロックンロールで、1974年9月26日(米国)・同年10月4日(英国)にリリースされた、ジョンの4作目のソロ・アルバム「WALLS AND BRIDGES(心の壁、愛の橋)」に収録予定で、一旦は完成していて、曲順も決められていて、B面に「SURPRISE, SURPRISE(SWEET BIRD OF PARADOX)(予期せぬ驚き)」と「WHAT YOU GOT」の間に入る予定だったのですけれど、結局はジョンがアルバムから外して、「WHAT YOU GOT」はA面に回されたのです。そして、ジョンは1974年10月21日から25日にかけてのアルバム「ROCK'N'ROLL」の再レコーディング・セッションで、再びこの「MOVE OVER MS. L.」をレコーディングしていて、それがシングル「STAND BY ME」のB面になったわけです。

が、しかし、話はそれで終わらず、ジョンがアルバム「WALLS AND BRIDGES」のレコーディング・セッションで完成させたヴァージョン、もしくは再レコーディングした音源のラフ・ミックスを、キース・ムーンへの提供曲としてデモ音源で渡していて、キース・ムーンは1975年3月にリリースしたソロ・アルバム「TWO SIDES OF THE MOON」に収録しているのです。そして、キース・ムーンは、シングル「SOLID GOLD」のB面として「MOVE OVER MS. L.」をシングル・カットまでしているのです。リリース時期が被っているので、この曲は「ジョンがキース・ムーンへの提供曲をセルフ・カヴァーした」もしくは「ジョンのシングルB面曲をキース・ムーンがカヴァーした」と、どちらとも取れる楽曲となっています。ジョンのヴァージョンのレコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、エレクトリック・ギター)、ジェシ・エド・デイヴィス(エレクトリック・ギター)、エディ・モトー(アコースティック・ギター)、ケン・アッシャー(ピアノ)、クラウス・フォアマン(ベース)、アーサー・ジェンキンス(パーカッション)、ジム・ケルトナー(ドラムス)に、ホーン・セクションが参加しています。ジェシ・エド・デイヴィスは、キース・ムーンのヴァージョンにも参加しています。楽曲は、モロにチャック・ベリー・スタイルで、よくモーリス・レヴィに訴えられなかったですなあ。ビートルズの「COME TOGETHER」よりも、ずっとチャック・ベリーに似ています。

そして、この「MOVE OVER MS. L.」はアルバム未収録曲で、生前のジョンが編集したシングル集「SHAVED FISH」にも収録されていません。死後の1982年にリリースされたベスト盤「THE JOHN LENNON COLLECTION」のアナログ盤にも収録されておらず、1989年にCD化された際に収録されて聴ける様になりました。ところが、その後のベスト盤には一切収録されておらず、オリジナル・ヴァージョンはその1989年のCD盤「THE JOHN LENNON COLLECTION」でしか聴けなかったのです。1998年の箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」には、アルバム「WALLS AND BRIDGES」でのレコーディング・ヴァージョンが収録されていて、そちらにはホーン・セクションが入っていません。2025年の現在、この曲のオリジナル・ヴァージョンが聴けるのは「THE JOHN LENNON COLLECTION」と、2010年にリリースされた大箱「JOHN LENNON SIGNATURE BOX」に収録されているシングル集「SINGLES」だけです。つまり、お手軽な1枚モノのCDではリマスターもされていない「THE JOHN LENNON COLLECTION」でしか聴けず、リマスター音源をCDで聴くには高価な大箱を買うしかないのです。シングル「STAND BY ME」を買ってB面のこの曲も愛聴していたので、ショーンくん、何とかなりませんかねえ。なんて云うと、また厄介なカタチでボーナス・トラックにされそうで、それもまた困ったちゃんなのですけれどねえ。

(小島イコ)

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2025年03月08日

「ポールの道」#668「LENNON SONGS」#093 「JUST BECAUSE」

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ジョン・レノンが、1975年2月17日(米国)・同年2月21日(英国)にアップルからリリースした5作目で最後のソロ・アルバム「ROCK'N'ROLL」は、全曲がロックンロール・クラシックスのカヴァーで構成されています。全13トラックでメドレーを分けると全15曲が収録されていて、モーリス・レヴィが勝手にリリースしたブートレグの「ROOTS」では、全15トラックで全17曲が収録されています。ブートレグ「ROOTS」にだけ収録されているのは、ロージー&ジ・オリジナルズの「ANGEL BABY」と、ロネッツの「BE MY BABY」の2曲で、両方共に1973年10月から12月にかけてロサンゼルスで行われたフィル・スペクターとのセッション音源で、しかも両方共にオリジナルが女性によって歌われているので、最終段階でジョンが落としたのでしょう。「ANGEL BABY」も「BE MY BABY」も、スローテンポにしてジョンが歌い上げているスタイルなので、アルバム「ROCK'N'ROLL」の硬派な路線の中に入れると、ちょっと違うかな、と思ったのかもしれません。兎も角、ジョンは後に発掘されたアーサー・クルーダップの「MY BABY LEFT ME」(ジョンのヴァージョンは「SINCE MY BABY LEFT ME」)や、テディ・ベアーズの「TO KNOW HIM IS TO LOVE HIM」(ジョンのヴァージョンは「TO KNOW HER IS TO LOVE HER」)なども含めて、多くのロックンロール・クラシックスのカヴァーをレコーディングしました。

選曲は、ほとんど全ての曲をジョンが少年時代から親しんできた楽曲を、ジョンが行っています。ところが、アルバムの最後でB面6曲目に収録されている「JUST BECAUSE」だけは、ジョンがフィル・スペクターに聴かされて初めて知ったとされているのです。ブートレグの「ROOTS」でも、この「JUST BECAUSE」はB面7曲目で最後に収録されていて、これは1973年10月から12月にかけてのフィル・スペクターとのセッション音源を元にしていて、1974年10月の再レコーディング・セッションで、最初と最後にセリフを加えています。「JUST BECAUSE」のオリジナルは、ロイド・プライスが1957年にリリースしています。それで、ジョンがこの曲を知らなかったと云う話は、ちょっと不可解なのです。何故ならば、ポール・マッカートニーが1988年のカヴァー・アルバム「CHOBA B CCCP」で、ロイド・プライスの「LAWDY MISS CLAWDY」をカヴァーしているのです。ビートルズ時代に、ポールだけがロイド・プライスを聴いていたとは思えないので、ジョンも聴いていたと考える方が自然です。更に云えば、こちらの方が重要なのですけれど、ロイド・プライスの「JUST BECAUSE」は、1957年にラリー・ウィリアムズがデビュー・シングルとしてカヴァーしてリリースしているのです。ラリー・ウィリアムズはジョンの大のお気に入りだったわけで、ロイド・プライス盤を聴いていなくとも、ラリー・ウィリアムズ盤は聴いていたのではないでしょうか。そして、ラリー・ウィリアムズは「LAWDY MISS CLAWDY」もカヴァーしているのです。

そもそも、ラリー・ウィリアムズはロイド・プライスの運転手をしていて、そこからバック・バンドのピアニストになって、友人であるリトル・リチャードとの交流もあって、独立してソロ・デビューしているのです。それで、デビュー曲がロイド・プライスの「JUST BECAUSE」になったわけです。ジョンはビートルズ時代に「SLOW DOWN」、「DIZZY MISS LIZZY」、「BAD BOY」と3曲もラリー・ウィリアムズの曲をカヴァーしていて、「DIZZY MISS LIZZY」はビートルズのライヴの定番曲のひとつで、1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」でもラリー・ウィリアムズの曲を取り上げていて、1969年9月の「トロント・ロックンロール・リヴァイバル」でも「DIZZY MISS LIZZY」をプラスティック・オノ・バンドとして演奏していて、このアルバム「ROCK'N'ROLL」でも「BONY MORONIE」をカヴァーしています。そんな経緯から、ジョンはロイド・プライスの「JUST BECAUSE」は聴いていなかったとしても、ラリー・ウィリアムズのカヴァー・ヴァージョンは聴いていたと思えるのです。聴いた事もなかった曲を、アルバムの最後に収録すると云うのもおかしな話なんですよ。2004年にリリースされたアルバム「ROCK'N'ROLL」のリミックス盤では、ボーナス・トラックの最後に「JUST BECAUSE」の別テイクからエンディングの語り部分が収録されていて、ジョンが、ポールとジョージとリンゴに呼びかけている感動的な語りが聴けます。

(小島イコ)

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「NO IMAGE」


here is

mia/iko presents

「the diary of nana katase」

A/K/A/ 「COPY CONTROL」


Recording Produced by IKO KOJIMA

Engineer : MIA HIMEKAWA

All voices & instruments : MW-777
(MIA/IKO/TACO/LUNA)

All Songs arranged , written and compoced by

009:栗

(A/K/A/ mia/iko) except where indicated.


with a big help from

001:ANTETSU (from NANAchan OGAMITAI of NO IMAGE),
002:USHIO (from SHiNY ☆ BRADBURYS of NO IMAGE),
008:HITO-WOLF (from MEI-KYO-SHI-SUI),
& 100 = TACO (from Queen of NO IMAGE),


055:PIN (from NEW of NO IMAGE)&
033:KIRI (from SISTER of NO IMAGE),
・・・with their family・・・,


101:NANAMI NARUMI (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
051:LUNA NARUMI (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
0101010・・・,& so on:KOYUKI SISTERS #0-#2 with TVC-15,
& 「KOYUKI #3-#5」with TVC15-2!!,
m-G4-MIMI & W-7,W-10-nanaco#1-#3,

ukulele-MIDORI #1-#3 (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
070 & 077:NEO FLOWER GIRLS (from &'S LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
396:pirozhki (from MARQUEE MOON),
099;mayaya

R-157:rina-chan

000:mamma-mia A+C ! &

007:nana-chan


& EVERY***

AND ・・・「∞:my MOTHER = MIAMIA/IKO-CHAN !」



ALL FOR NANA KATASE from the bottom of my heart.

since 2004-8-8

(C) NO IMAGE INC. with LOVE ☆



YES, we're just only the " NANA chan's FAN " .

since 1981-11-7